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新しい事を始める勇気と試し打ち出来る環境の大切さ


「よく僕らの前で
  家庭科の授業なんか出来ますね」
「僕だったら、絶対無理!」
超進学校で名高い灘高で
初めて家庭科を受け持った年に
生徒のひとりから言われた言葉です。

今考えるととんでもなく賢い
生徒達を前に家庭科の授業をするなんて
「若気の至り」としか言えません。

変なプライドと
何とかなるかという楽観視。

そこに海外暮らしで経験していた
「このままで日本は大丈夫か?」
という変な危機感も相まって
勢いで引き受けてしまった
という感じでした。

ただ、いろいろな気持ちがあった中で
一番大きかったのは
それなりの収入の安定でした。

公立高校でしか非常勤講師をしていない
自分にとって時給換算とは言え、
月給としてお金をいただけるのは
子ども達の教育費も
かかり始めた時期と重なり
ものすごくありがたかったのです。

ただ、その時給に対して
どの位まで仕事をしたら
いいのかの判断は難しく
家庭科という科目どころか
「女性が教壇に立って授業した」
という歴史自体がない学校で
どんな内容の授業をするかは
在職中ずっと悩みのタネでした。

だから生徒から言われた一言は
その後、ずっとプレッシャーとなり
「すごい仕事を引き受けてしまった」と
悩み続ける事になったのです。

その後、当時受け持った生徒が
教師として灘に戻って来て
職員室で雑談をした時に
「みんな絶対、布村先生は
辞めると思っていた」
と聞かされて
当時はそんなに悲壮な顔をして
授業していたのかと反省しきり。

その翌年の春、
初めて受け持った学年の生徒と
学校の廊下ですれ違った時
「布ちゃん、辞めずによう頑張った!」
(当時は布村”先生”なんて
呼ばれた事がなかったのでした。)
という意味の事を言われ、
思わず「ありがとう」と答え
吹き出しそうになり
ちょっと涙ぐみそうになり
途中でくじけずに
続けて良かったと
心底感じた事を思い出します。

公立の学校では教諭経験もあり
それなりに自信をもって
出来ていた授業が
灘では全く通用しないと痛感し
本当に試行錯誤の連続で
一昨年の退職まで14年間
走り抜けて来たけれど
今でも時々思うのです。

何か新しい内容を授業に取り入れようと
アイデアが浮かんだ時
そのアイデアを授業案に落とし込んで
やってみようと思った時
・同じ科目の先生に相談出来たら
 どんなに助かっただろう。
・試しに授業をしてみて
 フィードバックをもらえる場があったら
 どれほど助けられただろう。
・フィードバックを元に修正した内容を
 何かで共有出来る場があったら
 どれだけ授業をブラッシュアップ
   出来ただろう。と。

教室で1クラス約55名という
灘高生を前にして
家庭科というさして
重要と思われていない副科目で
新しい形の授業をする不安は
筆舌に尽くしがたい所があるけど
(というか、きっと生徒達にとっては
「どうでもいい」事だったのだろうけど)
同業の家庭科の先生に
どんなアドバイスでも
いいからいただけたら
どれだけ前向きに自信を持って
授業に取り組めた事
だろうと今になって思います。

家庭科の先生に知り合いが
いないわけではなく
灘の他の科目の先生方や
図書館司書の先生方には
ずいぶん相談に
のっていただいたのだけど
やっぱり家庭科の先生の意見を
伺いたかったと思うのです。

今回、家庭科の先生のための
コミュニティである
「みらい家庭科ラボ」を
企画している時
在職していた頃の苦い思い出が
浮かびました。

このみらい家庭科ラボが提供する場で
「家庭科の授業の
【試しうち】が出来るような
時間が取れたらいいね。」
という話が出ています。

そういう場がある事が
家庭科の先生方にとって
少しでもお役に立てればと願いながら
セミナーの企画や場づくりに
パートナーと一緒に
取り組んでいますので
実現した時はぜひご参加いただければ
これほどうれしい事はありません。

現在、ラボで開催予定のイベント等
活動の詳細は下記のサイトから
ご覧いただけます。
どうぞよろしくお願い致します。〈終わり〉