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私の青春ゲームです

 タイトルは私の好きなゲーム「beatrmaniaIIDX26 Rootage」の隠し曲
『金野火織の金色提言』の歌詞の抜粋。

 この記事に書いてあること
・ゲーセンにまつわる私の半生
・私の青春ゲームです


端的にいうと自分語りです。

 もともと、いつかは独立しようと考えていました。業界はITと決めてはいたのですが、ゲーム系を対象にするとは全く考えていませんでした。
 ゲームはいち趣味として完全に割り切って考えていたところ、タイトルになっている曲が解禁されました。

 ジャンル名『音ゲー賛美歌』

 twitterでプレイ動画が回ってきた瞬間に好きになりました。曲好き、歌詞も好き、譜面も好き、BGAも好き、コンポーザーも好き。すき。
 IIDXでは曲の解禁後しばらくして作者コメントといった形でセルフライナーノーツが公開されます。


 作者の想いをひしひしと感じました。個人的にですが、HELL SCAPERのリミックスと同等かそれ以上の熱量を感じました。これを読んだがために会社を辞める決心がついてしまいます。

 自分も社会人になり、ゲーセンとは全く関係のない業界で働きつつIIDXは継続しながらも、閉店ラッシュで減っていくゲーセンの情報をみては業界を憂い、どうすれば…と考えるもただ心配するだけの日々を過ごすばかり。
 どうすれば、の中で、『こんなことやったら面白そうだな』といったアイデアはいくつか浮かんではいたのですが、ついぞ行動に移すことはありませんでした。
 そんな中、タイトルの曲が解禁され、少しの期間をおいて作者コメントも公開されたのですが、この曲のコメントの最初に、
音ゲーから受けた御恩を全てこの音ゲーでお返ししたい。
とあります。

 この1文が会社を辞めて独立しようと決心した【最後のほんのひと押し】です。
 
 自分はゲーセンバイトとして常連さんだったり友人だったりと音ゲーとはなんぞやを語らいまくっていたので、どちらかというとDJ TECHORCHのこうありたかった像に近いと思います。
 しかし、学生の頃から今に到るまで、周りがイケイケなことをしている中、週3〜5でゲーセン通いをしているというのが後ろめたいという気持ちもありました。
 そうはいっても今の自分を形成している要素はゲーセンが大きく、一生切っても切り離せない要素でもあるのだなと思う節もあり、どうせなら自分の出来ることでゲーセンに何か返したいなと思いました。

環境を良くしたい、売上も上げさせたい、新規参入が少しでもしやすくしたい
などいろいろ思ってサービスを作ってます。

 具体的にどんなことするねんといったものは、過去の記事をご覧ください。もう少しでお目見え出来ると思います。

 自分を形成している要素はゲーセンが大きいだなんてよく言ったもんだなと思いますが、その考えに到るまでの私の半生を書いてみたり。
 まだまだ若いつもりでいますが、人生を振り返るとかなりゲームセンターに入り浸っていてそりゃゲーム好きだよなぁと思ったり。

1.小学生〜中学生時代(メダルゲー、レースゲー)
2.高校生時代(     無     )
3.浪人生時代(格ゲー、音ゲーのはしり)
4.大学生時代(音ゲー漬け)
5.社会人〜(サボリーマン)

1.小学生〜中学生時代
 私が初めてゲームセンターに行ったのは5歳とか6歳とかそのくらいだったと記憶しています。当時は親に連れられてメダルゲームを遊んでいたとかで、父親が競馬とかビンゴの大型筐体のゲーム、母親がビデオポーカーを共に好きで遊んでたなぁと。(書いていて気が付いたのですが、今でも両親共に家の近くのゲームセンターに行ってそれぞれ好きなゲームをやっています。すごい。)

 自分の意思で行くようになったのは中学生になってからです。

 中学生だった2013年頃は頭文字Dにハマりまくっていたクルマ小僧で、パケホーダイなんてない時代に車の待受画像をダウンロードしまくって10万円を超える携帯料金を請求され親にめちゃくちゃに怒られた覚えがあります。なんてクソガキだ。
 我が家では、何故か教育に厳しくなり(隠れてやっていましたが)【ゲームは1日1時間】と制限が設けられていました。ゲームをやるために外に出るみたいな図式が出来てた覚えがあります。
 また、その頃のゲームセンターでは頭文字D ver.3とかバトルギア3が稼働していて、頭文字Dだと、「カプチーノだけヤバすぎだろ別ゲー!」と友達と盛り上がったり、「ラスボスの文太早すぎで勝てねーよ!」とかキレたりしていました。
バトルギア3は個人的にどハマりしたゲームで、車の鍵を模したメモリーをコックピットに座りイグニッションにキーを挿して認証するのがカッコ良すぎて1つ500円したメモリーを何本も買ってました。ゲーム自体は全然人気がなくて一人でやってました。

 あとは、連邦vsジオンとかエゥーゴvsティターンズとかのガンダムVSの前身ですね。連ザはこの時期だったかな?めっちゃやってました。

2.高校生時代
 高校生の頃は部活とか東方に精を出していたのでゲームセンター には殆ど行ってませんでした。

3.浪人生時代
 大学受験に失敗して浪人していたのですが、大宮の代ゼミに幼馴染と一緒に通ってました。
 当時は、ニコニコ動画でsmooooch・∀・のMADがめちゃくちゃいっぱいあった時期で、ニコ厨だった自分はその流れで聴いたSigSigにビビビときてしまい稼働したばっかりだったjubeatにハマります。
 bass 2 bassとかTRUE LOVEがオリジナル楽曲の中では好きでした。今でもbass 2 bassのサビとかSigSigの発狂地帯とか譜面覚えてます。(というか弐寺でもやる)

 また、幼馴染は格ゲーにハマり一緒に何かやるかとブレイブルーをやっていました。私がタオカカで、幼馴染がアラクネ。タオカカいいよね。猫だし。
 大宮にはゲーセンがいくつもあり、ユーザーの棲み分けが割としっかりしていました。そのはずなんですが、初心者がストーリーモードで練習をする文化のあったゲーセンで練習していたら、いきなりよく分からんおっさんが乱入してきてボコボコにされ2chでキレちらかしていた記憶があります。

 この頃は、バイトと勉強をしながら空き時間にゲーセンに通っていたのでほとんど大宮のゲーセンに通っていました。今では様変わりしていてゲーセンも減ってしまい悲しくなります。おっさんにボコボコにされたゲーセンもなくなりました。(南銀通りも変わりましたね)

 幼馴染はその後ボーダーブレイクにハマり大学生時代アルバイトをしていたゲーセンに来ていました。

4.大学生時代

 このエントリーのメインです。大学生時代に今の交友関係やモチベが形成されています。ここだけ細かいので小分けします。

・アルバイト
 当時、バイクにもハマっていて維持費のためにアルバイトを始めました。ゲーセンです。しかも、小中の頃に通っていたゲーセンです。アツい。

 このゲーセンでのバイトは4年とちょっとやっていたので大学生活の全てと言っても過言ではないと思っています。
 もともとプラモや自作PCが好きだったので手先が器用+メカに強いということもあり、メンテとか楽しくやっていました。
 アーケードゲーム全般に明るくなったのもここの経験があったからです。プリクラのロール交換、プライズの調整、音ゲーのメンテや格ゲーのレバーの分解清掃、麻雀コーナーの煙と根性焼き、メダルゲーのメンテナンス、スタホガチ勢の売上貢献、メダル回収。。。(ぎっくり腰になります。とても痛い。死ねる。)

・IIDXとの出会い
 大学で出来た友人宅でCS DJTをやりました。初めてやった日に華爛漫SPNがクリアできてめちゃくちゃ嬉しかった記憶があります。当時は専コンがギリギリ安い価格で入手することができたので、DJTと一緒に買って家でやっていました。
 あと、浪人生の頃からやっていたjubeatがripplesだった頃、IIDX17 SIRIUSとのコラボ(APPEND STYLE)がありました。
 ここがACデビューです。時期的には稼働末期のbeat freeでした。PARALLEL ROTATION、俺もやりたかった・・・

 この時に初めてやったWaxing and Wandingがカッコ良すぎて本格的にIIDXにハマり、今に続くメインゲーがIIDXになりました。今でも好きな曲TOP5に入ります。ワキシ

・レベルの高いゲーセンだったから
 アルバイトをしていたゲーセンは埼玉の僻地にあったのですが、かなりレベルの高い常連さんがいるゲーセンでした。(バイトを辞めてから7年、なんと今でも付き合いがある)
 常連さんたちが100%以上のパフォーマンスでプレイできるように、自分の好きなゲームがずっと稼働しているように、バイト中に好きな曲が流れているのを聴くために、色々な思いがありメンテに明け暮れてました。

 常連さんのコネクションを貸してもらったりして大会を企画運営したりもしましたが、ここは過去の記事に書いてあるので割愛。

・閉店後の楽しみ
 都心のゲーセンだとあまりない文化だと思いますが、私のバイトしていたゲーセンには閉店後に独特な文化がありました。閉店後のお店の前で常連同士朝までただひたすらゲームについて話したり、ラーメンを食べて別の24のゲーセンに行ったりとか。楽しかった。

・色んな知人、友人が出来た
 IIDXにハマってからは本当に交友関係が広がりました。ゲーセンに行かず、IIDXをやっていなければ一生関わらなかったであろう人達とも知り合えました。
 殆どの人の年齢や本名は知りませんが、DJ NAMEと音ゲーの上手さは知っていて、話を聞いてみると面白い色んなバックグラウンドを持った人たちがいたなぁと。
ひと回りくらい上の世代の人達と飲みに行った際、☆7〜8くらいのズレハネ譜面について、「何小節目のデュルッ!が光るのはプロ!」みたいな話題で1時間くらい話して笑ってたり、同じゲームをやっているのに楽しいと感じるポイントが人によってまるで違います。ここまで盛り上がれる深い懐を持った界隈を私は他に知りません。
 ちなみに、サービスを開発しているメンバーも半分がIIDXにハマったから知り合えたクチです。IIDXってすごいなぁ。

5.社会人〜
 社会人になってからは東京に引っ越し、仕事もIT系の営業職。
「ゲーセンに行くのも減るんだろうな〜」とか考えていたのですが、営業職でずっと外にいるのでサボってIIDXをやっていました。超ブラックな会社だったのでストレス解消でやりまくっていて、新卒1年目のIIDXのプレイ回数は1400回くらいだったと思います。音ゲーなかったら死んでたかも。
 転職もしてブラックは抜け出し、仕事もしつつ息抜きでゲーセンに行き、仕事終わりに音ゲー友達と飲みに行く。仕事の話とちょっとのIIDXの話でお酒を飲むのはとても楽しく、今も平均的な音ゲーマーサラリーマンとして生活しています。


 こうみると、高校生の頃を除く全ての年代でゲーセンに入り浸っていて内も外も体験していればそりゃあ私の青春ゲームですくらい言ってもいいよなぁと思ってしまいます。

 独立をするにしても、成功が約束されている訳でもなく、むしろにっちもさっちも行かなくなって倒産のパターンが一番可能性ありそうですが、いろいろと考えながら自分の出来ることをやっていけたらなぁと思っています。

『ゲーセンがあったから今の自分があるのであって、その恩を自分達の作っているサービスを以って返したい。』

このスタンスは変えずにいきたいですね。

【何でそこまで必死なのかね ゲームが死ぬほど好きだから】
【他にやること無いんですかね ゲームをやるため生きてます】
【それが出来たら何になるのよ 何の役にも立ちません】
【それが出来たら何になるのよ 生きる希望が湧いてきます】

【なんか知らんが 心が動く あなたのそれは何ですか】

ゲームのやりすぎで浪人も留年もして、とにかくゲームのある環境に居たくてゲーセンでバイトをして、仕事のストレスで潰れそうな中、生きるためにゲームをして

結局、今になっても心を動かされるのはゲームなんだなぁ、と


思いっきり公式から画像引っ張ってきたりコピペしているのでコナミに怒られそう。怒られたら修正します。、

折角なので過去の記事もどうぞ


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