書評:『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ,柴田裕之)その7

(ここから下巻ですが、書評の続きなので、その7として続きを書きます)

12章 宗教という超人間的秩序。

著者はイスラエル人なので、宗教を熱く語るのだが、日本人はしらける。
西洋人の宗教は、キリスト教で、一神教。日本人からすると「神様が人を作ったなどという明らかな嘘を元にした物語は信じるに値しない」で、終わる。

一つだけ面白かったのが、この文章。

2000年にわたって一神教による洗脳が続いたため、西洋人のほとんどが多神教ことを無知で子供じみた偶像崇拝と見なすようになった

なるほどね。お地蔵様に祈ると、「無知で子供じみた偶像崇拝」となるか。「神も仏もいない、まして、お地蔵様の何かなど信じていないけど、祈るとなんかご利益はあるかもしれないから、気休めに祈ってるだけだよ」が、ご先祖様まで祈りの対象にする多神教の私の気持ちだ。もう少し、ほんとっぽいお地蔵様を抱える一神教の西洋人は、「自分の祈っているお地蔵様は本物で、彼らのはおもちゃ」と思うようだ。日本人にしてみりゃ、どっちもおもちゃなんですけど。

中だるみだなあと。

ただ、支配に効果的だったのは、一神教であるのは確かですね。イスラム教でもキリスト教も普及しているわけだし。

善悪を分けて単純化する二元論は、初期のキリスト教にはなかったけど、ゾロアスター教の影響でカソリックには入ってきて、悪魔が出てきたりするんだそうだ。偶像崇拝禁止で、ギリシアの”神々”の偶像を拝んじゃいけないはずのキリスト教に聖人たちが出てきた頃から、ギリシアの神々的な手軽さが出てきた。キリスト教も世俗に訛っちゃって、なんだかなあ。でも、これも、社会秩序の確保には効果的だったと。そうかもね。

最後に、仏教について書かれている。こちらの宗教は内なる精神世界であるから、他の宗教とは、別物だそうです。

さて、ここから先は、宗教の拡張が始まります。

相対性理論なんかも宗教と変わらない。そうかもしれません。

さらに、イデオロギーの話になっている。例えば、ヒットラーの哲学というのは、「進化論的にアーリア人が優れている。人間の進化を汚さないために、アーリア人のみが増えるべき」だ。今でこそ、皆サピエンスの遺伝子にはほぼ差がないので、アーリア人が遺伝的に優れているというのは事実でないことが証明されているが、昔はそんなことわかんなかった。当時はこれも確からしい説であ理、宗教の一種だよなと。これも、一種の人間至上主義であると、著者は言う。

集合的なホモ・サピエンスを大事にすると共産主義になり、個人というのを大事にすると自由主義的な人間至上主義になると言う。なるほど、これも、宗教の一つでしかないですね。

第13章 歴史の必然と謎めいた選択。

結論は「交易と帝国と普遍的宗教のおかげで、人類は統一の方向に向かう」です。ことが起きた後に分析して「歴史を必然的に起きた」といいたい人がたくさんいるけど、ただの偶然だよね。風まかせだよね、という話。

事業やっている人はわかると思うんだけど、よくこう言う人がいる。はたから見てて「あの会社が成功したのは必然だ。KSFはあれとあれで、これを抑えたからこの会社は成功したのだ。そこに気づいたA社長はすごい」みたいにいう。いざ、成し遂げたA社長や、一緒に事業作ってきた当事者に聞いてみると、全然違う。大抵の成功は、試行錯誤の結果で、たまたま当たっただけ。歴史も進化も同じだよなと。

で、第3部が終わり。


感想。

中だるみで、刺激がなかった。

日本人は、宗教的には進んだ考え方を持っているんだろうなと思う。
妙に冷めてますもんね。

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