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損=得=損

[文末附録:爆鬱エッセイ 命じゃないから、恥ずかしくないもん]

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※「AIの絵をどう考えていますか?」という質問に対する自分なりの見解です


 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀「人生に寄り添う一着を デザイナー・皆川明(ミナ ペルホネン)」(2016年10月17日放送)を見たら、皆川氏が「作為的になってしまうと、ものの価値の実質を損ねる」という内容のことを表現を変えて繰り返し問いていたのがすごく印象的だった。

 作為、確かにそういう言葉はあるんだけど、忘れていた。忘れていたというより、かなり多くのものがどうせいつかはSNSに投稿されるという前提で存在しているのでそんなものは風景の一部みたいになっている。空に浮かんでいる雲みたいに、全員にそれが見えているしわざわざ言及しない。あえてそうであるものを切り出す視点が失われているというか。

 作為に覆われた不自由さの渦中で精神の活動領域を広く保つには内心の動機が重要になるので、精神活動の行動原理を合理性から遠ざけておく必要がある。と私自身は考えているけど、まあでも合理的な方が得だし最近はずっと得のブームが起きている。得の為に生きるのは損だから、得なんて考えなくていいと思うけど、それは個人の価値観なので言ってもしょうがない。というか、人類の生産能力が食べるのに精一杯だった時代は絵とか描いているだけで生存に繋がらない行為に向かうクレイジー異常者の認定が与えられていたので、クレイジー行為と損得の両立なんか当然無理だったけど、現代はわりと逆っぽくなってきている。生存に直結しない活動に打ち込んでいる方が、むしろ今後社会適応できる可能性が高そうでcoolというか。その上作為というか、ウケ狙いのような態度も予め承認されているとなると、あとはもう、どんどん得になっていくしかない。何事においても「賢く合理的に、定められたお得な領域の範囲内でうまいことやる、オイシイ部分をシェアしつついいとされる感じの流れに乗っていく」という正解が見えている。人生のネタバレである。

 AIの絵に本気で危機感を抱いてSNS危機感の発信をしている人を結構見るけど、別にpixivのランキングだってAIの絵とやっていることはあまり変わらないんだから急に驚くのも変な話だよなと思う。何事においても「賢く合理的に、定められたお得な領域の範囲内でうまいことやる、オイシイ部分をシェアしつついいとされる感じの流れに乗っていく」。これをやっているのが人間でもAIでも構わないし、どっちもできるならAIがやった方が椎間板ヘルニアで苦しむ人が減っていいと思う。AIが人間に近づいてきたような錯覚が起きているけど、実際には人間がAIに近づいているっていうだけの話だと思う。得をしようとしているんだから当然そうなる。しかも、社会と個人の間に矛盾や抑圧みたいなものが生じることなくすんなりと「いい得」ができている。AIと人間がより一層同じになるのでますます得ができる公算が高い。じゃあなんで絵師のような人々の間で危機感が生じているのかというと、「得をしたい」っていう願望はより正確には「他の人間と差異を付けてより多くを得ることで違いを実感したい」っていう願いなのに、他の人やAIとどんどん均質化しているから「ヤベー」みたいな感情が生じてきているんだと思う。最高効率でオシャレができるユニクロを買った結果、横並びのオシャレになった、みたいな。

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