書評:『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ,柴田裕之)その11

最後、第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ。あとがきは、神になった動物。この2つが、すごくいい。

2018年のサピエンスは、サピエンスを超えてしまったという話。

我々は、神の領域に手を出して、他の生命体とは根本的に異なるレベルまできていることが、全サピエンス史の視点から書かれている。我々は、今までのサピエンスとは全く異なる時代に生きている。今まではと根本的に異なる進化の真っ只中にいるのである。すごい時代だ。

まず、遺伝子の編集ができるようになった。ネアンデルタール人を復活させたり、自分の好きなように遺伝子を組み換えることができる。技術的にはできる。倫理的にどうすべきかの問題。難病にならないマウスも、難病にならない人も作ることもできる。太古の生物もDNAがわかれば復元することができる。突然変異を待つまでもなく、遺伝子を組み換え、生物を好きなように編集し作ることができる時代。

何が完全無欠かの定義はできない。が、定義のできるものは、遺伝子的に作れる。エヴァンゲリオンの世界の到来である。

次。サイボーグ工学。義手はすでにあるし、ゴキブリやサメのサイボーグを遠隔操作なども研究されているらしい。攻殻機動隊の電脳は実現しそうだ。攻殻機動隊の世界。

最後に、肉体のない電脳空間の世界。こちらも攻殻機動隊の世界。コンピューター・プログラムが突然変異を起こし、自己増殖する仕組みが出てくる。それは、生命体となってくる。

要するに、フランケンシュタイン博士ができてしまったと著者は言う(私は英語でフランケンシュタインを読んだ。死体のパーツを組み合わせて、人間を作り出したのがフランケンシュタイン博士。でも、気持ち悪いので、疎まれる。疎まれたのが恨みに変わって、それが殺人鬼に化す、と言うのがフランケンシュタインの話の筋である)。

そして、神になった動物 と言うあとがきに続く。遺伝子編集により、新たな生物を作り出してしまえるサピエンスは、ほぼ、創生主である神の領域まで達したと言うのが主旨。私も、同意する。ただし、人間は、完全無欠ではないのだが。


感想。

サピエンス史の中でも、今は激動の時代だと思う。そして、私の生きている間に、サピエンスの技術は、神の領域に達した。心の方は、まだ幼い。

これから、激動が起きるのだろう。

2000年には、攻殻機動隊は夢の世界であった。今はもう、現実に近い。エヴァンゲリオンは現実に近い。そういう時代に、我々は生きている。

我々人類の力は、神の領域に入っている。これからの人類の運命を決めるのは、我々の意思であり、社会科学であり、倫理の力になるだろう。我々が持つ強大な力を何に使うのか。強大な力の使いかたを間違ったのが、今までの帝国主義時代であり、挙げ句の果ての世界大戦だ。

力の使いかたを間違えたら人類が破滅する(地球が破滅するとは書かない。多分、地球上の生物は、絶滅しないだろうから)だけの力を持った人類であるが、どこに向かうのかは、我々の世代の意思と努力によるのだろう。

ぜひ、我が子の世代のためにも、私が頑張ろうと思った。


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