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映画感想戦『ミステリという勿れ』

「子供って乾く前のセメントみたいなんです」
環境や周囲の大人によって欠けたり落としたりする。なんてセリフ、どうやったら思いつくんでしょうね。

⚠️ネタバレあります⚠️

今回は原作の漫画を読んでいたので誰が犯人かはキャスト発表時点で知っていたんですけれど、しかし改めて見るとやっぱり楽しいし面白い。
主人公の性格が難解で、独特で、常に静観しているからこそ、謎解き要素に注視できます。余計な主観が入らないの、とても助かる〜!!
ドラマシリーズも見てたんですが、実写化してこれほど見やすくて面白いのはなかなか無いんじゃないかな〜と思いつつ、菅田将暉が好きゆえの贔屓目です。ガハハ。

この作品で一番面白いところは、整くんが固定観念を破壊してくれるところだと思ってます。思わずなるほど、改めて言われると確かにそうだな、と腑に落ちる。言ってほしい言葉、かつて言ってほしかった言葉である気がして心惹かれます。
「僕は常々考えているんですが…」の文言を今か今かと待ってしまうな。

「子供って乾く前のセメントみたいなんです」
これは今回の特に重要なセリフ。子供の頃に落とされたものはそのまま形が残ってしまう、欠けたり割れたりする。幼い頃の環境や周囲の大人によってセメントに跡が残っていく。
蔵の中に何があったか教えてくれないユラさんに対して、その娘に聞き出そうとネオくんが唆そうとした時、整くんが止めます。子供を密偵のように扱い、親の足を引っ張ってしまったことを一生悔やむかもしれない可能性を指摘され、子供はバカだから分からない、あるいは覚えていないとあしらうネオくんに、「貴方は子供の頃バカでしたか?」と逆に問いかけるシーンも良かった…!子供の頃って案外覚えているし、子供なりにちゃんと考えてるんだよな…!

そして二度目、汐路ちゃんの企みを止めた時。
汐路ちゃんが祖父から「殺しあう一族なんだ」「お前もそうなる」と言われていたことを知って、「どうしてそんなことを子供に…」と整くんもびっくり。意図的にそう育てようとしてるんですか?と思うくらい環境が悪いし教育に悪い。情操教育を怠るな。

犯人の使命感、強迫観念を感じる言動にもまた、乾ききる前のセメントにいくつも跡がついたんでしょうなと感じさせます。一族の歴史、隠すべき所業をあたかも崇高な行為として教えられていたのかな。自分で考える能力はありそうなものなのに、根深い人間たちだなあと思いました。

親子の関係って親密で、その分影響度高いですよね。私も子供の頃母によく「普通こんなことしない」「それはおかしい」という出だしで叱られることが多くありました。
もちろん私に非があることだったり、危険なことをした時のことなので当然かもしれませんが、特に非がなく個人的な意見として何かを話した時、「普通に考えたらそれは違う」とか「変なこと言うね」と否定から入って来るもんだから、成長するにつれて違和感を感じるようになりました。
思春期はその言葉に振り回されて、彼女の言う普通の尺度に見合うよう必死こいたりしましたけど、最近はようやく自分の尺度で物を見れるようになりました。今でも普通とかおかしいとか、体裁とか、そう言う言葉や素振りが嫌いです。もっと言えば、そのまま彼女の尺度に従って、やがて他者にも強要してしまったかもしれない、あるいは既に誰かに押し付けてしまっていることが恐ろしいんですよね。
だから乾く前のセメントと称された時、もどかしい気持ちを言語してもらった気になりました。私は悪くなかったと言いたいんじゃなくて、ただマァそういうものだったんだと明確に輪郭を持ったことが嬉しかった。私は落とされた跡をきちんと埋められたのか分からないけど、今は母との関係もいいので大丈夫なんでしょう。

「カウンセリングを受けるのも良いと思います」と整くんは汐路ちゃんに提案します。カウンセリングって正直、日常生活が困難になるほど精神を病んでしまった人が受けるべきという気がしてました。
でも何かしらショッキングな出来事を受けたらまず専門的な知識を持つ人と話すこと、自分の心に向き合って修復することって必要なんだと思いました。どんなに些細でも、自分でも大丈夫と思っても、胸中のわだかまりは解消すべきだ。
海外の常識と日本の根性論を比較して、「弱くて当たり前だと誰もが思えたら良い」という言葉。弱い部分を恥と思うのでなく人間として当然であると思い、自分と他人を許すことができたら、きっともっと生きやすい社会になるでしょうね。
小さくて無視しがちな「当たり前」を気付かせてくれる作品でした。
やっぱ面白いわ〜〜〜

以下好きな言葉たち↓

『僕は死んだら何もなくなるんだと思ってます。眠るのと同じ感じで、ただ夢も見ないし2度と起きない。織田信長も言ってます。死んだら無になるだけだと。だって意識や記憶を持ったまま天国や地獄に行くなんて面白すぎるでしょう。記憶がなかったら自分じゃないし。何もかもなくなる。つらいのも苦しいのも恨みもなくなる。ちょっと悔しいけど、そうだったらいいなと思うし、そうあってほしいです。』(単行本4巻)
電気をスイッチを切るみたいに、パチンと意識がなくなってしまえば良いなぁと私も思います。意識や記憶、感覚なんて持たずに、ただ終わるだけであればいいな。何もかも無になるなら、私自身が知覚することがないなら、そうであってほしいです。

『引きこもりは、引きこもりそのものがいけないわけじゃないと思うんです。もちろん外に出たい人が恐怖で出られないとかは別です。引きこもってる方が性に合って生きやすい人もいる。学校は構成する人間によっては楽しい場所にも地獄にもなります。地獄が解消されないなら休むしかなくなります。ただその場合、継続して授業が受けられること、それが絶対重要になります。どこにいても同じように勉強できる。資格も取れる。そうあってほしいです。』(単行本8巻)
本当にそう。集団生活や複数の人間と関わりあうことが苦手…というより不得手?なのですごく分かります。学生時代、持病の仮病でめちゃくちゃサボって一人の時間を確保するのが精一杯だった。勉強はそれなりに好きだったし本を読んでいたかったんですが、友達とか部活とか煩わしかった。でも家に帰るのも親に心配かけるのも嫌で、数時間だけ駅のベンチでボーッとしたり、ショッピングモールを歩くだけしたり、無意味な時間だったかもしれないけど、私には必要だった。その時に今でいうオンライン授業が主流で、選択できる状況であったなら、まだ有意義なだったろうなと思うんです。

『最近”痴漢”というと”冤罪”という声がまず出るようになりました。男性の方が声が大きいてこともありますけど、冤罪の可能性ばかりが論じられてる。まるで痴漢事件の一番の問題は冤罪が起きることかのようです。でもそうじゃないです。一番の問題は痴漢の被害者がいることです。”冤罪”の声が大きくなると、ほんとの痴漢の被害者が声を上げにくくなります。声を上げても冤罪を作るのかと言われ、そちらの方が大事かのように問題をすりかえられる。(中略)ほんとなら男女関係なくみんなで痴漢を憎めばいい。でもなぜかそうならない。海外の人は、日本に行くなら痴漢に気をつけろと言われるそうです。痴漢がなくなれば冤罪もなくなるはずなんですけどね。』(単行本8巻)
社会の大多数は未だに男性の声が大きく、必ずしも女性を軽んじているわけではないだろうけど、しかしどうしようもなく男性優位に見える。都合の悪いことを切り捨てるためにイメージを固めていく動きというか、本題のすり替えがあると思う。こと犯罪においては犯罪者が100%悪いのであって、被害者には非が一ミリもないと思うんです。状況や心情など諸々を鑑みれば揺らぐかもしれないけれど、行ってしまったことに関しては犯罪者が一番悪いし、被害者になすりつけるべきじゃない。

漫画まだ連載してます?
単行本買おうかな…。
ところでドラマ2期はないですか!?!?

以上、脈絡のない感想文でした。

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