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自動車運転年齢

 次男が自動車学校🚗に通っています。近所の教習所で、もうすぐ路上運転が始まるようです。路上コースは家の近くをウロウロすることになります。どのコースも知っている道ばかりなので、その点は安心して運転できるだろうけれども、知らない道を初めて運転したときのドキドキ感はないかもしれません。

 息子の話を聞きながら、自分自身のことを思い出しました。車両感覚がなかなかつかめなかったので、教習所内の細い道に入るときは、脱輪しないようにとハンドルを握りしめながら、肩をすぼめて運転していました。教習指導員さんは、
「肩をすぼめても車体🚘の幅は変わらないよ。」
と笑っていました。確かに。

運転を、官公庁が許すことが「運転免許」

 高校を卒業したころは思春期の終わり頃で、まだまだ口うるさい親が苦手でした。ガミガミ言われると、強い口調で言い返したり、無言で離れたりしました。こちらから話しかけることなどありませんでした。

 しかし教習所に通うようになると、車や運転のことで父親と話すようになりました。バスに乗り遅れ、駅に迎えに来て欲しいとお願いしました。すると、すいすいと?運転している父親のハンドルさばき。その姿を見て、
「お父さんすごい!」
とリスペクトしてしまいました。

 運転免許を持っている人すべてが、こうして一つ一つクリアして、免許を獲得したのだ!と大げさに感動していました。すぐに緊張してしまい要領の悪い私は終了検定の後、
「新聞📰に載ることが無いように、気を付けて運転してください。」
という言葉をいただき、やっと卒業🌸することができました。

 しかし免許を取得し、しだいに自動車運転に慣れると、父親に抱いていたリスペクトは徐々に薄れていきました。

 そんなある日、習い事の先生を紹介してもらうことになりました。行ったことのない地域なので、紹介してくれる人の車🚙の後について、暗い🔦田んぼ道を進みました。私は前の車🚙しか見ていませんでした。先生の自宅🏠について、月謝など細かなことも教えてもらいました。私は初めてなので、早めに終わりました。一人で帰る時間になり、この道を辿れば良いと教えてもらいました。そして鼻歌♪交じりでハンドル🚗を握りました。

 田んぼ道は、細くて暗い🔦のです。対向車もありません。スピードを上げて細い道を突っ切って行きました。調子にのってアクセルを踏み、運転🚗を続けていました。
「あっ!」
と気付くと大きな国道を渡っています。いつの間にか細い道から飛び出し、国道を横切るように走っています。はっとしました。自殺行為です。国道を渡り切り、また細い田んぼ道に入ると、手から汗💦が出てきました。ブレーキを踏みスピードを落として、深呼吸をしてから帰宅しました。

似た場面を映像で観ること

 その日から15年後に、チェルノブイリ原発事故のドラマを見ました。いくつもあるドラマの一つだと思うのですが、放射線から逃がれるために、少年が自転車🚴‍♂️に乗り、姉と二人で、細い道を急いでいました。その細い道は両側に背の高い草🌿🌿🌿が茂っており、視界が閉ざされていました。
 画面では自転車のスピードを上げる少年に後ろから、「止まって!」
と姉が必死に声をかけます。背の高い姉の視線からは、遠くから走って来る車が右手に見えます。金切り声を挙げて弟を呼ぶのですが、細い道が終わったところは広い車道とT字路の交差点になっていました。少年は自転車ごと車に撥ねられてしまいました。

 その後、車は一旦は止まるのですが、結局、放射能から逃げるため少年をそのままにして去ってしまいます。

 たまたま観たドラマのシーンから、田んぼ道を突っ切った若いころの自分を思い出しました。あの時に、10tトラック🚚がタイミング悪く走って来ていたら私は死んでいました。指導教官が予言?したとおり、新聞紙面📰の片隅に掲載されていたかもしれません。


出来事の意味することを考える


 父は、3年前に免許証を返納しました。そこに至るまでにはずいぶんと時間がかかりました。
「ゆっくりと気を付けて運転している。」
「田舎で生活していくためには、車が必要なんだ。」
「長年、無事故で運転してきた。」
そう繰り返すばかりです。

 当時、池袋で車を暴走させた高齢者が起こした事故が報道されていました。私も弟も、説得しようと躍起になりました。自動車をこすったり、自宅の車庫にぶつけたりすることがあったので、ついには頼み込んでお願いしました。子や孫のためにも返納して欲しいと何度も言いました。

 父は、足の怪我をしたり体調を崩したりして何ヶ月か入院しました。入院中にニュースなどを見ていろいろなことを考え気持ちに整理をつけたのでしょう。退院してから、自分の意志で、50年近く乗り続けた自動車の免許証を返納しました。

資格を捨てるタイミング

 そうこうするうちに、自分自身もいつまで自動車🚗を運転するのか考える年齢になってきました。実際、物件の下見に都市部へ行くときには自分で運転するよりも、長男に運転をお願いすることが増えてきています。

 普段の生活では、2車線の道路を静かに運転しています。しかし、都市部へ行くとなると4車線を渡って高速に乗るようなこともあります。かと思えば、自転車🚲の人がこちらへ向かって走ってくるような細い路地を通って行きます。
「おねがい!どいてどいてー!」
と心の中で叫ばないといけません。たとえ肩をすぼめても車幅は狭くなりませんので😁

 運転免許証を手放す時がひたひたと近づいています。その時には、父親にあれこれと話した内容を思い出し、潔く?返納しようと思います。自分で自由に移動できる手段を無くすことはつらいことです。田舎は車が生命線ですから。

 たとえ官公庁が運転を許したとしても、15年後の私の姿は、きっと運転を許されるものではないと思うのです。

 何かを手放すことは、喪失感を抱えることになります。しかし、チェルノブイリ原発事故が起こったかの地の〇ー〇〇さんは視野の狭い道を走る、高齢の運転手です。

手放す時期に来ているのではないかと思います。
潔く、平和のためにも
🕊


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