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鬼滅の刃が低学年の子どもにも人気な理由は情報共有の徹底!?

今はブームは落ち着いてきたと思いますが、一時期、昨年度初めから終わりまでは、働いている小学校の子どもたちのほとんどが鬼滅の刃ファンでした。体感としては、熱狂的なファン5割と軽いファン3割の合計8割。みんな何かしらのグッズ(マスク、下敷き、消しゴム、布袋など)を持っていたり、話題が鬼滅の刃の話題だったりしました。
先日、再放送のアニメを見て、「なぜ、こんなに難しい話が小学生(特に1・2年生など低学年)に人気なのか」というのが気になりました。理由はいろいろ分析されていて、はたまた不明であるとも言われていますが、一つ気付いたことがあります。それは「丁寧な情報共有」です。

全員の情報が食い違わない

「鬼滅の刃は説明しすぎ」と言われていて、私も見ていてかなり気になりました。例えば、主人公が戦闘でボロボロになって足取り重く帰路につくシーンがあります(最終選別が終わった後)。そこでは、主人公の思考が描かれていて、「一刻も早く帰りたいのに、体中が痛くて…。」という言葉がわざわざ挿入されています。
私は「いや、それは見て分かるやろ!」と思ったりもするのですが、この丁寧すぎる説明が低学年の子どもも含め見ている人全員に伝わる理由なのかなと思いました。
雪で滑ったときには「雪で滑ってしまった」と言い、沼に飛び込んだ後は「足場が悪くて力が入れにくい」と説明されます。アニメによって『視覚情報』と『聴覚情報』の両方が伝えられるので、わかりやすいを超えて何も考えていなくても理解できます。子どもだけでなく大人でも、疲れていて頭を使わずにぼーっとテレビを見ることがあると思いますが、そのような状態で見ても、誰もが同じシーンを同じように説明できます。情報の受け取りに個人差が発生せず、解釈に食い違いが起きないのです。

学校は聴覚情報が多い

私の仕事は基本的には子どもとは関わらないことになっているのですが、たまに授業(先生の)補助で授業に入らせていただくことがありますが、

「私は小学生時代、よくこの環境で上手くやっていたな…。いや、やっていけていなかったのかもしれない」とよく思います。

例えば、子どもがノートを取るとき、『黒板の文字を見る→手元を見て文字を書く』という動作を繰り返します。しかし、その最中に先生の話が始まったり、顔を上げたときに前の席の子たちの行動が目に入ったりします。それに気を取られていると「今の話聞いてた!?」「ノート書くの遅いよ!」と怒られてしまいます。
私は大人で、授業を受ける立場ではなく、子どもより目線が高い(物理的にも精神的にも)ので、どの情報も処理できていますが、小学1年生の35人学級の、一番後ろの列の子の後ろに立っていると、子どもは大変だろうなと思います。
個人差があるのかもしれませんが、耳で聞く情報は処理が難しいと思います。単純に聞き逃すこともあります。声の指示だけでなく文字や絵など見て分かる指示も併せてあれば分かりやすいと思いますが、しかし、先生も35人もの人数を時間内にテキパキと導かないといけません。全ての指示を視覚化することはできないので、必然的に日常の生活は聴覚情報が多くなります。

情報共有が徹底したチーム

『情報』は曖昧だと分からない部分が出てきます。そうすると、そこに個人個人の解釈が挟み込まれ、同じ情報を得ても理解が人によって違ってしまいます。
例えば、会社で部長が今月の売上目標を発表したとき、ある人は「そうか。目標に向かって頑張ろう」と思い、別のある人は「先月の売上も悪かったのに、さらにその上の目標なんて無理じゃないか。部長も形だけ言っているだけだろう」と思うかもしれません。

そうなった場合、『目標』だけでなく、その目標に至った経緯、社員の理解度など情報の彩度を上げるとチーム内の考え方や方向性がズレにくくなるのではないでしょうか。

鬼滅の刃は、説明を多くすることで『熱心に視聴する人』以外にも、『低年齢の子ども』や『難しいストーリーは嫌だと思っている大人』など幅広い人をチームに入れることに成功したのかなと考えました。

この考えはいかがでしょうか!?

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