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書評:『バフェットからの手紙 第5版』(ローレンス・A・カニンガム) その1

久々に、『バフェットからの手紙』を読み直した。第5版を読んだ感想を順次書いて行こうと思う。

というのも、バフェットからの手紙は難しい。文章が難しいのでも、翻訳が下手なのでもなく(これは第5版で随分と良くなっている)、経営者視点・経営者感覚が必要なので、多くの人にとって、意味がわからないのだ。

その解説を部分部分でして行こうと思っている。

この本を買って、読んでいく人に向けてい書いているので、本を持っていない、読んでいない人が読んでも意味がわからないと思うので、悪しからず。

第一章を読み飛ばす

まず、第一章は思い切って、読み飛ばしてみましょう。ガバナンスは大事ですし、バフェットの考えは世の中と異なるし、おそらく正しいです。が、経営と経営者の話が中心で、株式投資をする人からすると馴染みが薄い。なので、後回しにしちゃいましょう。

第二章投資の要旨部分

kindleの位置#1997あたりです。投資の章の最初の記述。株式を見るときに、会社の一部分と見ましょうという話が書いてあります。これ、わかる人と、分からない人に分かれます。価値と価格、英語で言うと、Value and Priceですが、これがわかるかどうかなんですね。

例えば、私は鉄道会社の株式を持っていたことがあります。JR東日本だったとしましょう。東京駅に訪れた私ですが、東京駅の駅ナカ商店街で、その床のタイルを見ます。

JR東日本の株式は、377,932,400株なので、約3.7億株。400株保持していれば、100万分の1です。JR東日本が有する駅のタイルは、100万枚ぐらいはありそうです。東京駅でも100万枚あるかもしれません(ちゃんと計算してない)。なので、

「このタイルの一枚は俺のもんかな」

そんなことを思うのが投資家であり、「このタイルは俺のもの」という意識で株式を持つものです。そういう感覚は持たず、ただの価格のついた紙切れと思って、株価だけを見るがの、投機家の態度です。こちらは、駅のタイルに興味はありません。

株価がいくらになろうと、東京駅のタイルは、東京駅のタイルで、その価値は、1週間で20%上がることも下がることもありません。きっと、5年経ってもそこにあるだろうし、多くの人が通る通路を支え続けることでしょう。

一方、株式の価格は上下します。なので、東京駅のタイルの価格が株価のように上下するわけがないという意味で、価値と価格が常に一致するという現在ポートフォリオ理論は馬鹿らしいのは明らかなのです。

という話を、バフェットさんはこの章において具体的な例を用いつつ、噛み砕いて色々書いていて、面白い。

A:農場と不動産と株

2013年のネタなので、古い本にはなさそうです。

1973-1981年のインフレの時に、銀行がリーマンショック以上に潰れて、農場が随分と売りに出たそうです。その時にバフェットは農場を買っています。

バフェットは、農業の専門家ではありませんが、穀物価格が上下するのも知っているし、小麦を人間が食べ続けるだろうことも知っています。なので、農業が好きな息子に色々聞いて、利回りを計算すると10%なので、農地を買うことにしたという話です。

それから、農場から得られる収益は3倍になり、価値は購入価格の5倍になっているそうです。

農作物からいくらインカムゲイン(年の収入・利益)が得られるのか、のみに注目して、利回りが良さそうなら買うというのができれば、すごく農業自体をわかっていなくても利益を得ることができるよ、という例で、バフェットは投資を話しています。

企業だと複雑ですが、農地であれば、単純です。単純な例をひいいてます。

ちなみに、バフェットがこの農地を訪れたのは、購入時と最近の2回だけだそうです。

同じく、ニューヨークの貸しビルの話が出ています。こちらも利回りで10%ありそうだから買ったという話。こちらは、詳しい人と一緒に買っていて、見てもいないと。

不動産価格も時に暴落しますが、家賃は暴落はしないので、そのあたり、わかりやすいですね。

B ミスターマーケット

バフェットといえば、ミスターマーケットです。株価など、ミスターマーケットという躁鬱病の人がつけているいい加減なものという、ベンジャミン・グレアムの話です。

まあ、雑多な市場参加者が、不安定な心理で取引する結果が市場価格なんであるから、この見解は正しいでしょうね。

ミスターマーケットに関するバフェットの記述は正しいし、丁寧なので、解説はこっちを見ていただくとして、私が読みながら、下線を引いた部分をピックアップさせていただきましょう。読んで理解したつもりになると、読んで理解しそれを行動に反映させられるには大きな違いがあるので。

「市場は下落し、投資家に損失発生」という見出しを目にすれば、笑みがこぼれるでしょう。みなさんは心の中でこのように言い直しているはずです。「市場は下落し、投資を引き揚げる人々には損失発生---しかし、これから投資する人々にとっては利益に。」(位置#2181)

株価が落ちるということは、バーゲンセールでしかないので、持ち続ける人には大変に嬉しいことであるのです。ただ、価値のない会社の株価が、株価が上がっているという理由だけで保持していると、そのメッキが禿げてしまい、元の価値に株価が戻るので、どうにもならないのですが、本当に価値ある会社の株式を持てるのであれば、市場価格の下落は歓迎なんですよね。

会社だと難しいですが、一つ前のパートの農地と貸しビルを想像すると、物が安く買えるメリットが、わかりやすいと思います。


C 裁定取引

アービトラージと言われる取引です。これは、株式が十分安くない時に、現金が余っている時に、バークシャー社がお金の運用に使う手段です。

昔は、二つの市場の価格差を使いのみに使われていました。例えば、米国の純金価格と日本の純金価格が異なる場合、その差額で儲ける取引です。純金を0.9ドルで日本で買って、1.0ドルで米国で売ることで、0.1ドルを儲けるような取引が、元の裁定取引の意味です。

でも、最近、その意味が広がっているという話です。

例として、ココアの話が出ています。ココアの値段と株式の価格がずれていた例です。株式とココアが交換できる特別な状況にあったので、株式を買って、ココアに引き換えて、ココアを売ると儲かったという話です。

最近では、買収に伴うTOBの例が顕著です。どこかの会社が、この株式を1000円で買うと宣言をしている。これが買収合戦になると釣り上がるかもしれないので、950円ぐらいで買いを入れるというのが、買収に伴う裁定取引の例です。

950円なら50円サヤが取れますし、新たな買収者が現れて、1100円で買うといえば、150円に利益が増えます。まあ、TOBが達成されないリスクもあるのですが、普通の株取引と違って、株式を買い取ってくれると言っている保険があるので、ちょっとリスク低いよね、というのが裁定取引です。

これを金利換算して、イベントが実施されないリスクを見積もってやれば、裁定取引はできるわけです。いわば、リスク限定で、リターンは青天井の時に大きなお金を張るのが、裁定取引なんですね。

例としては、TOBで株式価格で損をしないが、過去の原生林売却価格の裁判結果によっては、さらに配当がもらえるオプションが付いているときの裁定取引の例があります。損はせずに株式を売り、さらに裁判結果が良ければ、ボーナスがもらえるような取引を組み立てています。

このように、リスクは早い時期に消えて、リターンのオプションだけが残るような取引を作るのが、裁定取引よねという話です。

バークシャーは、お金持ち(現金もち)なので、大きな裁定取引しかしません。意味がないからです。でも、我々がやるなら、小さな裁定取引もできるので、株価が高くて買う株式がない時にバフェットがやらないような小さな裁定取引を狙っていくのも面白いかもしれません。

さて、こちらも引用を最後に載せますね。

今年は現金の持ち高が低い時期もありましたが、それ以外の時期には十分な現金があったにもかかわらず、裁定取引をしない選択をしました。主な理由は、これが私たちにとって経済的道理に敵わないものだったからです。このような取引は「よりバカを探す」ゲームになってしまっています(ウォール街の主レイ・デボーも「君子危うきに近寄らず」と言っています)。今後も裁定取引をーー時には大金を投じてーー行うことはありますが、それは勝率が十分に高いと判断した時だけです。

裁定取引は時にギャンブルです。保証があるように思えても、買うと言った会社が、借金まみれであったりすると、いきなりTOBが中止されたりするからです。

いくら、誰かが買うと言っていても、そいつがアホであれば、信用はならないわけで、裁定取引と言っても、アホな人の間で儲けるのは危険すぎるよね、「君子危うきに近寄らず」ということのようです。

D:定説の間違いを暴く

こちらの方は、現代ポートフォリオ理論の「効率的市場理論」の否定ですね。中身は読んでいただくとして、こちらは、私が大好きな章で、下線も多いので引用を中心にお届けしたいと思います。

これまで述べてきた裁定取引に関連して、「効率的市場理論」についても少し書いておきます。この教義はかつて大流行し、一九七〇年代の学界ではほとんど「聖典」と言ってもよいほどの扱いでした。この理論は本質的に、個々の銘柄に関する情報はすべて株価に適切に反映されており、株の分析は無意味だとしています。言い換えれば、マーケットは常にすべてを知っているということです。そのため、効率的市場理論の講義では、「だれでも株式銘柄表にダーツの矢を投げれば、最も賢くて努力家の証券アナリストが選んだのと同じ効果が見込めるポートフォリオを構築できる」と教えていました。驚くべきことに、効率的市場理論は学者のみならず、多くの投資のプロや企業経営者たちにも支持されました。彼らは、マーケットが「たびたび」効率的であるという正しい観察結果から、マーケットは「常に」効率的であるという誤った結論を導き出したのです。しかし、これは昼と夜ほど違います。

αとかβとか出てきますが、本質的に現代ポートフォリオ理論というのはこれなんですね。バフェットの書き下しが辛辣です。

「だれでも株式銘柄表にダーツの矢を投げれば、最も賢くて努力家の証券アナリストが選んだのと同じ効果が見込めるポートフォリオを構築できる」

簡単に書き直すと、こういう主張であります。そして、その理論の本質について、バフェットはこう批評しています。

マーケットが「たびたび」効率的であるという正しい観察結果から、マーケットは「常に」効率的であるという誤った結論を導き出したのです。しかし、これは昼と夜ほど違います。

よく自称株式投資家の皆様にお会いします。(機関投資家ほど多いのですが)「私たちの投資スタイルはバフェットです。企業をバリュエーションして買うものを探しています。で、オタクの投資ポートフォリオのベータはいくつですか?あ、ベータが高いですね」。結局、現代ポートフォリオ理論を抜け出ていないんですよね。

学生たちや効率的市場理論を鵜呑みにしたプロの投資家たちが被った損害のおかげで、私たちをはじめグレアムの教えに従った人たちは、自然と大きな恩恵を得る結果となりました。競争の世界では、それが金融上のものであれ、精神や肉体にかかわるものであれ、試すことすら無駄だと教え込まれた敵と戦うことほど有利なことはありません。自己本位な言い方をしますと、グレアム信奉者たちは効率的市場理論の講義が永遠に続くよう、これらの講座に寄付し続けるべきでしょう。

市場効率論者が、企業を調べずに株価だけを見て投資をしてくれるので、グレアム一派は儲け続けます。バカが高値で拾って、安値で投げてくれるので、我々投資家は安く株式が手に入るわけです。これは皮肉だそうですが、

グレアム信奉者たちは効率的市場理論の講義が永遠に続くよう、これらの講座に寄付し続けるべきでしょう。

こうなるんですね。

ここで一つ警告をしておきます。最近では、裁定取引は簡単なもののように思われています。しかし裁定取引は、年間二〇%の利益、あるいはどんな種類の利益をも保証する投資形態ではありません。すでに述べたように、マーケットは多くの場合において「ほどほどに」効率的です。過去六三年間で、私たちがとらえた裁定取引の機会のうち、株価が適正に思えるという理由から投資を見合わせた例は、実行した以上の数に上ります。

裁定取引こそ、市場価格と価値の違いに注目した取引であるのですが、やはりギャンブル的な要素が強いです。そして、市場は常に正しい価格を示すわけではないが、だいたいに置いて正しい価格を示す、というのがバフェットの相場感なんですね。

裁定取引で常に20%儲かるぜ、なんて考えていると、痛い目みるよ、という市場価格の捉え方に対する注意でした。まあ、分析はしてみるけど、やらないという素振りが多いんですよね、投資家には。

ある特定の投資の分野やスタイルをただ単に実行するだけでは、投資家は人より素晴らしい利益を株式市場から上げることはできません。多くの利益を手中に収めるには、慎重な事実の分析と規律の行使が必要です。なんとなく裁定取引を行うだけでは、ダーツを投げてポートフォリオを選ぶことと、なんら大差はないのです

スタイルがバフェットなだけでは、意味はなくて、ちゃんと企業分析をしないとダメよ。そして、分析通りちゃんと動けないとダメよ。普段はバフェットの投資手法ですと言っておきながら、いざ、リーマンショックや、コロナショックが出て株価が下がると、不安になってお気に入りで将来の業績に確信を持っている企業の株式を手放しているようじゃ、ダーツ投げているのと同じなのよ、と言っているわけです。

多くの人にとって、耳が痛いんじゃないでしょうか。

長期的に見れば素晴らしく、かつ理解のできる企業の株式を売り払ってしまうのは、ほとんどの場合、愚かなことであるという私たちの考えは変わりません。こういった企業の株式というものは、そう簡単にほかのものと置き換えられるものではないのです。

これ、私は耳が痛いですね。まあ、長期的に見れば素晴らしく、かつ理解のできる企業の株式など、あまりないのですけれどもね。

マンガーと私は、ずっと昔に投資で一生のうちに何百回も賢い決断をするのは無理だと悟りました。この考えは、バークシャーの資本が膨らみ、収支を大きく改善するような投資先が劇的に減ったことで、ますます強まっています。そこで、私たちはほんの何回か賢い(しかし、賢すぎない)決断をするという戦略を選びました。実際、私たちは今では一年に一回良い考えが浮かべばよしとしています(マンガーによれば、次は私の番だそうです)。  

本当に素晴らしい企業に投資する決断を数年に一度でもすれば十分で、あとは持っているだけで良い。あれこれ、銘柄を持ちかえる必要ないとバフェットさんは言っています。

実際やってみると、膨大な数の企業分析と、膨大な数の空振りを経験することになります。ま、それをやってこその投資家なのですが。


企業の所有者、すなわち株主たちにとって、学者たちのリスクのとらえ方はまったくもって的外れで、バカバカしいほどです。例えば、一九七三年に私たちが買ったワシントン・ポスト株のように、データベースを基に計算すると市場に比較して非常に鋭く下げた銘柄は、過去高値圏にあったときよりも「ハイリスク」であることになります。驚くべき安値で企業を買収できるのに、学者のこうした考え方のほうをもっともだと考える人などいるでしょうか。

β値(ベータち)に関する批判ですね。株価が大きく下げた時にβは上がります。でも、安く買ったときの方が、投資のリスクは低いわけで、βでリスクを判断するわけがわからんと言っているわけです。私も、そう思います。

①企業の長期的な経済的特性を評価できるという確信
②企業の持つ潜在力を生かしきる能力とキャッシュフローをうまく利用する能力の両面で、経営者を評価できるという確信
③事業で得た利益を自分たちより優先して株主に還元する経営者であるという確信
④企業の買い付け価格
⑤投資家の購買力である収益が総収益から目減りする度合いを決める税率とインフレ率の予想

投資する企業を評価するときの基準ですね。ちゃんと安定的にキャッシュフローを生み出し続けるという確信があった上で、安く買えて、それが、税率やインフレを考慮しても儲かるかどうか。ハードル高いっす。


マンガーと私がそのほかの変化を続ける企業の将来を予測できるわけがありません。そこで、私たちは簡単なケースだけに取り組むことにしています。目の前に針が見えているときに、干し草のなかに埋もれている針をわざわざ探す必要はないからです。 

しかも、予測が難しいケースはやるなと。

派手に取引する「機関」を「投資家」の名のうえに冠するのは、一夜の恋を繰り返す者をロマンチストと呼ぶようなもの

機関投資家は、セックスが大好きなロマンチスト、ですかね。投資家の取引は、常に控えめです。

私たちのモットーは「もし初めに成功したら、ほかを試す必要はない」ということ

良い企業に良い価格で投資できたら、放っておけ、ですね。私は、コロナショック時に欲しかった企業の株式を買って、本当にそう思いました。


「時がたつにつれて、私がますます確信を深めていることがあります。それは、正しい投資法というのは、投資家自身がその何がしかを理解していると信じ、かつその経営陣を完全に信頼する企業に、かなりのまとまった額を投資することだということです。とりたてて自信を持つべき根拠がないにもかかわらず、自分がほとんど理解していない多くの企業に投資を分散することでリスクを限定できるなどという考えは誤りです……人間の知識や経験は疑うべくもなく限定されたものであり、私自身が完全に自信を持てる投資対象が同時に二~三社以上存在することなど、めったにないのです

集中投資のすすめです。分散or集中 というチンケな選択の話ではなくて、ちゃんと投資をしようとすると、結局特定の信頼できる企業に集中してしまうという話です。多くを比較する中で、結局は、それより今投資しているこっちの方がいいじゃないかという話になる。また、まとまった投資が、まとまったリターンを生み出すので、ちょこまか小さい比率の投資をしても、徒労に終わることが多いということだと思います。

ある程度の金額と株式投資に回している人は、わかると思うな。

そして、集中投資する対象は、そんなにないです。見つけられない。会社四季報を目を皿にして探しても、あんまり見つかることはないですね。


しかし、多くの評論家たちは、最近の出来事に関して誤った結論を導き出しています。彼らが好んで口にするのは、大口投資家の軌道の定まらない行為によって揺さぶられるマーケットにおいては、小規模の投資家には勝ち目がないという考えです。このような考えは断じて誤りです。

バフェットさんの言い回しには、しかし、の後に重要なことが書かれるという日本的な言い回しが多くて困ります。まあ、機関投資家なんて糞食らえというか、彼らが市場価格を振り回してくれるので、小規模な投資家は長期で見て勝てるんですけどね。

不合理な思惑売買で巨額な資金を動かすファンドマネジャーによってボラティリティが生じれば、真の投資家にとって賢い投資行動を取るための機会を増やすことになります。そうしたボラティリティによって投資家が損失を出すことがあれば、それは彼が金銭的・心理的なプレッシャーによって不適当なタイミングで売りを出した場合だけなのです。

今回のコロナショック時に、REITを随分と仕込ませてもらいました。売ったのは、決算が迫った地銀さんだったそうで、本当に安く譲っていただき、ありがとうございましたの感謝の念で一杯です。

隣の人が安値で売った、ということだけで、自分の宝物を売ってしまうのは、私には愚かな行為にしか見えないのですが、多くの人がそれをするわけですよね。

普段からバフェットの本を読んでいれば、そういう貧乏になる病気の予防になると私は思うんですけどね。

続きます。


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