噛みあわない会話と、ある過去について
私は1ヶ月に平均3冊程度本を読みます。
本屋さんでジャケ買いをしたり、Instagramでおすすめされてる本を購入したり、
著者のこだわりはあまりなく、いろんな方の本を読みます。
今回は辻村深月さんの【噛みあわない会話と、ある過去について】を読了して
今まで本を読んだことでは感じたことのない感情になり、
きちんと深掘りして残しておきたいと思ったのでnoteに残しておくことにしました^^
内容についても書く可能性があるので、ネタバレ的なものが好きでない方は
ご注意くださいませ。
“今まで本を読んだことでは感じたことのない感情“というと大袈裟かもしれないが
わざわざ人には説明しないけど、誰しもが持っているだろう黒い、ずるい感情を
あけっぴろげにされるような恥ずかしさと改めて自分の人間みを目の当たりにする
ような、そんな感情になった。
でも後味が悪いとかではなく、やっぱりあの時の感情は本に書かれるくらい
一般的な感情だったんだ。っていう過去の感情を答え合わせしていくような
不思議な気持ちだった。
4つの短編が収録されていて、もう、1つめから身に覚えがありすぎて
心臓を爪でカリッとされたような感覚になった。
ナベちゃんのヨメ
異性だけど、同性と同じ感覚で居られる友達。
そんな友達って同性と同じ感覚で居られるとはいえ、もちろん同性の友達ではなくて。
決して恋仲になるようなことは考えられないとしても(だからこそ?)
ちょっとその人に対してこいつのことは自分が理解してるっていう感情があって、
こういう人がこいつには合う、こういう人といたら幸せになる。
って勝手に理解してる気になってしまいませんか?
どんなに理解している気になっても自分は“こいつ“とは付き合うつもりはないのに。
なんなら、自分の恋人とか好きな人の相談をしたり、
「友達である」というのを盾にして異性にもかかわらず同じ空間で寝てしまったり
2人きりで一夜を明かしてしまったり・・・
正直、異性という要素と友達という要素を都合良く使い分けて接していた気がします。
そしてそんな“こいつ“に大切な人ができた時には
理解している(という気になっている)自分がおせっかい全開でその相手を査定し始めるのです。
「そんなことも許してくれないのは⚪︎⚪︎のことわかってないね」
「いやいや、絶対合わないでしょ〜」
と。⚪︎⚪︎には良い人と付き合って幸せになって欲しいから。とか言って。
自分が付き合えるわけでもないのに。
ー「ナベちゃんは、ずっと誰かの“一番“になりたかったんだよ。
必要とされたかったんだよ。
私たちは誰も彼を“一番“にしなかったけど、
あの婚約者にとってはナベちゃんが今、
誰よりも大事なんでしょ?私たちの言葉じゃ、そりゃ届かないよ」
ーたとえ今ナベちゃんに婚約者がいなかったとしても、智子も私も、彼を選ばない。
人の嫁を嗤(わら)う権利は、私たちにない。
そうなんだよ。その人を一番に出来なかった私にその人が選んだ、
その人の大切な人をとやかく言う資格なんてなかったんだ。ということに
気づかされた話だった。
ママ・はは
私の母は強くて優しい人だ。
子どものことを私物化せず、自分とは別の1人の人間と認識して接してくれた。
かといって愛情を感じられないほどのドライな関係ではなく、
しっかりと母からの愛情を感じていたし、シングルマザーの家庭ではあったが
母と周りの大人がサポートしてくれて、愛情不足を感じることはなかった。周りの人間に恵まれているなあ。と当時は感じていたけど、
もちろんそれもあっただろうが、母の人徳によるものだと大人になって気づいた。
もし、母に対しての感情を聞かれたら、迷いなく「尊敬」と答えられる。
だからか、こういう一般的に毒親と言われる親関連の話は
共感できることが少なく、「自分とは遠くかけ離れた世界の話」と思ってしまう
傾向にあった。
「こんなことする親が本当にいるんだ、ひどいなあ。」という感想は持つけど
共感はできないという感じ。
ただ、この「ママ・はは」においては自分に刺さる言葉があった。
ー「真面目な人って、義務が得意なんだよね。」
「義務?」
「うん。すべきことを与えられるとそれは一生懸命、とにかくこなすことを考える。
無駄がない質素な生活を心がけて、清く正しく生きることが得意。
その逆で、苦手なのが娯楽や贅沢。何かを楽しむってことがすごく苦手」
私はこの傾向が少しある。もちろん、欲に負けて贅沢をすることはままある。
でもたとえば1ヶ月の間に旅行に行って、他の日に外食をしたりすると、
「どうしよう、贅沢しすぎてるよな・・・罰当たらないよね・・・(不安)」
という感情を持ったまま不安なまま旅行とか外食の時間を過ごしてしまう。
夫には、勿体無いよせっかくの旅行なのにネガティブ感情を持ち込むのは。とか
損しちゃう性格だねぇ。と言われる。
自分にご褒美を与えるのが苦手。
贅沢を感じるのが苦手。
これが最近自分の悩ましいところに感じていて、同時に他者を不快にさせてしまわないか怖くなってきていたから自分の扱いを考えなければいけないな。と
この言葉を受けて、改めて考えるきっかけになった。
早穂とゆかり
この話は特に考えさせられた。
なぜなら、いまだに自分の中であの時の自分の行いは悪かったのか?と
煮え切れない気持ちがあるからだ。
私は元々友達の多いタイプでその中でも中心にいたタイプだと思う。
リーダー気質というか、良くも悪くも目立ってしまうタイプで。
プラスこだわりも割とあるタイプだから小学生の時から、
合う・合わない/好き・嫌い がはっきりしているタイプだった。
中学生の時も高校生の時も、一旦友達として付き合っていた子が
自分とは合わないなと思ったら距離を置くタイプだった。
でも、他の友達にそれを強要しようとは思わなかったし、
例えば私が合わないと思って距離を置いた子と、他の友達が仲良くしていても
特に何も思わない性格なのだが、前述の通り良くも悪くも目立ってしまうタイプだったので、私が距離置く=その子と関わらない方が良いというムーブができる傾向にあって
その子が孤立してしまう。それが私としては辛かった。
【私とは合わなかっただけで、合う人はそのまま仲良く居てくれて良いのに・・・】
と思っていた。
でも、ムーブが起きてしまうせいで、私がその子をハブいているように映ってしまうし
きっとその子自身もそう思ってしまうし、でも合わないと思う子と仲良くするのは
苦痛だし・・・そんな気持ちの狭間で過ごしたことが何度かある。
だから、この話のように意図しないところで恨みを買っている可能性があると
ずっと心で思いながら過ごしてきた。
そのことをこの話を読んで掘り起こされた気持ちになった。
総じて、この書籍は読み進めるほどに自分の過去について「うぅ・・・」となる本だった。
この感覚はなかなか味わえないものだと思うので、
自分の中にきちんと刻みたい良書だと思う。
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