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今日、私は唇にピアスを開ける。

なぜピアスを開けるのか。
私の耳には今左右合わせて8個、舌に1個ピアスが開いている。
なぜそんなに開けるのか。
なぜ耳だけではなく、舌に、唇に開けるのか。

あまり人からは理解されないということを前提に書く。
いや、むしろ理解されないからこそ書いているのかもしれない。

初めてのピアスは大学1年の時、高校まで続けていたピアス禁止だった飲食のアルバイトをやめ、なんとなく、で開けた。右耳の軟骨に開けた。
そこからなんとなく1つでは見栄えが気に入らず、並ぶように更に2つ開けた。1年生の終わる頃には、右耳の軟骨には3つ穴が開いていた。
春休みに行ったインドネシアで暑かったのか、ピアスが全て閉じてしまい、結局振り出しに戻った。
そこから2年生の冬前まで、1度も開けることは無かった。2年生の冬に右耳の軟骨を1つ開け直した。そこからまたしばらく開けることは無かった。

話は変わるが、私は小説家の金原ひとみが好きだ。
大学受験の面接の待ち時間に、『蛇にピアス』を読んで、衝撃を受けた。と、同時に、安心した自分もいた。
この自分の、今にも暴発しそうで、ぎりぎりのところで耐えていて、いつの間にか、どこからか傷ついて、ヒリヒリしたような痛みをこんなに的確に、他人に、表現されたことが衝撃だった。自分だけじゃないのだと安心した。
そこから貪るように金原ひとみの作品を揃えて読んだ。新刊が出ればすぐに買いに行った。
大学3年の春から夏にかけて、また金原ひとみの作品を読み返していた。
夏休みにふと気になって「金原ひとみ」とネットで検索した。検索結果は私のこれまでの「小説家」のイメージを覆すものだった。
左耳にはいくつあるのか分からないほどのピアス。右耳にも、唇にもピアスがあった。

かっこいい、と率直に思った。
見た目がかっこいい、と思ったのではない。
もし街中でこれだけピアスが開いている人がいたら、びっくりする人は多いだろう。敬遠する人もいれば、好奇な目線で見る人も必ずいると思う。
でも彼女はしっかりと、彼女自身の小説やエッセイなどの作品を通じて評価されている。

なぜ私がそう感じたのか。
22歳、女性、大学生。
正直に言うと、若いこと、女性であること、学生であること、これらは全て社会の中では弱い。少なくとも私はそう感じる。
ついでに言うと、あまり自分では言いたくないのだけれど、私の顔はブサイクな方ではない。特段美人でもないけど、どちらかと言えば、可愛い方だと思う。それに身長も168cmあって、高身長で、腰の位置が高くて、スタイルもいい方だと思う。(実際に顔面&体型審査あるアルバイト受かってるし。)
これが街中で、社会で、生活をしていてどれだけ嫌な思いをすることか。
電車で他の席が(なんなら端の席も)たくさん空いているのに、わざわざ私の横に座る人。満員電車の車内で、不本意である体を装いながら、わざと体をぶつけてくる人。痴漢されたこと。付きまといされたこと。街中でナンパされること、夜職のスカウトされること。短いスカートを履いていると足をジロジロ見られること。
若いから、女だから、学生だから、可愛いから、チヤホヤされることも多い。「得している」と思われるかもしれない。けど、私は得したいわけでは全くない。正直、体型や顔面を、特に異性に褒められるのは不快だ。

なぜ不快だと感じるのか。
私は聞きたい。

「あなたは今、誰と話しているの?」

害を与えてくる人、ちやほやしてくる人、どちらも私の女性性、若さ、学生であること、顔や体型、その一部を切り取って私と接していると感じる。
私がどんなものが好きで、どんな価値観を持っていて、どんな世界をいつも見ていて……。
私の中身になんて興味がないのだろうと感じる。
見た目でしか私を判断できない人達、私の外見としか付き合っていない人達と今までどれだけ関わってきただろう。

正直、外見が重要だということも一理あると思う。
TPOに即した服装、髪型。清潔感、ドレスコード。
それらはもちろん最低限普段から気をつけている。

私は、私のことを中身で判断してくれる、私の中身と付き合ってくれる人達と生きていきたい。
ピアスが耳や、体や、顔に開いているからといって、その人の人間性が変わる訳では無い。
私がピアスを開ける度に性格が変わる訳では無い。
今からピアスを増やしても、昨日の私と今日の私に大差はない。
それをちゃんと理解してくれる人達と仲良くしていたい。
仕事も、研究も、友達も、恋人も。
私の研究実績や、私の価値観に共鳴してくれる人と仲良くしていたい。外見は私を表す記号にはなり得ない。
正直、こんなに強くなりたくなかった、と思ってしまう時はある。
実際に髪をピンクとか紫とか、奇抜な色にしていると、私の一部を切り取って近づいてくるような人達は、面白いくらい途端に近づいてこなくなる。少なくとも電車でわざわざ横に座られることは無い。

私の中身と向き合ってくれない人たちよ、さようなら。

もしサポートしていただけたらご飯をちゃんとたべようとおもいます。からだの食事も。こころの食事も。