「宗教、大丈夫ですか?」


しょっちゅうではないんだけど

だからと言ってごく稀にという訳でもなくて

スリーワイ(っていうマイナーなコンビニ)を見かけるくらいの頻度で


「宗教、大丈夫ですか?」


っていう質問をされることがある。

同じ人から何度もされているのではなくて例えば大学のゼミで普段は口数の少ない人が、二人きりになったタイミングでおいそれと訪ねてきたりする。

そう言ったことが、スリーワイを見かけるくらいの頻度で、


なんか、ある。



一見何を言っているのか分からなかった。最初は全く分からなかった。


宗教?


大丈夫?


一体、何を言っているんだろう。大丈夫とはどういう意味なのか。基本的にはなにかしらの「大丈夫ではない」ことが起きているのか。

とりあえず否定も肯定もせずにその時、流れ落ち始めた新規の滝を見るような形の人間となって話を聞いていると、おぼろげに浮かび上がってくる単語の端々から


「私の親族や育成環境にはカルト宗教が関わっていて、私も2世信者として育てられました。それでも人付き合いをしてくれますか?大丈夫ですか?」

という質問をされているということが分かった。


自分は当時、視野があまりにも狭すぎて、またある部分はあまりにも広すぎて概念とドット絵くらいしかない珍妙な孤立した世界に生きていたのでそんなことは一回も考えたこともなかった。そこで生じた裂け目のようなものから怒涛のようになんと言ったらいいのでしょうか、「世間」が体内に噴出してきた。

噴出したものへの私自身の感想は一貫した。


「実にくだらなく、極めてどうでも良い」


結論が再帰的であることを美しく感じた。

(↑再帰的=そうだからそうでしかないというくらいの意味で使ってるよ:))

それは美しく完璧だし、ましてや自分が人間だからという理由で意味もなく理不尽にましてや無尽蔵にそういった感情が湧き上がり続けてくるエネルギーに感動して無性にジーンとした。

一方で、対話者は

ジワジワぬるい温度の質量を発し続けている。

いや、これは全くもって私の予想に過ぎないのですが

本人にとってはこの事情、根本的な問題意識を知らない人といるときは何をしていても頭の片隅でジワジワ腐敗のようなもしくは発酵熱のようなぬるい温度を発し続けているのではないか

だから、一見何を言っているのか全く分からないくらいに「言葉の角」が取れに取れて、いざその温度を人前で取り出してみようという時になんだか電子レンジで再加熱してみせることもできないリアルタイムでなんとも言い難い微熱を発し続ける得体の知れないもの。不明瞭な分からない輪郭のない説明に なってしまうのではないかと思い至って

依然としてジーンとしたままでありつつ、なにも言えなくなった。

なんも言えねえ。

ジーン / ジワジワ(憶測)

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