「コンセプト」とは【無料記事】


こんにちは、水野しずです。“コンセプト”をやっております。


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これが「コンセプト」だ


…と、言われても「コンセプト」ってなんだよという話になりますね。


当たり前ですが、そんなの誰もやってません。なぜなら「コンセプト」は私が考えた概念の独自用法だからです。

要するになんなのか

私は常々コンセプトが好きで堪らないというところがありました。

コンセプトとは、平たく言えばコンセプトカフェなどに導入されている独自の設定やルール、世界観に従って運用される決まり事であったりそこで執り行われる一連のコミュニケーションの形態を指してそう表現しています。コンセプトカフェでなくても例えば寿司屋の職人が「大将」と呼ばれ、入店し着席した客に対して「何握りやしょうか」など問いかける独自の世界設計なんか非常にコンセプト的だなあと思いますし、歌舞伎の大向こう(「中村屋」、「待ってました」からの「待っていたとはありがてえ」などの合いの手)なども極めてコンセプト的行為だと考えています。

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(※喫茶 王城の紙ナプキン)

上野に「王城」という好きな喫茶店があるのですが、このクラシカルでどことなくゴージャスな内装のお店の紙ナプキンには「王城」と書いてある。「喫茶王城」、ではなく「王城」です。つまり、この店内は王城ということなのでこれが王城だという態度でお願いしますという決意表明であって、なるほどここは王城かという気持ちでコーヒーを飲み文庫本を読むなどするのですが、そういった提示された設定を通して虚構の文脈を共有する行為に人間社会の醍醐味を感じている次第なのです。

なぜ、こんなに好きなのか。分かりません。


これらの行為は究極的には全て不要であって、産業的な合理性のある均質な社会を追求した場合には一目散に排除されていく筈です。いわゆるコンビニエンス的なもの、金銭という子供も大人も人種も性別も関係なく同じ価値の支払いができるツールでは表現しきれない人間の非合理・情緒の領域。

しかしながら考えようによってはコンビニエンスストアも極めてコンセプチュアルなものです。合理性、均質化、利便性というコンセプトが凝縮され現出した空間だと考えると、24時間一定の均質な光量で店内が照らされ、一定の秩序を保った空間に同じ形に加工された食肉やレトルトの食品が並び感情や個性を表に表さない接客を受ける事ができる産業ディストピアエンターテイメント空間のようなものです。災害時にコンビニエンスストアの棚から商品がゴッソリなくなってしまった状態を目の当たりにすると「コンビニエンス」というコンセプトがあくまで企業努力や社会的な約束事によって成り立っている協力の総体であって、当たり前のものではない実にコンセプチュアルな領域の空間であることを実感します。

つまりコンセプトが存在しているところには、常に人間間のルールの解釈と合意、コミュニケーションが存在している訳で、もっと言ってしまえば我々はコンセプトなしでは社会生活を成立させる事が出来ません。学校には学校のコンセプトがあり、会社には会社のコンセプトがそれぞれ独自に存在しています。それらを各々が解釈し合意の上で成立させているって、実はかなりすごいことだよなあと思うのです。

しかしながら、これらが「コンセプト」であるという実感は社会生活の中でしばしば透明化され不可視のものになりがちです。コンビニエンスストアの店員はあくまで「コンビニエンス」というコンセプトに従って無感情、均質な対応をしてくれているのですが、ともするとロボットのように見えてしまったりもする。学校はよくアニメや漫画の主題で「学園もの」というジャンルがあるように箱庭の平穏で安全で馬鹿馬鹿しくて退屈で繰り返される日々の中でちょとした事件が起こったり起こらなかったりして当たり前の青春が享受されるというあくまでこれは不断の努力によって成立している教育を受ける権利という「コンセプト」であって、明日が憂鬱で学校に隕石が衝突して休みにならないかなあ、なんてことを考えたりもするんだけど実際にそんな事は起きなくて、そんな空想の中に本当に隕石が衝突したら、明日戦争が起きたら休校になるという想像力は割と失われがちであったりもします。

極端な意見に感じられるかもしれませんが、私はもっとこうした社会生活の中に満ち溢れる「コンセプト」のアウトラインを強調し明確にし、各自がそれらを意識する視点を持った方がいいと思っているのです。だって楽しいから。当然だと思っていた事が実は「コンセプト」に裏打ちされる努力の総体にとって成り立っている掛け替えのないものだという事が一々実感できて個人と社会の関係がより良くなるのではないかと思うからです。

大げさなことを言っている感じがしますが、これは本当にそうで現代は社会と自己との接点を喪失して疎外感や孤独感、埋没感を感じてSNSなどでなんとか自分の存在感を表出しなければならない、他者との差異や独自性を強く打ち出さなければ存在する事が出来ない、という悩みが一般化しています。そういった社会との接続の希薄さやアイデンティファイドされていない個人としてのあり方の心細さが蔓延する原因の一端にコンセプト意識の希薄さがあるのではないかと思うのです。

コンセプトをもっと噛み砕いて説明してしまえば、それは先にも述べたように人間間のお約束事です。しかし、そういったお約束事には個人を阻害するという副作用があります。今日びご近所づきあいの井戸端会議に参加してペルソナを被るような事もしたくありません。そんなの誰得?って感じだしただでさえ誰しもがSNS上で複数アカウントの使い分けに忙しい。

だからといって、ネット上で他者との差別化、自己の確率を強く志向した結果排他的でギスギスしたあんまり楽しくない空間が出来上がってしまう。

もっと楽しくするにはどうすればいいのか?と考えた時に見えてくるものが「コンセプト」をむしろこちらからやりにいく姿勢、コンセプトを作り出す意識や、積極的にコンセプトを読み取って参加しにいく姿勢だと思うのです。

やりにいくというのは「やらせ」の逆で、主体的にセルフやらせをやっていくという意味合いです。「やらせ」は概ねネガティブな用法で予定調和的に配置された目的に対して個人の意思や動機が無効化された努力目標が浮き彫りになってしらける様子を指して用いられる言葉です。「やりにいく」とは確信犯的に主体性を持った意図や動機を表出、場への影響与えの姿勢を示していく状態を指した造語で、同調圧力に相対するところの空気をやっていく姿勢を表しています。空気をこちらからやっていく。

空気をやりにいく態度


これが2020年代を生きていく鍵なんじゃないか、そういう感じの話でした。


大変長くなってしまいましたが、こちらをご覧ください。

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これが「コンセプト」だ

どう見ても、やりにいっているのは明白です。

こちらは私が考えた独自のキャラクター、いわゆるコンセプトです。
過激意見ですが、私はコンセプトカフェが大好きなのですが、究極的にはコンセプトカフェには「カフェ」が不要なのではないか、と考えています。

コンセプトカフェにとっての肝は「コンセプト」であって、その上で導入のきっかけとしてあくまで体裁上のシステムとして「カフェ」という親しみ深い商業形態が付加されている状態でなければないない。しかしながら実際のところはどうでしょうか。あくまでカフェがメインでコンセプトは他のカフェとの差別化を図るための表面的なフレーバーに留まっていることが多い。カフェラテにキャラクターのイラストがプリントされているだけの飲食店に過ぎないという、ここでもコンセプトの弱体化、意図や情緒よりも経済的合理性が強調されるといった先にも申し上げた同様の問題が発生しているように感じられてやまないのです。

であれば、もうコンセプトカフェに「カフェ」は不要であると。
頑として言い訳なし、建前なしの「コンセプト」そのものをやりにいく。

これが私にとっての現代への処方箋なのでありました。

そういった意図で作ったプロジェクトがこの、「存在しない乙女ゲームの攻略キャラクター」こと薔薇貴族薔薇学園の生徒会長氷野清史郎なのです。


先日、|薄荷|The peppermint magazine Vol.2|特集・絶対王政薔薇貴族薔薇学園|を発売しました。

ペパマガ

|薄荷 The peppermint magazine| とは、須藤絢乃が毎号様々な表現者と作り上げるアートマガジン。1冊1冊が作品として世に放たれる媒体です。一見自由に見えながら、常に不特定多数の検閲の目に晒され、次から次へと情報が生まれては消えゆくインターネットの世界から離れて、どこまでも美しい世界を追求し、時には過激なメッセージを添えて貴方のお手元にお届け致します。本は薄いが、中身は濃厚。少しの量で大きな効能を得られる、まるで薄荷の様な一冊です。

とありますが、初見ではよく分からないですね。
一言で言えば、「コンセプト」を丸ごと詰め込んだ一冊です。

先日、予約販売をしてこんなにまだ世にないことをやっている割に多くの方に手に取っていただきました。(本当にありがとうございます)

通常販売分をネットショップに入荷しましたので気になった方は是非お手に取ってみてください。


少数生産なので定価が高くて申し訳ないのですが、Instagramアカウントでもコンセプトを発信しておりますのでこれだけでもチェックしてみてください。隅から隅までコンセプトの塊のような全てがコンセプトに貫かれたコンセプト柱の私が大満足のアカウントとなっております。

https://www.instagram.com/hinoseishirou/


【|薄荷 The peppermint magazine|について】

名前がちょっと分かりにくいのですが、「ペパーミントマガジン」略して「ペパマガ」などと呼んで貰えると嬉しいです。このアートマガジンは写真家の須藤絢乃さんが2020年に始めたプロジェクトで、現在までに「vol.0 特集・お花やくざ」「vol.1特集・あちら側、こちら側」そして「vol.2特集・絶対王政薔薇貴族薔薇学園」の3冊が発行されています。かなり手間がかかった個人紙の割に創刊からの驚異的な発刊ペースで制作されています。

絢乃さんは私が美大で勉強をしている時から異色のフォトグラファーとして明らかに異彩を放っていました。

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圧倒的

須藤絢乃さんの作品を一目見た瞬間に、「これはコンセプトだ!!」と言い知れない胸の高まりを感じたものです。絢乃さんと作品作りができてとっても嬉しいです。絢乃さんも嬉しいと言ってくださってコンセプト両想いです。


2021年もこのように立ち上げたコンセプトを元に色々展開をしていく予定をしています。


コンセプト至上主義、面白さ至上主義を掲げ、現状クソに近しい世を可及的速やかに最高にしていきますのでよかったらお付き合いください。

よろこびます