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社長就任に向けて (下積み候補生の愚痴日記)


社長になるというのは、言うまでもない事だが、大変な努力と苦労が伴う。

孤独な環境で矢面に立たされるのがこの仕事。

1回も羨ましいと思った事などない。それ自体は極めて真っ当な感性だ。

けど、羨ましいと思った事がないからこそ、もっともこの仕事に向いているタイプではあるのかも知れない。

泥臭さを熟知しているから、それに対する耐性を身に付けるための努力に精魂を注ぐことができ、いざ矢面に立つ際に人格や倫理観など人間としての根源を破壊せず、組織をブラック化させずに済む。

そのためには、社長たる者は「社長らしさとは真逆の方向」を追求する事が、初期段階では一番大事ではないかと思う。

具体的には、カッコ悪く生きること。清らかさを脱ぎ捨てること。無責任でいること。

私は、鉄道会社に所属する立場でいながら、駅で大声を出しても恥じらないマインドを持つようにした。
迷惑行為に該当すると共に、会社の看板にも著しく泥を塗るが、そんな事はとっくに想定済み。

現実は、駅で大声を出さないマジョリティも、それ以外の場所で同等の罪を犯し、自分以外の他人に同等の加害行為を行なっている。
もし、大声を出した事で恐怖を感じその場から離れる人がいれば、その人はまだ自分の罪や加害行為に気付いていない証拠だ。(ヘイトスピーチを叫んだり、刃物を振り回したりしている訳ではあるまい)
百歩譲って、小さな子供連れの親であれば免責するとしても、そうした親ほど教育的意義から外れた私怨(育児疲れといった生理現象も含め)で子供に八つ当たりするリスクは高く、結局は大衆の前で大声を喚き散らすのと変わらない罪を犯している。(権力勾配がある分、罪に対する被害はより甚大となる)

私は、この歳になるまで清らかさを脱ぎ捨て切れず、矢面に立ち過ぎて、自分でも気が付けないほど心身が疲弊していた。
自分を痛め付けた清らかさとオサラバするために、私はこれからも駅で奇声を発する。
そして、嫌われよう。怪しまれよう。ウザがられよう。過去の自分と人間関係に泥を塗ろう。
過去のあらゆる遺物を泥で塗り固め、最後まで輝きを失わなかったものだけを、社長室に持って行こう。

社長就任後は、俗世間と離れ社長としての人生を歩む。
ウルグアイのムヒカ大統領のような清貧さを持ち込んだりはしない。責任に見合う報酬は満額受け取るつもりだ。
資本主義の矛盾に支配されないための防御策は考えておかなくてはならないが、そのためにも、陳腐な清らかさを脱ぎ捨て真のダイヤモンドを見極めなければならない。
だから、キャリア形成だけのキャリア形成を行いたいとも思わない。それは精神衛生上も良くない。

果たしてこの行動方針が吉と出るか、凶と出るか。

どっちに転んでもいいよう、今を大切に生きるぜ。

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