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KAITO 『Nokton』に寄せる。

先日はKEN ISHIIのニューアルバムに寄せた投稿を行いました。僕のキャリアの中でもう一人外せない電子音楽家が居ます。HIROSHI WANABE aka KAITO

先日、彼のKAITO名義での6年ぶりのアルバム「Nokton」がリリースされた。今日はこのアルバムに関してコメントを寄せたいと思います。

2人の出会い

HIROSHIさんとの出会いは、私が20代の後半で、大阪ミナミにあるTRIANGLEというクラブ。私はVJとして参加したこのイベントにゲストアーティストとして彼が来阪した時だったと記憶しています。
かれこれ15年ほど前になると思います。

当時の私は、クリエイターとしての活動も、プライベートもうまくいっていなかった時期。しかし、遮二無二に状況を打破しようとしていた時期で、それでも何もかもがうまくいかず世を儚んでいる、厭世的になりつつあった時。私は彼と出会いました。

第一印象は、一言で言うと天才。しかし、この印象は後に血の滲むような努力によって手に入れたものであることを知ることとなります。

当時の私は彼がとても羨ましく、恵まれた才能、センスによって素晴らしい音楽を奏でるアーティストに見えました。

その後何度かフェスなどで一緒になることがありましたが、前にも書いたように私はVJをやめて次のステップに踏み出すことが出来たので、そこから10年ほど会わない日が続きました。

私は、その間にさまざまな都市、世界中を旅することができるようになっていました。そうなっていても、常にその当時の私のプレイリストには彼の音楽がありました。

私の旅は、彼の音楽とともにありました。ミュンヘン。ケルン。チューリヒ。パリ。バルセロナ。ラスベガス。シアトル。シンガポール。上海。北京。西安。天津。ソウル。釜山。その様々な都市を巡る旅の中に彼の音楽がありました。

その全ての風景に彼の音楽がマッチする不思議な体験を幾度となく経験しました。朝日に照らされるセーヌ川。夕日に染まる中国の大地。快晴のロデオドライブ。タバコの先から流れる煙。街角に光る自動販売機。特別な景色であっても、そうではない日常の景色であっても、その風景を情景に変える彼の音楽の「魔法」を私は幾度となく体験してきました。

2人が会わない期間は、僕は僕の表現を、彼は彼の表現を追求する日々でした。SNSでは繋がっているが、会わない日々が続いていました。その沈黙の日々は、ある一通のメッセージによって終わることになりました。

再会から動き出すまで

2018年2月15日
「谷田さんの考えにはクリエイターとして共鳴する部分が多い。何か一緒にやることはできないか。」

10年ぶりとなる彼からのコンタクトに驚いたと同時に、ごくごく自然にお互いの意見を交わすようになりました。この時、彼は「はじめまして」という挨拶をしてきた。私は「何度か会ってますよ」と返したところ、彼もそんな気がしていたと返答してきた。

そして、少しずつ昔話をし、「とにかく会って話をしよう」となりました。そして一週間後、私たちは前の場所にあったDOMMUNEで会うことになりまししたが、諸事情であまり話しができず、「会って話をしよう」がちゃんとしたかたちで実現したのは、三ヶ月後のパリでした。

私たちが話した内容は、会った目的である「何か一緒にやろう。」についてでした。しかし、私にはその時点で具体的に「何か一緒にできる」プロジェクトがない状態でした。

彼と共に「何か一緒にやる」プロジェクトを開発するのに要した期間が1年半。そして先日の横浜のプロジェクトでようやく「何か一緒にやる」ことができました。しかし、私たちの間にある「何か一緒にやるリスト」はまだまだ残っていて、やりたいことが山積み状態になっています。これから彼と共に「何か一緒にやる」ことは、尽きることがなさそうです。

そして、先日、そんな彼から「Nokton」の音源が送られてきました。

彼の音楽の一般的に言われる特徴的な要素は、伸びやかなシンセサイザーのストリングスパートやピアノの美しい旋律が注目されがちだが、私は少し違うと思っています。

それは、彼自身の音楽のルーツであるコントラバスにも見られるように、低音の構成に秘密があると私は思っています。目立つストリングスやピアノのサウンドに自由を与える、彼の低音の「仕事」が、先に書いた一般的に言われる彼の音楽の特徴、シンセサイザーによるストリングスパート。ピアノの旋律を自由にしている。彼はHIROSHI WATANABEという名義とKAITOという名義を使い分けていて、実験的なアプローチを行うKAITOのプロジェクトは、彼の意思が最も色濃く現れます。今回リリースされた「Nokton」は、KAITO名義でのリリースです。


ニューアルバム「Nokton」を聞いてみて

私のヘッドホンから流れてきた彼の音楽は、実に彼の野心的な部分が色濃く反映された内容であったことだけではなく、その音楽は、音楽家として彼がこれまでずっとやってみたかったことだろうと推測するに易い内容でした。そして、彼は恐らく”今”これをやらなければ次に進めないと覚悟したのだろうと、そう思わせる内容でした。ビートが鳴っていないのにもかかわらず、そのビートを感じさせる彼の「仕事」が詰まった実に彼らしいアルバムであると思います。

「ありふれた日常の風景に、新しい発見をもたらす音楽。」

私は、「Nokton」にそんなイメージを持ちました。間違いなく、今後の彼の音楽は「Nokton」以前か、以後かで分かれるのではないか。私はそう思います。KAITOのニューアルバム。「Nokton」きっと皆さんの日常にも新しい発見を与えてくれると思います。ぜひ、プレイリストに入れ、見慣れた街に飛び出してみてください。見慣れた風景に新しい発見があるはずです。

そして、友人である彼に対しこの言葉を贈る。
「HIROSHIくん。次は何を一緒にやろうか」

「Nokton」 ストリーミングリスト
CDJournalインタビュー




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