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ゾンビあとがき

〈あとがき〉

なんてしっかりとした、
立派なものではなく、
〈ふりかえり〉と補足でしょうか。

平沢進さんをテーマ曲かBGMのようにして、ゾンビ時代というか、あの時間達が、ひとつのパラレルのように感じられたんですね。
あの時空の、あのカプセルの中に
キラっと光みたいなものが、チラチラしてるなー
で、カプセル自体が光でもあるよなぁ…と。
なので、「ゾンビの光」

ふと。
と、いう感じで書き始めました。
いつも、急に来るんですよね。
で、流れが来たら逆らえない。

ゾンビを書き始めるまで
毎日毎日、松村先生の動画を見たり、お話しを聴いていたり、長年途切れ途切れに自分の中に溜まっていた占星術やスピリチュアル的なことの知識と体感。

それらは、ひとつひとつは水滴のようにとても弱くて、儚い、ほとんどがどこかに消えて無くなってしまった。
それ以外ないだろうと思っていました。
自分でココって決めた場所に、雫を、ちゃんと目撃しながら溜めているような感じじゃなかったからです。

それが、なんていうか
意外と溜まってた。貯まってた。
で、溢れた。
そんな感じでもあるし、同じ場所にずっと雫が落ちていたから、なんか貫通しちゃった。
別の知らない場所に出た。

あと
型共鳴のように、今回セミゾンビになったことで、あのゾンビ時代を今のこのゾンビ状態から眺める、書いてみる。
そんなことが始まってしまった。
そんな感じでもあります。

ゾンビ時代、ゾンビパラレルを外から眺めたり、グッと近くに寄ったり、ズボッと中に入ったりしながら。
ズボッと入るその感じは、ゾンビパラレルに入るだけでなく、あの当時の、あそこに居た、日々を過ごしていた個体である「自分」の中にもズボッと入る。

当時の自分として「見る」や「感じる」をしながら、もっと外からそれをしている自分を「見」たり、「感じ」たりしている自分がいて、これは〈過去〉と呼ばれているある時代、ある空間みたいなものを〈思い出す〉時に、これまでも幾度となくしてきていることではあります。

あの時「こんなことがあった」「こんなことを感じた」と話したり、書いたり。

でも、それは単なる「思い出話」であって、どこにも向かわず、表出したとしても、しばらく漂って消えてゆくシャボン玉みたいな感じです。

今回のは、初めから「ひとつのまとまり」になることは、うっすら感じていた。「なんかできあがるっぽい」みたいな感じですね。

添付している曲は、そのゾンビ時代によく聴いていたもの。
つけている画像もほぼ自分が撮ったものです。
コラージュするみたいに、自分の手持ちのものから
「これかなー」と。
かなり意外というか、ちょっと驚いてしまうくらいピッタリの画像があって。

最後の画像は、あの画像にすると
初めからなんとなく決めていたのですが、何年前かに撮った時は多分「きれいだなー」くらいだったと思うのですが、「裸馬乗り」そのものみたいな写真。(自分のジオの太陽サビアン)

書いている最中
どこに向かっているのか
どれくらいの長さになるのか
話をどこに着地させるか
自分でもどこに着地するのか全然見えていない中
最後の曲は
「救済の技法」だということだけ
途中で決まりました。

ゾンビシリーズを
書いている間ずっと
「なんとなく」がしょっちゅう出てくる「なんとなく」ばっかりだったのに、
常にとても「はっきり」としていたんですよね。
何がと言えないんですが
「何かがとてもはっきりしている」
迷いようがない感じ。




この
「わからない」→「わかる」
「見えない」→「うっすら見えてくる」
書いている最中何度かありました。

自分の描く
「変な絵」のプロセスによく似ていました。

話の途中にビーズが出てきますが、これも書きながら「ふと」出てきたワードです。

自分のヘリオセントリックのネイタルチャートの水星のサビアン
「ビーズを売るインディアンの女」
があります。(今、確認しました)

ふと「ビーズ」というワードが出てきた時、なんかどっかにこのサビアンあったな…くらいは思いましたが、ジオセントリックだったかヘリオだったか、そしてどの惑星だったかも全く覚えてないし、その時は書く事にモードがなっているので改めて確認もせずでした。

ゾンビシリーズを書いている期間中、何かに動かされている、書かされている感覚だけはずっとありました。

相原あすかさんの言う、
「ゆるゆるポイント」
セミゾンビになり、いわゆるガッツリ、どっぷり地球人、地球時間でガッチリ地球に、個体として存在できてない
「もはや存在自体がゆるゆる」
になったことで、恒星意識がダイレクトに入って来ていたのかもしれません。

いやそんなことないよ
恒星意識って、そういうことではないよ、そういうものでもないよ
なのかも知れないけれど、
だとしてもいいのです。
「これは違う」
そうわかることは、
理解に一歩近づくと思うんです。

この地球にいるままで、地球人の感覚のまま「わかる」ことには限界がある。
そうだとしても、すごく雑で乱暴な言い方なのかも知れないけれど、
あるひとつのもの。
魂みたいなものが、地球という場所に何か目的を持って向かった。

少しずつ細分化しながら。
相応しい場所や、出来事や登場人物を設定しながら。

だから元々はZも宇宙人(父)も全部自分。
自分が細分化されたものに過ぎない。
あの人もこの人も、あの場所も、あの出来事もぜんぶぜんぶ…。

話を「救済の技法」に戻します。
わたしはとにかく生きて来た場所、仕事、立場、身体状況、それらにまつわる人間関係、経済状況
ありとあらゆることが安定しない中で生きてきました。

つまり立場であれ、経済状況であれ、身体的なものであれ、羨望から憐憫に至るまでを忙しくかなりバラエティ豊かに経験してきたのです。

こういう風になると、こういう目で見られる。こういうことを言われる。こういう扱いをされる。
などの他者(外側)からのもの。

また、こうなるとこう感じる。こんなことを考える。こう思う。自身をこう扱う。など。内側からのもの。

これらは、流れがそうだったので、常に別視点(別バージョンだった時の自分)から見たり、感じたりできたのです。
安定的なものがひとつでもあれば、こうはいかなかったと思います。
抜群の安定的な「不安定さ」があったことで、どんな時もどっぷりとしっかりと地球という場所を生きるひとつの個体としての「自分」にはまりこまずに済んできた。
安定的な連続した自分が無かった。
なので、違う言い方をすればはまり込むことが「出来なかった」のです。

占星術は自然…宇宙…どっちでしたっけ?
自然科学or宇宙科学及び哲学。
松村先生が仰っていたのを聞いたことがあります。
要は、この世界の仕組みについて研究されてきた分野なんですね。
され尽くしてるくらいじゃないでしょうか。

この研究は、おそろしく長い時間、膨大な人々が行ってきて
地球っていう場所の仕組みや特徴、そこに生きる人間とその仕組み
みたいなことも、相当わかってきている。自ずと、宇宙においての地球のこと。宇宙のことも研究せざるを得ないですよね。

で、「救済の技法」
松村先生が伝えてくださっているのは、まさしく「救済の技法」だ!

これがピカーン!!と
めっちゃ光ったわけです。
ゾンビの光はここに繋がっていたのか!と。

松村先生の動画なんて
毎回睡魔と格闘しながら
一発で頭に入ったことなど皆無!
ではあるんですけどね
なので、多分わたしが理解できていることなんて
ほんの爪垢くらいのものだとは思うんですけども。

あ、話がいきなり変わりますけど
わたしのヘリオの地球ポイントのサビアンが
「座ってすべての手足を振っている大きな熊」なんですよ。
自分ってゆーもの中にある偏りや頑固さみたいなもの無くすべく、知性であれ身体性であれ、訓練していく。みたいなサビアンらしいのですが、これがジオセントリックだと「裸馬乗り」になるわけです。

体感としてはですよ
落ち着かないし、もう毎回クタクタのヘトヘトになるし、今回だってもう「いいかげん勘弁してくれ」ではあるんですけど、こうして眺めてみると、、、
なんということでしょう!
見事としかいいようがない。

「裸馬乗り」な地球人生を送ると
それはもう自動的に
「座って全ての手足を振っている大きな熊」の目的や意思をひとつひとつ達成しようとすること、達成していくことになる。

ヘリオの地球ポイントは
「そもそも地球に何しに来たか」
みたいなものらしいのですが、
ある程度長く生きてみて、色々データが揃ってみるとですよ
ジオとヘリオがどういう関係性か、どう繋がっているのか
いちいち体感を伴いながら、腑に落ちてくるんです。

すごい世界です。占星術。
ていうか、松村先生がほんとうにすごい。

占星術は奥が深すぎて、網羅していることが果てしなく広すぎて、
その一部分だけでもある程度しっかり学べば、とても面白いし、誰かの役にも立つし、救いにもなったと思うし、実際そうだと思います。

でも、例えがちょっと
アレなんですが
自分くらいの重症な患者の場合
とんでもない技術とキャリアのあるお医者さんでないとダメだった。

そんな感じです。
ちょっと診てもらったら、なんかもうだいぶ楽になった!みたいな。
どんなお医者さんにかかってもダメだったのに!みたいな。

いやアレですよ
松村先生が診てくれたわけじゃないですよ。

松村先生を通しながら
占星術の世界を学ぶことで
自分で自分を楽にすることができつつあるってことです。

何にせよ
松村先生が惜しみなく
睡眠学習用的な匂いを充満させつつ
日々お話しくださっていることも
これまでのちょっと、目眩を覚える業績、書籍の数々も
まごうことなき
「救済の技法」だ
って、とこに辿りつきましたよ。
という、お話しでした。

そして
平沢氏がまたすごい!
すばらしい!!!!




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