拝啓、わたしの救世主
自己評価の靴と修理の旅に出た村人Aの記録。
ヒールのゴムは消耗品だと思う。
私は歩き方が美しくない。姿勢も悪いし骨盤の歪みが顕著に出る。
雑に歩くから靴にはあんまり優しくない持ち主である。
この靴。試着の旅でたびたび褒められたこの靴。
買ったときの興奮はやや中2っぽくまとめてある。
月蝕の日に私のところにきたこの子。
私にとっては1日2万歩をさらっと歩くことのできる頼れる相棒である。
なんといってもヒールのクリアな紫が美しい。
私にしては丁寧に扱っていた。家に帰ったら埃と砂をブラシで落とし、状況に応じて拭いたり、つや出しスポンジで磨いたり。
けれどこの11ヶ月の間にすっかり消耗してしまっていた。
具体的にいえば、ヒールのゴムが摩耗してこのままだとアクリルを傷つけかねない。
だから、ほんとは1年たったらメンテに出そうと思っていたけど、ちょっと早めに動こうと思ったのだ。
私にしては破格の行動力。
が。
「お引き受けできません」
である。
天下の百貨店のリペアで受けてもらえないことってあるんだと最初の店舗では驚いて、でもまぁ別のとこに行けばいいよね、と楽観視した。
が、次の某百貨店でも苦笑の上、断られた。
その苦笑に乗せて言われたのは、「今後の靴選びの際には考慮なさってください」的なこと。
そうですね、とは言えなかった。
そのときの私はこの子の寿命が一年足らずで尽きてしまうかもしれないことに、それを引き起こしたのが他ならぬ自分であることに、深く傷ついていたから。
打ちのめされたと言ってもいい。
店員さんの言葉は重い棘になった。
改めて反芻していたら、悲しみのような怒りのようなものが沸き起こっていた。
私の選択が悪いのか?
そういう靴を売るブランドを否定してるのか??
消耗品だと割り切れと???
私はこの靴が履きたかったし、これからも大事に履きたいのに、これ以上消耗させないためには温存しなきゃいけないのか??
この悲しみと怒りは、「靴は自己評価」と大いに関係していた。
つまり私は靴を通して私自身を否定されたような心持ちになったのだ。
そりゃ怒るし、悲しい。
自分自身を正面から否定されたことって幸いなことにこれまでほとんどないから(というか否定されたとしても再解釈して躱してきたから)、今回のコレは再解釈がどうしてもできなくて、モヤモヤは日に日に増大した。
なので販売元に問い合わせた。
修理を請け負っていないことはホームページに書いてあるから知っていた。だから他のリペアショップを探したのだ。けれど一縷の望みをかけることにした。
で、紹介されたのが渋谷PARCOのソールジャックだった。
堂々の店舗名指し(笑) その確信を信じてみたいと思った。
一度目はこの子を履いて様子伺いに行った。
とりあえず聞きに来たんですけど、というスタンスで。また真っ向から否定されたらつらいから。
そしたら「壊れても責任は取れませんができますよ」と言われた。
接着剤だけだと剥がれるかもしれないし、釘を打ち込んできちんとした修理を施せばアクリルが割れるかもしれない。
責任は取れないと。
でも引き受けてもらえなくて頭ごなしに拒絶されるよりはずっとマシ。
ずっとずっとマシ。
日を改めて伺うことにした。
vironのクレープを帰りに食べて気分を晴らした。
しばらくして時間が取れたので改めて持ち込んだ。
わたしはそこで救世主に会った。
実際の持ち込みのときに対応してくれたお兄さんが、ほんっとーによくて、ここまでのモヤモヤを全部晴らしてくれたのだ。
私がまだまだこの靴を履きたいって思っていることに寄り添ってくれて、お店でできることを丁寧に示してくれた。
そのうえで、ご自身の意見を伝えてくださった。
お兄さんはそんなつもりはなかったかもしれないけど、少なくとも私には寄り添ってもらえたと思えた。
しょうがないから引き受けるんじゃなくて、前向きに考えましょうね、って雰囲気がほんとにありがたかった。
棘は丁寧に抜いてもらえた。
私自身も助けてもらったのだ。
接客って、たとえ店員さんが意図していなかったとしても、誰かを救うこともあるんだな。
新生パープルアイ
久しぶりに、この子と出勤した。
先日仲間入りしたyeeの水たまりショートジャケットにプリーツスカートを合わせて、足元はこの子。
制服だなと思った。
この先も、どうか一緒にいてほしい。
だから救世主、また何かあったら会いに行きます。
救世主が存在しているっていう事実に、確かに私は救われている。
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