リベラリズムに基づきポスト日本型福祉社会を構想する8つの視点と16の書籍


背景

  • 児童手当の所得制限撤廃が、自民党幹部から国会の質疑で出されるなど、日本でも普遍的リベラリズムに則った福祉政策がついに生まれるかと期待されたが、既に縮小傾向にある。自民党は元来保守政党であり、これ自体はおかしな話ではないが福祉国家として後発国であることによる社会の閉塞感は限界に達しているに思える。

  • しかし、国民の間では、所得制限撤廃も単純な世代間対立つまりデモクラシー民主主義と揶揄されて話が進展しないが、今の日本に必要なのはポスト日本型福祉社会をリベラリズムに基づいて再構築することであると考える。

  • そのための研究領域とおすすめ書籍をまとめてみる。

(1)政治経済学_福祉レジーム

概要

  • 日本を世界の中で位置づける際に、「かつてGDP2位の経済大国」「ジャパン・アズ・ナンバーワンと称された国」と、過去の栄光を起点に考えることが多いが、率直に不毛な議論であると思う。単純な経済規模で見るのではなく、国家としての質を見るべきで、福祉レジームはそのための有用な視点を提供してくれる。まず福祉レジームの観点で日本を国際社会の中で位置づけることが、日本の未来を考える上で極めて重要に思う。

  • 国家は福祉国家として収斂していくという考えのもと、国家や地域単位での類型化を試みる研究。ベースの類型化は以下の3つで、日本はどれに当てはまるか?等の研究が進んでいる。

    • ①自由主義レジーム:イギリス、アメリカ

    • ②保守主義レジーム:ドイツ、フランス、南欧

    • ③社会民主主義レジーム:北欧

  • 日本は?

    • 複数の議論があるが、時間軸の観点から整理を行った「後発国の中での先発国」が観点として面白い。

      • 経済大国ではある(かつではGDP2位)が、福祉国家としては後発国という認識が大事に思う。

  • なぜ北欧は昔から福祉国家?

    • →貴族の土地所有が少なく中小農民層が多く、階級対立が起きにくく、均一な労働者階級ができた。左派政権が労働者階級以外にも支持を広げることに成功した(保守政党が幅をきかせる日本とは真逆)

  • 日本を始めアジア諸国をどのように捉えるかは多様な議論がされている。福祉レジームはデンマーク出身の政治学者であるエスピング-アンダーセンが作った理論であるが、欧州初の理論をそのままアジアにも適用できるのか、独自の理論がアジアから生まれるのか等まだ議論が続いている。

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なぜ日本では、新たな状況に対応する政策が進められてこなかったのか。他の先進国と何が共通し、何が異なっているのか。20世紀の先進国に現れた福祉国家は今日どこに向かっており、先進国のあいだでどのような分岐が見られるのか。私たちにはどのような選択肢が残されているのか。

日本の問題点は、行きすぎた新自由主義的改革によって富裕層と貧困層への2極化が生じたということではなく、失業・低所得層への行きすぎた保護や再分配が行われているということでもない。他国に比べて水準の低い公的福祉が維持されたまま、「インサイダー/アウトサイダーの分断」が顕在化し、それへの実質的な対応が進んでこなかった、という点にある。1990年代から試みられてきた「政治改革」とは、政界内の権力獲得をめぐる競争と結びつくにとどまってきた。従来のレジームをどう再編するのかという大きなビジョンをめぐる競争は、今日に至るまで根付いていない。

1人ひとりに対して将来の選択肢を提示するためには、ワークフェアを掲げてトップダウン型の意思決定をとる政党と、自由選択を掲げてアウトサイダーへの支持層拡大を進める政党を中心とした新しい政党の競争空間が構築されることが望ましい。政治の側がこうした条件を満たせるかどうか。そして1人ひとりがこうした条件にしたがって政治のあり方を厳しくチェックできるかどうか。これらの要件が、日本社会の将来を規定していくことになると考えられる。

日本や韓国の福祉国家の国際比較的な特徴を明らかにするためには、福祉レジーム論には含まれていない時間軸の比較視点を取り入れる必要があるということである。時間軸の比較視点から「後発国」としての日韓の特徴を探ることによって、単に「座りの悪さ」や「代替関係」を指摘することにどどまらず、その背後にある歴史的経路や因果構造の問題を明らかにすることはできないだろうか。

日韓両国が「後発国」とはいえ、日本は「後発国」としての韓国と区別され、いうなれば「先発国のなかの後発国・後発国のなかの先発国」としての位置づけになるといえるのである。

(2)家族社会学

概要

  • 上記の福祉レジームの中でも、家族や働き方により焦点を当てた研究領域

    • 保守主義レジームの中でも、ドイツや南欧が少子高齢化な一方、フランスは少子高齢化から脱却できている等の疑問に応える。

  • 欧州諸国でも人口減少に歯止めをかけることに成功した国とそうでない国があり、日本との相違はなにか。

  • アジアNIESは日本よりも少子化が急速に進んでいて、その共通項はなにか?

  • 一方、人口減少自体は経済成長と必ずしも相関しないこと、人口増加よりは予測がつくので対処が行いやすいなど、人口減少そのものをネガティブに捉えない議論も多い。(マクロ経済学や都市工学の領域なのでここでは割愛)

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一足先に工業化や雇用労働化が進んだヨーロッパ社会では、実は専業主婦の比率が高い時代が比較的長く、実に七割を超す女性が働いていなかった時期もあった。しかし日本では、最も女性が働いていなかった時期でも専業主婦の比率は五割を超す程度だった。なぜこうなるのかというと、日本では女性が家業から抜け出て主婦化する動きと、雇用労働化する動きが同時に進展したからだ。そのために欧米社会と比べて専業主婦の割合がそれほど増えなかった。いうなれば、日本の女性は常に「よく働いてきた」のである。 では「女性の社会進出」とは何なのだろうか? それは「働く女性」が増えてきたというよりも、「家業ではない会社に雇用される女性」が増加してきたことを意味する

たとえば「女性が働くことが深刻な出生率の低下をもたらしている」という主張はよく聞かれるものだ。しかし戦後のベビーブーム期(一九四七年から一九四九年まで)は専業主婦全盛の時代ではなかった、という単純な事実をどこまで理解したうえでそのような主張がなされているのだろうか。先に述べたように、日本において最も専業主婦の割合が増えたのは一九七〇年代半ばであった。出生率が下がりはじめたのは、この時期以降である。働いている女性の割合と出生率を単純に見比べるだけでは事実は何も見えてこない

確かに、女性の社会進出、および、両立条件が整っていないことは、少子化の1つの要因である。しかし、私は、「主因」とは考えていない。むしろ、女性の社会進出は、少子化の「結果」として生じた部分があると考えている。正確に言えば、少子化の原因となった構造変動が作り出したものと考えている。

日本社会の少子化の主因を、①「若年男性の収入の不安定化」と②「パラサイト・シングル現象」の合せ技だと結論づける。パラサイト・シングルとは、のちに詳述するが、「学卒後も親に基本的生活を依存する独身者」のことである。そして、現在、韓国、台湾など東アジア諸国で急速に進む少子化もこの主因であると説明できる。

(3)日本的雇用システム_労働法、労働組合

概要

  • なぜ欧州と日本社会はこうも働き方が違うのかを労働契約観点から説明説明するのが有力な考え方である

    • 「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」を可能にするのは、日本の労働契約にあるとする考え方

      • 具体的な職務の契約が無いいわゆるメンバーシップ型の雇用契約

    • そこから、日本人の働き方等が規定されていると考える。

  • ジョブ型雇用が流行っているがその本質は?

    • ジョブ型雇用が成果主義というのは全くの嘘

    • 他にも日本のメディアで報じされているジョブ型雇用は本来の議論とは全く違うものになっている。

  • 企業別組合という特殊な労働組合の形態である日本。世界ではどのように労働組合が生まれ、今に至っているかを知っておくことが大切である。欧米の産業や職種を跨いだ労働組合が社会に大きな影響を及ぼす労使交渉を可能にしルールが更新されてきた。

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ジョブ型社会では一部の上澄み労働者を除けば仕事ぶりを評価されないのに対し、メンバーシップ型では末端のヒラ社員に至るまで評価の対象となります。そこが最大の違いです。 これは、ジョブ型とはどういうことかを基礎に戻って考えればごく当たり前の話です。ジョブ型とは、まず最初に職務(ジョブ) があり、そこにそのジョブを遂行できるはずの人間をはめ込みます。人間の評価はジョブにはめ込む際に事前に行うのです。後はそのジョブをきちんと遂行できているかどうかを確認するだけです。大部分のジョブは、その遂行の度合を事細かに評価するようにはなっていません。ジョブディスクリプションに書かれた任務を遂行できているかそれともできていないかをチェックするだけです。それができていれば、そのジョブにあらかじめ定められた価格(賃金) が支払われます。これがジョブ型の大原則であって、そもそも普通のジョブに成果主義などはなじみません。

たった一か国を除いた全ての国は「解雇規制あり」です。すなわち、全てのヨーロッパ諸国、大部分のアメリカ諸国、全てのアジア諸国において、正当な理由のない解雇は規制されています。どんな理由でも、あるいは理由なんかなくても解雇が自由とされているのはアメリカ合衆国だけ

むしろ、産業革命以来、先進産業社会における企業組織の基本構造は一貫してジョブ型だったのですから、戦後日本で拡大したメンバーシップ型の方がずっと新しいのです。そして、一九七〇年代後半から一九九〇年代前半までの約二〇年間、その日本独特のメンバーシップ型の雇用システムが、日本経済の競争力の源泉だとして、ことあるごとにもてはやされていた

なぜなら、社会には社会のルールがあるからだ。働き方は、労使自治というルールにもとづいて決められる。労働組合と経営者が交渉し、話し合いで決めるのだ。その取り決めこそが社会の根本である。政治が決める国の制度はその後にくるものだ。現在は絶対主義の時代でもないし、日本は専制国家でもない。労働者の働き方は国家の権力が決定するのではない。労使が交渉し、対立し、そして妥結する。この労使自治のフィールドでこそ働き方は決められる。 そこで重要なのは、この勝負を決めるのは労使の実力にかかっているということだ。日本では労働組合の力は極端に弱い。だから経営者のやりたい放題になっている。

日本的雇用慣行のもと、一つの企業で雇用されつづけることではなく、労働組合の規制と国家の政策によって転職しても不利にならない整備された労働市場をつくりだすことが求められる。ところが、日本の企業別組合は、終身雇用によって雇用保障がなされてきたので、企業を超えた労働市場の規制には関心はない。ユニオニズムの不在こそが流動的労働市場を放置しつづけている

ところで欧米にも人事考課制度はある。しかしその査定の対象は、管理職や上級ホワイトカラーなどであり、組合員など一般の労働者は査定の対象外である。そもそも欧米では賃金はジョブにもとづいて支払われるので、ジョブが変わらない限り、基本的には昇給しない。昇給しないものを査定することはできない。この査定されない労働者を基盤にして欧米では労働運動が構築されている。このことからも日本的な賃金人事制度が労働運動を抑圧する最大の武器になっていることが理解されるだろ

(4)日本的雇用システム_雇用・教育・福祉の歴史社会学

概要

  • なぜ日本はこのような働き方になったのかを、欧米と比較しながらその形成過程に注目する

  • 欧米がジョブ型になったのは経営者の意向ではなく、労働者がその権利を勝ち取ったから

    • 逆に言うと、日本は経営側の意向が通ったからと言えることでき、日本経営者はむしろ労働者に対して強い権利を保持していると言える。

    • しかし、なぜ実態としては日本の経営者は自由な振る舞いができないと思われているのだろうか。

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① 「大企業型」は、社会全体の構造を規定している。一九八〇年代以降、「地元型」から「残余型」への移行がおきているが、「大企業型」はさほど減少していない。 ② 企業を超えた横断的基準の不在が、日本型雇用の最大の特徴である。 ③ 他の社会における横断的基準は、職種別労働組合や専門職団体の運動によって形成されてきた。 ④ 近代日本では、「官僚制の移植」が他国より大きかった 1。その背景は、政府が近代化において突出していたことである。 ⑤ 「官僚制の移植」はどの社会でもみられた現象だが、他国では職種別労働運動などがこうした影響を少なくしていた。 ⑥ 戦後の労働運動と民主化によって、長期雇用や年功賃金が現場労働者レベルに広まった。これが社会の二重構造を生みだし、「地元型」と「残余型」を形成させた。 ⑦ 日本では「学歴」のほかに、能力の社会的基準がなかった。そのため、企業の学歴抑制効果と、企業秩序の平等化/単線化がおきることになった。 ⑧ 「大企業型」の量的拡大は、石油ショック後は頭打ちとなった。その後は非正規労働者の増大、人事考課や「成果主義」による厳選などがあったが、日本型雇用はコア部分では維持

ただし本書でくりかえし述べてきたように、日本社会に特徴があるとしても、それは「国民性」や「伝統文化」の産物といったものではない。  日本を含むどこの社会でも、一九世紀末から二〇世紀初頭は、いわば「野蛮な自由労働市場」というべき状態だった。経営の気まぐれで賃金や昇進が決まり、技能労働者は供給過剰で過当競争の状態にあるか、技術革新で地位を失っていた。どこの国の労働運動も専門職団体も、この状態を改善することをめざした。 企業を横断した労働市場の形成は、こうした運動の、いわば意図せざる結果だった。一連の運動が求めたのは、昇進や賃金決定の透明性、習得した技能の安売り防止、思想信条・組合活動・年齢・性別その他での差別撤廃などだった。これが結果として、企業を横断した基準を作り、横断的労働市場の形成をもたらしたのである。 世界大戦による労働力不足、科学的管理法や職務分析の普及、それを促進した政府の政策などは、労働運動や専門職団体の目標を実現する背景となった。しかし労働力不足や政府の政策だけで、それが実現したとは考えがたい。また結果として実現したものは、科学的管理法の発案者などが考えたものとは違っていた。 同時にそれは、労働運動や専門職団体の意図とも違っていた。彼らは、横断的な労働市場を実現するために運動したわけでは、必ずしもなかったからである。

日本の労働者も、「野蛮な自由労働市場」の状態を改善しようとした点では共通している。しかしそれは、戦後の企業別労働組合運動によって追求され、年功賃金や長期雇用、企業単位の福利厚生として実現した。 もちろんドイツやアメリカにも、企業内の労使関係改善や福利厚生によって、「野蛮な自由労働市場」を改善しようとする動向はあった。企業を軍隊組織にたとえた経営者は他国にもいたし、他社と互換性のない企業内資格ができた事例もある。しかし企業を横断した専門職団体や労働運動、あるいは階級意識などが、その影響力を弱めた。 しかし日本では、こうした企業横断的な運動や基準が弱く、個々の大企業は独立王国のような状態を呈した。個々の企業が互換性のない資格制度を設けた日本の特徴は、官僚制の影響もあるにせよ(それじたいはどこの社会にもあった)、こうした割拠状態に歯止めをかける企業横断的な運動や基準が相対的に弱かったことの表れである 。とはいえ、それぞれの社会の歴史的諸条件と、世界に普遍的な動向は、両輪のように作用する。戦後日本で企業別の労働組合が普及した一因は、職種別組合の伝統がなかったことにもよる。だが、それ以上に大きな要因は、戦争とインフレによって職員が没落し、運命共同体意識が高まっていたことである。戦前の職員は、職工とは隔絶した特権階級であり、そのため戦前には職員・工員の混合組合は広まり得なかった。

私は一時期、35歳くらいまで日本型の「誰でも階段を上がる」仕組みを残し、その時点で明らかにもう将来は見えるから、役員や社長になれる目がない人たちに、階段から降りてもらって、そこで昇進昇給を止める。その分、ワークライフバランスも充実、というコース設計を推奨していました。
「途中からノンエリート」という方式です。これなら、十数年の昇進レースの中で答えが出されるのだから、欧州のような「学齢期選抜」、アメリカのような「人口選抜」よりは締めがつく。しかも大卒35歳の年収は欧州のノンエリートよりも高い。だから、欧州のような激しい階層社会にはならないで済む。
そして、この給与水準で昇給がストップすれば、企業は負担感が少ないため、ミドルのリストラ危機も遠のく。仮にリストラされても、市場給に近い水準なので、転職先が見つかる。そして、企業は、彼らの昇給が減った分を原資に、非正規の待遇アップを図り、それがもう1つのノンエリート社員になる。
結局、日本では企業も人も、「誰もが上がれる階段」を望んでいて、その階段を壊すことは、労使ともに嫌なようです。

例えば、GEは徹底した日本研究を行い、かの有名なシックスシグマという品質管理手法を生み出しました。人事の世界でも同様に、日本的慣習がアメリカ企業にも取り入れられました。「給与は仕事で決まる」おちう職務主義を軌道修正し、「給料は人で決まる」という能力主義がアメリカにも浸透し始めました。それが「コンピテンシー」です。

(5)日本的雇用システム_労働経済学・人事管理

概要

  • 「遅い昇進、ブルーカラーのホワイトカラー化」等日本企業の人事管理の特徴を研究する分野では、製造業など中長期の事業ライフサイクルが求められる業界においては、独自の強みとしてうまく作用したことはわかっている。その限界も近年は指摘されている。

  • しかし、日本では欧米式のジョブ型こそ目指すべきものとしてメディアでは報じられているが、欧米はジョブ型からのシフトを目指している。

  • なぜ欧米は脱ジョブ型を目指すのに、日本はジョブ型を目指すという矛盾が生じるのか。

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メンバーシップ型・ジョブ型の提唱者である濱口氏を尊敬する人事コンサルタントの海老原氏による日本企業が人事をどう作るかを歴史や国際比較も踏まえて現実解を記したもの。

20代後半から30歳と50歳を比べて、給与は1割強、実額にして40~50万円しか伸びず、ピークでも400万円に届かない状況です。ちなみに男性フルタイム労働者の65%がこのレンジで働いています。彼らは資格に区切られて上にも横にも行けずに、限られた小さなキャリアスペースで人生を送るために、俗に「籠の鳥」と呼ばれるのです。
フランスでは大卒者の多くがこの上の「中間的事務」の仕事に就きます。20代後半から30歳で360万円程度、50歳だと460万円。販売や製造の人たちよりは多いものの、彼らとて、20年働いて年収は100万円程度しか増えていません。
対して、最上位にいる「カードル」と呼ばれるエリート層はかなり異なります。この層にはいるには、大学よりも難しいグランゼコールを卒業するか、大学院で経営学修士を取得することが必要になります。彼らは20代後半から30歳で520万円、50歳だと880万円と、年齢とともにどんどん給与が上がっていきます。
キャリアというものが、欧・米・日でこんなにも違うことがおわかりいただけでしょうか?私たちはこうした違いを知らずに、すぐに欧米を引き合いに出し、そしてそれを取り入れようとしているのです。

一方、欧米のジョブ型労働は、ジョブとジョブの間の敷居が高く、企業主導で無限階段を容易には作れません。
①やる気のある人がジョブとジョブの間の敷居を職業訓練などで乗り越える。
②一部のエリートが自分たちのために用意されたテニュアコースを超スピードで駆け上がる
の2つだけ。その他多くの一般人は、生涯にわたって職務内容も給与もあまり変わりません。
その結果、日本と欧米(とりわけ欧州)では、労働観が大きく変わってしまいます。日本では「誰でも階段を上って当たり前」という考え方が、労働人にも使用者にも常識となり、「給与は上がって当たり前。役職も上がって当たり前」(労働時間)、「入ったときと同じ仕事をしてもらっていては困る・経験相応に応じて難易度は上げる」(使用者)となるわけです。つまり労使とも、年功カーブを前提としているのですね。

「日本ではジェネラリスト・欧米ではスペシャリストの育成が主である、年功序列は日本でのみ見られる特殊な事象」などの通説を各国比較から真実に迫る。通説を批判的に検証しながら、小池氏が日本企業に特徴を見出すのが、「ブルーカラーのホワイトカラー化」である。日本企業の人事管理や組織を世界の中で位置づけたい時におすすめの1冊。

(6)財政学

概要

  • 財政の役割を社会保障などと関連させながら、積極的に評価していく研究が多い

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福祉国家の生活保障とは、現金給付によって成立している。つまり、福祉国家とは市場の外側で、政府が所得を再分配して国民の生活保障をする所得再分配国家である。それは、福祉国家の経済システムが重化学工業を基軸とする産業構造を内実としていたからである。重化学工業では同質の筋肉労働を大量に必要とするため、主として男性が労働市場に働きにいく。軽工業の時代には製糸業でも綿織物業でも、労働市場に進出したのは女性である。この見返りとして、重化学工業を基軸とする産業構造のもとにおける社会システムでは、主として女性が無償労働を担うことになる。そうすると、重化学工業を基軸とする産業構造のもとでは、主として男性が労働市場に働きに行き、女性が家庭内において無償労働に従事するという家族像を想定できる。したがって、男性が稼いでくれると想定されている賃金所得を、政府が保障すれば、育児にしろ、養老にしろ、家族内で主として女性が無償労働で賄い、家族の生活が維持されていくと想定できたのである。そこで、福祉国家のもとでは、市場の外側で賃金を正当な理由で喪失したときに、政府が賃金の代替としての現金を給付さえすれば、国民の生活を保障することが可能になった。つまり、失業して賃金を喪失すれば失業保険で、疾病で賃金を喪失すれば疾病保険で、高齢で賃金を喪失すれば年金で、というようにである。

しかし、重化学工業を基軸とする工業社会から知識社会へのシフトすると、福祉国家による現金給付による所得再分配だけでは、国民の生活保障に限界が生じる。というのも、生活保障は、女性を想定した無償労働に従事する者が家族内に存在していて、家族内で福祉サービス等の対人社会サービスが生産されることを前提としているからである。ところが、知識社会にシフトすると、家族内で無償労働に従事していた女性も、労働市場に参加するようになる。なぜなら、知識社会において、基軸となる産業は、知識産業やサービス産業というソフト産業系だからである。重化学工業の時代のように、同質の筋肉労働者が大量に必要とされることはなく、女性労働も大量に必要になる。そうなると、これまで女性が担っていた家族内の無償労働による対人社会サービスの生産が困難となり、政府が福祉サービスなどの対人社会サービスを提供せざるをえなくなる。

ただし、各国の税の負担感について調査した国際的な価値観調査、ISS2006によれば、事態がそう単純なものではないことが分かる。表1-2は、租税の負担感についてどう捉えているかを各国ごとに調査したものであるが、注目すべきは中・低所得者の租税の負担感である。さきほど確認したように、日本の租税負担率は極めて低いにもかかわらず、「税負担が重い」と回答したものの割合は、それぞれ62%、76%程度と、国際的に高位にある。とりわけ中所得者については、税負担が最も重い税グループに入るスウェーデンを凌ぐ値となっており、「客観的な」租税負担率と「主観的な」租税負担率との間には大きなギャップがあることを示している。
租税は主として中間所得層が負担することになるため、この問題は日本の税制を再構築するにあたってはネットくなる。ちなみに高所得者の租税負担感については、「軽い」と答えた者の割合が他国より大きいとは示唆的である。

日本の財政危機の真因は、歴代内閣が租税抵抗という問題に向き合うことなく幾度も減税を続け、税制を壊してきたことにある。実際に、前掲表1-1を見れば、日本の租税負担率は、1980年代にピークを迎えたあと大きく減少していった。そしてこの間、年金を中心として社会保障費は伸び続けたため、歳入と歳出のギャップは年々拡大し、国債が累積していく。現在の公債発行額は40兆円を大きく超えており、ストックで国の借金をみるといまや1000兆円以上の額にのぼっているのである。

(7)財政社会学


概要

  • なぜ日本は小さな政府であるにも関わらず、先進国最大の債務国になってしまったのかを高度経済成長期の経済政策に求める

  • 減税に慣れてしまった結果、日本は低い税負担ながら、税負担を強く感じる国民となり、税の調達能力が低い国家となる。欧州諸国のような福祉国家へ変貌するタイミングを見失ったまま今に至る。

  • 財政と社会の関わり特に歴史を研究する学問

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高度経済成長期の財政の特徴は、①減税を通じた中間層の宥和、②政府と日銀の一体的な政策運営、③財政投融資をつうじた「均衡財政」の維持、④財政的バッファーとしての地方財政、⑤限定的な社会保障と公共事業による就労促進、というように整理できる

(8)複雑怪奇な社会保障と税の仕組み

概要

  • 日本の健康保険の歴史は1922年まで遡る。そう、戦前の枠組みを未だ維持している。日本は社会保険をベースとしながらも、実態は税に近く、それが自分たちの税金が何に使われているかわからないことに繋がり、政府への不透明感と繋がっているといえる。

    • 1)社会保険ではあるものの強制徴収であり、保険者を選択する余地は無いことから、実質的な税になっている。

    • 2)国民健康保険は、社会保険料だけは運営が難しい(加入者の所得が少ない)ことから、税金が投入されており、社会保険なのか税なのかが分かりづらい。

  • 日本の医療保険制度を理解するにも、メンバーシップ型の概念が必要になる。日本は大企業の企業別組合から始まり、それを残存させたまま、中小企業の被用者、地域保険と拡大させていった。

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これまで本章のはじめで①として指摘した「ドイツ型モデル←普遍主義モデル」という基本的な流れについて述べたが、これと不可分の形として派生するのが、同じく③及び④の点、すなわち、「③社会保険の「保険者」に「国」自身がなったこと(医療保険における政管健保、年金における国民年金・厚生年金)」、「④非サラリーマン・グループ(農林水産業者、自営業者)が相対的に多い経済構造のなか、その取り込みを積極的に行ったこと(特に医療保険)」、という点である。まず③について。通営、社会保険のシステムにおいては、租税中心の社会保樟制度に比べて、保険の運営正体である「保険者」は、(様々な公的規制等を受けるにしても)本来「民間」の団休であり、またその自律性が重視される。例えば基本的に保険料のみをもって運営され、診療報酬等について医師会との交渉にあたるドイツの「疾病金庫」がその典型である。ところが、日本の場合は、医療保険における政管健保、年金における国民年金・厚生年金がそうであるように、「国家(政府)自身が保険者となる」という、社会保険グループとしては特徴的なシステムを採ることとなった(特に医療保険の場合)。一種の国家パターナリズムであり、こうした「国家主導の社会保険」という点に、後発国ゆえの際立った特徴がある。いずれにしても、こうして、医療保険においては政管健保と組合健保という二元システム(別途に国保が存在)が採られたが、このうち政府が直接に保険者となったのは政管健保つまり中小企業についてのものであった。少し距離を置いて見ると、おそらく政管健保というシステムは、日本のような後発国に特有の「経済の二重構造化」への対応という性格をもつものであったと考えることができる。

国民皆保険・皆年金の実現には、政治的に様々な障害があったが、制度設計も困難を極めた。。すでに一部で実施されていた職域保険を、そのまま無保険の人々まで適用拡大することができれば、それに越したことはない。しかし、現実には不可能に近かった。例えば、職域保険の場合は、事業主負担と言って企業から費用の半分が拠出されているが、それはあくまでも自分の企業や業界に働く被用者だからである。企業に対して、直接関係のない農業者や自営業者についての負担を求めることはできない。さらに、被用者とそれ以外の者の所得構造が大きく異なっており、所得把握の格差があることも大きな問題であった。社会保険の保険料負担額は、加入者の所得に応じて決定される「応能負担」と呼ばれる基本原則に依っている。加入者の所得把握が公平になされないと、同じ保険集団のメンバーとして公平な負担を設定することが困難となるのである。このような難問が横たわる中で、国民皆保険・皆年金の実現のために採られた方策は、それまでの職域保険は維持したまま、それに加入していない人々を対象に、国保の適用拡大と国民年金の創設を図るというものであった。理想論から言えば、「全国一本」の社会保険を新たに作り、全国民をカバーすることがベストであるが、現実的な選択として可能であったのは、この二本建てという「二元的構造」であった。


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