間違ってないほうが大事なものを失うことは、世界にままある。

昔、とある恩師に
「あなたは共感性が高い。そういう人は、自然と人のあくびがうつるんだ。」と言われた。
今日までそれを褒め言葉だと思っていた。もちろん今でも少しはそう思ってる、だけど。

仕事で上司にまたそんなミスして…と注意された。何回繰り返すの、と詰められた私はアリンコの如く萎縮して、見事すいません製造機に変身した。

でもそれは私のミスではないのだ。
詰められた上司よりも上の、立場のある人のミスだった。自分のせいではないのに…なんて思う一瞬は本当に一瞬で、頭をよぎるまでもなかった。

すいません。その言葉がなによりも先に出た。
そして今、冷静に思う。私は誰に、何に気を遣っているんだろうか、と。
注意されるその瞬間ですら、相手に気を遣い、本当にミスした人に気を遣い、そして自分に気を遣わない愚かな行動。そして待つのは、徐々に信頼を失う自分。無論、そもそも仕事ができない自分が悪い。が、根本にミスをした先輩、そしてそのミスをスルーした第三者を飛び越えて自分に雷が落ちたことに、沸々と湧き上がるこの感情。

責任を伴うこの現場で、打ちのめされる役を買って出る阿呆が報われる世界線なんてどこ行ったってない、自分を守れないなら、人を守る資格なんてないだろう。友達や恩師には合ってるって言われた仕事、実は向いてないのかもしれない。

そう言って逃げてても仕事の日は来る。
明日もまた、憂鬱な顔で職場に顔を出してしまうのだろう。強くなりたいとまでは言わないが、せめて、心の奥底の黒いところまでもが、すいません製造機になりませんように。


タイトルは、島本理生さんの「週末は彼女たちのもの」から抜粋しました。

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