「孤独ごっこ」

実家から帰ってきて久しぶりにアルバイトに行きました。今月末で辞めるのですが辞める直前になってどうしてこの決断をしたのか、考えながら仕事をしました。実は11月の投稿に登場した学生団体は昨年中に抜けました。自分に顔の見える相手に腹の内をあけすけと語るような真似はできないと知っていながらそんなことをする自分を夢見ていました。そんな真似は私の中の理論ではできないことです。現実があっての理想であることが何よりの軸だと考えている私にとってとりとめもなく話すことや共有することは苦手で苦痛でした。という訳で辞めたのです。

アルバイトの話に戻りますが嫌になった理由は退勤前にみんなのタイムカードを切ってしまうせっかちなバイトリーダーの存在や誰かが何度も同じミスを繰り返しそれに対する注意や警告を何度も目にすることやもうちょっと時給が欲しいとか高校生のきゃぴきゃぴが苦手だとかそんな感じです。暇だからよくシフトに入れる私を店長は重宝してくれそうでしたが、私はそこを辞めました。あと何回で行かなくなるのかと考えながら、家まで歩く道中で「孤独ごっこ」という言葉が思いつきました。自分で自分を孤独にしているなあと。

私は彼氏がいません。これまでできたこともありません。年齢=彼氏いない歴もそろそろやばいと思い、彼氏が欲しいです。でもアプリで話が盛り上がったあの人に会うとなると身構えてしまうし、時々誘ってくれる大学の人は拒否してしまいます。黙ってついて行けよと本当に思うのですがこればかりは自我が勝ちます。自我は一人でいいだろと言っています。

孤独です。さみしいです。1人で何でもできるのと1人でせざるを得ないはかなり違います。さみしくて悲しい毎日なのに私はせっかくできそうな仲間を手放してしまいます。なんでこんなに拗れてしまうんだろう。

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