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シリーズ「個性の大学」 Ⅱ 「共感」という誤解

・「何がやりたいの?」という質問に滲んでいた、憤りのような感情

 ある時、トークイベントで同席した方に「水野さんは何がやりたい人なんですか?」という問いを投げかけられました。おそらく、私のことを理解したいと思って投げかけてくれた質問だと思います。しかし質問の背後にある感情が疑問や好奇心ではなく、憤りや困惑であるように感じられて正直辟易してしまいました。同じような経験をしたことがある人も特に、会社員ではなくフリーランスとして働くことを選択している人の中には案外多いのではないかと思います。「自分のバックグラウンドや能力、今やっていることを一つの物語に編集してわかりやすく伝えて人生をエンターテイメントにしてお届けする」という取り組みは、やりたい人はやりたいだけやればいいと思うのですが、どうしてそういうことをしているのがあたりまえであって、誰しもが、少なくとも自由業を選択するような人間は情熱大陸的であって、プロフェッショナル的であってセブンルール的であらねばならないと思い込まれているのでしょうか。明らかに求められていることが過剰です。どの程度恣意的に編集されたストーリーを求めていらっしゃるのかいまひとつ見えてこなかったので、相手の方にやりたいことを伺ってみました。すると以下のような返答が返ってきました。


「自分は発信力を増やして影響力や数字を伸ばしていくことで自分のできることをどんどん増やしていきたい。最終的にはプーチン大統領とファミコンができるくらいの影響力を手に入れたい」


なるほど。まさに、なるほどという感じ。これに関して私から申し上げるようなことは何もありませんが、少なくとも私が困惑される道理はないでしょう。株式会社ZOZOを起業した前澤友作氏は「月に行く」という夢物語を終始発信していましたが、個人的にはだからなんなのだろうと思います。ニール・アームストロングが言うなら分かりますが、月面はお金さえあれば行ける場所という意味では少々遠い熱海のようなものです。冷戦時代の人類進歩幻想のようなものを持ち出されても、そこにどういった希望を投影すればいいのか分かりません。思想がないまま当然理にポジショントークとして繰り広げられる形骸化した達成のストーリー。盲目的であり、単に自己を肥大化させ続けるだけの膨張原理。これが大規模ながらんどうであることは、知っている人はとっくに知っています。ただ、何か「やってそう感」がある。便乗していかなければ、自分が乗り遅れるんじゃないかという焦燥感がある。それだけの、いってしまえば縁日のくじ引きのようなものです。祭りの熱狂の中で蠱惑的に光る玩具。明るいところで見れば、それは百円ショップですら見ないようながらくたです。

 人生を物語化してショールーム化してフォロワーに共感をして頂き、夢を叶えて感動をお届けする。結構なことではありますが、そういった熱狂の渦中で、最も重要な人生そのものが本人のものではなく単に広告を掲載する媒体と化していく実情をどう考えていらっしゃるのか。勿論、フォロワーの人に今考えていることや活動の指針を定期的に示してあげるのは親切です。今は情報の流通量があまりにも多すぎるのである程度はわかりやすく視野を提示しないと伝わりにくくなってしまうこともありますが。かといって。私は人生をまるごと「個性のショールーム」にしたいとは到底思えません。

 誰かを応援しようと考えた時に、分かりやすい物語と個性を求めてしまうのも「個性」ブームの弊害であると言えます。特に若い世代の方はSNSが主な情報源となっていることが多いので物事を好きになるきっかけが「共感」ベースになっているように思われます。というより、物事を好きになるきっかけが「共感」しかないと誤解をしているようにすら感じられます。勘のいい人は人生のある時期、自力で「共感」以外にも自分と映画や音楽や漫画を接続するための態度があるということに気がつくでしょう。が、自力で気がつかない限り「共感」をハブとして何かと繋がることしかできなくなってしまっている。そういった人が多いのではないでしょうか。


・そもそも「共感」とは

 当たり前のように、「共感した」「総フォロワー数〇〇万人」といった言い回しが用いられていますが、「共感」とは、一体どういった感情や態度を指し表しているのか。辞書には

共感
他人の考え・主張に、全くそうだと感ずること。その気持。同感。

とあります。私としては、SNS等で広く用いられている「共感」はここからさらに一つの文脈を加えたものであると考えています。以下にその定義を示します。

(近年特にSNSを中心に広く用いられている)「共感」
自身の思想・主張・感覚・達成したい夢などの内心にあるはずのものが、他者によって発信、表現されているという錯覚を抱き
他人の考え・主張に、全くそうだと感ずること。その気持。同感。

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