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家族のルールと社会のルール

 子どもの頃、お手伝いをしていました。共働きの親は、家の事をする余裕がなかったのです。一緒に暮らしていた祖母は、体が不自由でした。母は仕事・介護・育児といつも動き回っていました。居間でゆっくりとくつろいで座っている姿を見たことは数えるほどでした。

 子どもなりに知恵を絞り、少しでも母のそばにいるために手伝いをしました。庭掃き、板の間の拭き掃除、草抜き、お風呂洗い、お風呂沸かし、靴👟並べ、洗濯物干し、洗濯物👕の取り入れ、米洗い、土曜日の夕飯🍳の準備などです。高校生のころは、弟の弁当🍙も作っていました。

我が子のお手伝い事情

 我が子にも、お手伝いをさせていました。責任を持って家族のために仕事を継続するということを身につけてほしいと思ってきました。また自立する時に家事全般ができることは、生きていくために必要だと考えたからです。

 小学生になると、靴👟並べや新聞📰取りなどから始まり、徐々に、金魚の世話や水換えお風呂🛁掃除、洗濯👕物の取り入れなどを、教えながら手伝わせてきました。また、好きな料理🍛を手早く作ることは、生きていくために大事なことだと話してきました。

 私が働きに外へ出るようになると、仕事・育児と大忙しでした。家事をする時間がありません。最低限の家事(洗濯👕と料理🍛)に絞っていましたが、時間🕰はあっという間に過ぎていきます。
 繁忙期は、職場から帰宅した時に炊飯が済んでいると夕食開始時刻が早まるので、子どもには、夕飯分の米洗いと炊飯(スイッチを押すだけ)をさせてきました。

 しかし中学生になり、部活動や学習塾などで、家にいる時間が短くなり、お手伝いをする時間が無くなりました。小学生の頃は続けることができたお手伝い(お風呂🛁洗いと炊飯🍚)ですが、上の子が中学生になると順に下の子へと引き継ぎ、今は最終的に、親がしています。

 中高生になった子どもは多忙です。けれども大掃除は家族で割り当てて、一緒にしていました。受験生になっても、
「勉強よりも大切なこと。」
と言いながら大掃除に追い立てました。子どもが小学生だった頃の、まったりとした時間の流れは、ついに無くなってしまいました。

手伝いと仕事の境界は?

 私がずっと続けていた手伝いは、薪風呂の風呂焚き🔥です。小学生の頃から、木材を燃やし、沸かしていました。追い炊き機能がなくて、湯の温度が下がると、2,3本の小切れを入れ、再度火🔥を熾して追い炊きしました。お湯をたくさん使ったあとには、必ず水💧を入れ、追い炊きして湯量を一定にしておきます。体が不自由だった祖母を、母が入浴させる前に、毎日1時間近くかけ、確実に沸かしておく必要がありました。

 ある日、体調の崩れで、風呂の準備ができませんでした。熱🤒がありました。すぐに布団に入るように言われ、眠ってしまいました。気付いた時には夜で、
「しまった!お風呂を沸かしていない。」
と母に話すと、代わりに父親が沸かしたと聞きました。子どもながらに理不尽さを感じました。自分の仕事なのにできなくて申し訳ない気持ちと、
「なぜ私に責任があるの。」
と父親ができるなら普段も父親がすればよいのにという怒りにも似た気持ちが入り混じりました。

 一つのお手伝いをすると、両親は喜びました。もっとほめられたくて頑張りました。しかし、いつの間にかお手伝いが増えて、洗濯の取り入れ、夕飯の下準備など、母の仕事量に比例して家事分担が大きくなっていきました。



どうぞ、好きなものを選んでいいんだよ。



ヤングケアラーという言葉

 ある日のニュースで、ヤングケアラーの特集をしていました。

家族や幼いきょうだいを世話をする若者や子どもについての実態調査(国が21年4月に公表)が行われ、
全国の公立中学校2年生の5,7%(約17人に1人)
公立の全日制高校2年生の4,1%(約24人に1人)
が「世話をしている家族がいる」と回答したそうです。調査の目的として、「本人の自覚を促し、周囲がアンテナを高めて存在に気づけるように。」
と紹介されていました。


 母は、子どもの私に言いました。
「お手伝いをするのは、当たり前のこと。」
「昔の子どもは、学校を休んで子守をしていた。」
「みんな家族のために仕事をしている。子どもも家族のために働くこと。」

 体が弱かった母は、入院していたことがありました。そんな母のそばにいるためのお手伝いです。退院してきた日に母のもとへも行かずに、私は、せっせと掃除をしていたそうです。その姿を見て、
「なぜそんなことをしているの。」
と聞くと、子どもの私は、
「家に置いてもらうため。」
と答えたそうです。小さな頃の事なので全く覚えていませんが、家事負担と引き替えに、居場所を確保していたのでしょうか。

家族という閉ざされた集団

 今思えば私もある種の「ヤングケアラー」だったのかもしれません。お手伝いではなく、毎日の責任ある仕事になっていました。母は大変だったと思いますが、祖母の介護はしていません。下の世話や入浴などは、決して子どもの私には、させませんでした。母こそ、誰かの助けを求めていたでしょうに。

 反抗期になると、
「なぜ私ばかり手伝わなくてはいけないのか。」
と親を詰りました。強制されてきたわけでも、暴力で支配されていたわけでもありません。しかし、目に見えないもので縛られているという感覚はありました。
 実家の庭に池があり、錦鯉が泳いでいました。池の淵に腰かけ、じっと水面を見つめていると心が休まりました。うまく甘えることができない私は、つらい時には、水面💧、炎🔥、山🌳をぼんやり見つめる時間を作って、情緒を安定させていたのかもしれません。


 ある都道府県の調査で
「ヤングケアラー」の性別比は、
女性👧が62,3%
男性👦が35,7%
小学校から高校まで、いずれの年代でも女性が多い。
と新聞に記載されていました。

 性別分業意識がいつまでも残っています。長女の私は家事労働、弟は
「うちの大事な跡継ぎだから。」
と、ほとんど家事をしていません。ところが手先の器用な彼は、一人暮らしで家事をマスターし、料理も得意です😆


 ずっと、家族の手伝いや、手助けをするのは
「あたりまえのこと。」
と信じてきました。しかし、学校を休みがちになったり、精神的に不安定な時には注意が必要です。母も、その前の世代の子どもたちも、不安定な幼少期を過ごした子どもが多かったと思います。家族のために丁稚奉公に出されるなど、子どもの時代を犠牲にしていたのです。



「ヤングケアラー」という言葉を得て、やっと「当たり前の縛り」を解くことができます。わがままなのではありません。学業・就職・友だち関係に支障が出たら、サポートが必要なのです。

 話を聞いて共感してくれる人、支援してくれる人がきっといます。子どもや若者が担うケアの負担は大きいものです。身近にいる学校の先生・スクールカウンセラー・親戚の人・友達・近所の人・職場の上司や同期・産業カウンセラーなど、サポートしてくれる人は、必ずいます。
「助けて。」
と伝えてほしいです。

 本人が、家庭のルールの縛りを自覚し、周りからのサポートを得ることができますように。


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