望むのは自由だから
私は頭の中に羽が生えてる。
と自分で思う。
「こうなればいいのに」
そう思う事がたくさんある。
いつも考えている。
理想的な世界を思い浮かべるのが好きだから。
例えば、世の中の人が全員落ち着いて心穏やかに暮らせば、自然災害もなくなるんじゃないか。
とか、
落ち着いて過ごすためには、あらゆる時間の使い方の優先順位を、適正にすれば良いんではないのか。
そのために、割く労力が足りてないだけなんじゃないか。全員がその視点で考えたことないだろうから、一度考えてみたら、きっと何か変わるんだろう、って。
そんな自分は友達や周りの人と話してても、ちょっと浮世離れしているのかもしれない。
そんな事ばかり考えてる人なんて、あんまりいないし。
でもなんだろう、
きっと、私にとっては、考えることこそが希望だった。
理想の世界を思い浮かべてないと、やってられないぐらい、本当に、「なんで」って思うことが多すぎた。
およそ、人間の作り出した無様なものを、理解出来ない。
だから、毛嫌いして、なかったことにしようとしてるんだ。
小さい頃は散歩していて突如現れる不格好な「擁壁」:斜面の土を固めておくコンクリートなどの塊。 の存在を理解できなかったし、
世の中の不公平や理不尽。なぜ社会にはボスとそれ以外が存在し、取るものと取られるものが生み出されるのか。
そんなことが、理解できない。
今でも受け入れられないんだ。いい大人なのに。
まるで人間になりたての犬みたいに。
そんな「受け入れられない」事には目を伏せてずっと生きてきた。
だから、目を開けてられないから、頭の中に羽を生やして、理想的な世界を思い描くんだ。
打たれ弱い、心の弱い私にとってはそれしかできなかったんだと、今になってわかる。
たまに思いあがって、自分の思い描くことは、ひょっとしたら周りの人はやろうとしてないんじゃないかなって思う。だから、やってみたら、世界が変わるはず。なんて思うこともある。
でも実際に声をあげたら大抵は嫌な顔をする人が大勢いるんだよね。言ってみてわかった。
きっと、いま生きているこの世界を愛しているから。そんな人は、余計なことするなと、言うのかもかもしれないね。
人と意見が違うと無様に落ち込む私だけど、これからはそんな自分も相手も少し受け入れて、それでこの世界を愛せたらな。
愛してない世界なんて、きっと変わってはくれないんだろ。
だから、それから時間が経って、世界を愛せて、1mmでもこの世界が変えれたらなって思う。
やるせないだけの限りなく弱く、どうしようもない自分から生み出された「望み」かもしれないけど、周り周って誰かを癒せたらそれ以上のものはない。
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