書評:『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ,柴田裕之)その8

さて、お待たせしました。第4部の科学革命。
第14章 無知の発見と近代科学の成立。

ここ、面白いです。

科学は人を幸せにしたか、を扱っている。幸せにしたと著者は言う。

科学は核兵器も作り出した。同時に、致死率を大きく下げ、人間が病気で若くして死ぬことを無くした。農業革命と違って、科学は、人類の幸せに貢献した。その科学の本質を、著者は解こうとする。

ここに、出口さんの『全世界史』の嘘が暴かれる。出口さんの『全世界史』では「中国の鄭和の大海軍に比べ、コロンブスの船はアリのようなもので、クソだった。アホな中国皇帝が鄭和を解散しなかったら、世界の海を征服したのは、中国であったに違いない。ポルトガルとかスペインの船団は、鄭和に比べればゴミみたいなものだった」という主旨になっている。しかし、著者は、これを全面否定している。

中国にはなく、近代西洋にあったのは、科学の心。それは、「無知の知」。人間は何も知らない。科学とは、「世の中、未知のことだらけ」という心構えであると。そこから探究心が生まれ、未知のものが既知になっていく、と著者は言う。

中世のキリスト教では「全知全能の神様は全てを知っている」となり、人間が知らないことがあても、神様に聞けば知っている。逆にいうと、神の預言者である司教さんは、全部知らなきゃいけない。だから、「人間はどこから生まれたの」という質問に、司教さんは、めちゃくちゃな嘘を答えるしかない。神父様は、最後に「と、神様は言っている」とか、「と、聖書に書いてある」と最後につけて適当な嘘をばらまく。

キリスト教でなくても、それまでの皇帝はなんでも知っていることになっているので、物事を探究するモチベーションがない。物事を調べる理由がない。だから、調べも、研究もしない。そこに誰も投資をしない。

一方、科学は「わかんない」だから、調べる。研究する。これが科学の心。

鄭和の艦隊は確かに大規模で強かったけれども、科学の心も探究心もない。一方、コロンブスなどのスペイン艦隊は、科学の心で、未知の世界を探しにいく。これが、大きな違いであったと著者は言う。

コロンブスの研究にお金を出し、金塊が見つかり、力を得る。これをまた、研究に投資する、という科学の好循環がある。その前の中世は、余ったお金は、貴族が宮殿を建て、美味しいものを食べるのに使っていた。科学が余財を研究に投じるのと、大違いである。

著者は、科学の特徴を3つあげている。

a. 進んで無知を認める意志
b. 観察と数学の中心性
c. 新しい力の獲得

科学の例を保険を例にとって説明している。生命保険の起源は、牧師にある。牧師は、保険を作るときに、牧師の一年間の死亡率を計算する必要があった。牧師なんだから、その数値を全知全能の神様に聞けば良いのだが、そうはせずに、統計をとって、数学的に求めた。よく当たった。牧師は、祈ることなく科学に頼ったと。これが保険という革命を起こしたと。


感想。

「科学革命は知識の革命ではなく、無知の革命だった」

これは引用ですが、衝撃だった。

中世に大勢が宗教を信じたのは「圧倒的に楽だから」だと思う。人間はどこから生まれたのか、真面目に探究しようと思えばすごく大変なですが、「神さがま作った」で終わるのは、すごく楽。考えなくていいから。

そこを「いや、わかんない」「人間知らないこと多いから」と認める勇気が、無知の知であり、「じゃあ、いっちょ調べてみるか」「こんなことわかったよ」「おお、すごいね」と続くのが、科学の心であろう。

「海の向こうに何があるの?」「海の向こうは滝になっていてさ、絶壁なんだよ」「え、ほんと?」「絶壁だから、危ないよ。行っても意味無いよ」

「海の向こうに何があるの?」「よくわかんないけど、地球は丸いはずで、西に向かえば東のインドに出るはずだ」「ほんと?」「わかんないから、ちょっと行ってくる」「そのお金どうすんの?」「ちょっと、その辺の王様に借りてくるわ」

日本は科学立国とか言っているけど、最近の企業で、「無知の知」を持ち、真面目に探究している企業は一握りである気がする。そして、その探究心を持った企業は、成功している気がする。

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