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詩人。詩集『二月十四日』(龜鳴屋)を刊行。

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最近の記事

おじいちゃんの「洋食や」

2014.7.24 たいめい軒主人だった茂出木心護の著書『洋食や』(中公文庫 電子版あり)の解説は、詩人の高田敏子が書いている。  「茂出木さんは昭和六年中央区新川に「泰明軒」を開店されて、戦後の二十三年、日本橋に移り「たいめいけん」となった。そのお話をうかがって、私は「泰明」時代の洋食をいただいていたことがわかった。私の生まれは新川と川一つ距てた小網町、母が新川に隠居所のような住

    • 鏡花と「旅行笑話」

      • 太鼓腹の謀主と呼ばれた人

        2014/6/1 梅雨にさしかかるこれからの季節は、気候のせいで身体がだるくなりがちだ。こんな時期は、ビタミンの補給に豚肉を食べるといいと聞いたことがある。しかし、今年はエルニーニョの影響で、冷夏という噂はどこへいったのやら、6月に入ってもう30度を越えている。もうこうなると、夕餉には素麺とか冷奴にありつきたいばかりで、肉を食べたいという気持ちは、ある程度元気がないと湧いてこないものである。  『ゴンチャローフ日本渡航記』(講談社学術文庫)は、1853年に日本に通商を求めて来

        • ホウキ草と詩人たち

           草野心平が開いた酒場の顛末記である『火の車板前帖』(橋本千代吉 ちくま文庫)を読んだ。  同じ郷里の大詩人に声をかけられ、板前として雇われた若者が、主人や客にもみくちゃに翻弄されるうちに、広い世界を識っていく成長記として、その一冊は面白かった。ただ、詩人草野心平については、数編の作品以外は、あまりに無知で来てしまったために、この食通で知られる詩人のことを、今まで何も書けずにいた。ひとつだけ、この詩人がらみで記憶にに残っているのは、昭和四十年代か五十年代の酒肴の本に寄せた記事

        おじいちゃんの「洋食や」

          2016年 6月11日(土)の中日新聞 「発言 ヤングアイズより」

          今から4年前の仕事の手帳に、仕事のメモに混じって、中日新聞の投稿欄の記事がまるまる引き写されていた。当時12歳の小学生が書いたキャラ弁を作ってくれるお祖父さんの記事である。以下引用。 私の家には両親がいません。妹と祖父の三人です。私や妹の保育園送迎も祖父でした。祖父は新聞配達をしながら私たちの食事や洗濯をしてくれます。遠足のお弁当は、お友だちが驚くようなキャラ弁を作ってくれます。優しくて大好きなおじいちゃんです。でも怒るとすごく怖いです。 妹は小学2年生です。軽い

          2016年 6月11日(土)の中日新聞 「発言 ヤングアイズより」

          https://photos.app.goo.gl/tXb231mLjqQiJnxC7 ひすいを拾いながら眺めた冬の海です。

          https://photos.app.goo.gl/tXb231mLjqQiJnxC7 ひすいを拾いながら眺めた冬の海です。

          いつの間にかこんな国に生きている平和を願ってまだ生きている

          いじめ 差別 あらゆるハラスメント たいまつをかかげて 過去をよく見て 昔はよかったにしない 人の話を聞き いたみを分かち合い 他人事にしない そうやって生きていくのが 当たり前と思い 持ち場を守ってきた 歴史は塵からできている そう信じているから 軽い言葉を垂れ流す者 それを編集する人 どんな顔を隠して その後ろにいるのだろう 本当のことを言わないことで 何を守ろうとしているのか いつの間にかこんな国に生きている平和を願ってまだ生きている

          いつの間にかこんな国に生きている平和を願ってまだ生きている

          市振海岸

          フォッサマグナミュージアムの展示室に入ってすぐ、二人の故人のコレクションが陳列されている。2010年に須沢海岸でひすい採集中に高波にさらわれて亡くなった「ヒロさんコレクション」(展示開始2013年6月1日)と市振在住の故·扇山ヨシ子さんの「扇山コレクション」(展示開始2017年10月5日)。 こちらの扇山ヨシ子さんは、生前は朝夕欠かさず海岸に通い、時には20数キロのひすいを自転車の荷台にくくりつけてきたというエピソードの持ち主で、NHKの美の壺「日本の国石ヒスイ

          市振海岸

          ただひろう、ただただひろう

          DairyPortalZの石ころ拾いの記事で知った宮田珠己『いい感じの石ころを拾いに』(中公文庫)は、元の河出書房新社刊になかなか出会えず、去年文庫になってから年末にやっと手に入れて読んだ。 最初の石ころ拾いの地が糸魚川から始まっているのに親近感がわく。ただ、筆者はひすいを拾うために行ったのではなく、浜に石がたくさんあるという情報があったから出かけたようだ。現地では、気の向くまま浜の石ころを拾う。そして捨てて拾ってを限りなく繰り返し、それが一文の価値のないただの石でも

          ただひろう、ただただひろう

          石をひろいに糸魚川

          たまに糸魚川にひすいを拾いに出かける。一昨年から三度でかけただろうか。ひすい拾いとはいうものの、自力では、まだ一度もひすいを拾えていない。 最初にでかけた時は、浜にある石が全部ひすいに見えて、大興奮のうちにあれもこれもと拾い、フォッサマグナミュージアムに行って見てもらった。だいたいが石英、そして、キツネ石と教えられ、当たり前のコトなのだが、ひすいの希少さを知ることになる。 二度目に出かけた時は、「形が丸くなくて、白っぽい、滑らかで持ち重りがするもの」と

          石をひろいに糸魚川

          今日のメモ 新美南吉

          半田にハンバーグのおいしいレストランがあると聞いて出かけていくと、新美南吉記念館がそばにあったので寄った。 新美南吉は昭和18年に29歳7か月で亡くなっているが、展示を見ていくと、そんなに短い人生とは思われないほど、様々な場所で学び、職を変わり、師を見つけ、見捨てられ、幾人も人を愛し絶望し、何よりも書きまくっている。手紙も日記も作品も。 子どもの頃の印象で、「ごんぎつね」を書いた人くらいの知識しかなかったが、記念館の資料をみると、代用教員として働い

          今日のメモ 新美南吉

          今日のメモ 『我が愛する詩人の伝記』室生犀星 ふしぎに温かいもの

          立原道造の章では、津村信夫と見舞った記憶を語り、その後にこう付け加えてある「この苦笑をしている津村信夫も、それから何年かの後に死ななければならない人だった。つぎつぎに生きている人が生きたままで人を見送り、死ぬ人は死ぬときを決して知ることの出来ない面白い生き方を、きょうは厭でも、していなければならなかった。」お見舞いの後、中野の町の珈琲店で二人はジャムをつけた固いパンを齧り合ったとある。 その後、津村信夫が病に倒れ、堀辰雄と見舞った後に銀座を歩く。「二人ともたすか

          今日のメモ 『我が愛する詩人の伝記』室生犀星 ふしぎに温かいもの

          そしてまた和田芳惠

          年明けに善行堂で買った『和田芳惠自伝抄』(私家版)。これ、面白い。和田が研究した樋口一葉には「奇跡の14ヶ月」という時期があるが、和田芳惠も晩年に評価され、寿命と競争するかのように書いていた。 善行さんに河出書房新社から出ている『自選 和田芳子惠短編小説全集』も薦められ、サインつきなのを見て「なんか怖いからこっちはいいです」「いやべつに怖いことないよ」とやりとりしたが、買うのをよさなくてよかった。でないと自伝を読んでも、この作品を、と思ってもすぐ文庫で読むとか

          そしてまた和田芳惠

          保育士試験顛末(その12) 惨敗、桃太郎

          19歳の時に、鳥越信『桃太郎の運命』(NHK出版)を学校の授業で読んでから、桃太郎とは距離を置いていた。 誰でも覚えやすいシンプルな話だからこそ、時代によって様々なものを背負わされてきたこのおはなしを、ただ無邪気に語り継いでいいものかと考えさせられる内容の本だった。 袖ヶ浦市立奈良輪小学校六年生の倉持よつばさんは、2017年に「図書館を使った調べる学習コンクール」で高速道路の研究でNHK賞を受賞した。賞品として『空からのぞいた桃太郎』(影山徹、岩崎書店)をも

          保育士試験顛末(その12) 惨敗、桃太郎

          保育士試験顛末(その11) 実技試験のお題

          保育士試験の実技が1度で受かるか心配だったので、令和2年保育士試験の受験申請書を取り寄せていた。もう必要ないが、今年、6月28日に行われる実技試験の内容を見てみると、「音楽に関する技術は」「大きな栗の木の下で」と「ニャニュニョのてんきよほう」をピアノ、ギター、アコーディオンのいずれかで演奏すること、になっている。 去年の「バスごっこ」もあんまりなじみがなかったが、「ニャニュニョのてんきよほう」ってなんだろう。 一昨年は「アイアイ」と「おかあさん」だったから、

          保育士試験顛末(その11) 実技試験のお題

          保育士試験顛末(その10)因果応報

          年末、保育士実技試験が終わった一週間後、高校の時からの友人とご飯を食べた。友人は漫画好きで、昔から年賀状に華麗なイラストを描いてくる。 保育士試験は、ピアノがマストだと世の中では思われているが、指定されたお話を暗記して演じるものと、当日指定された題で絵を描くものを選べば、試験ではピアノは弾かなくてもいいのである。 「ほうか、ピアノを弾かんでもいいんやな。イラストなら高校の時にスケッチ描いとったで、よかったかな」 「それが、ピアノよりましやとおもっ

          保育士試験顛末(その10)因果応報