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質の低いヒーリングミュージックは最悪(フィクション)

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件等には一切関係ありません。



 許され過ぎているものってこの世にある。ちょっと前にイラストレーターのトレパクが話題になってたけど個人的にはトレースとかパクリとかは全然どうでも良くてさっさと許されたらいいのにと思う反面、自己紹介にあった「あっ、女子しか描けません」という記載の「あっ」部分については地獄の沙汰のような態度で徹底的に厳しく糾弾されるべきだと思う。暗かった人生を根拠に、今現在やっている卑怯さ、卑屈さの許しをあらかじめ得ようとするなよ。自分の態度が卑屈なせいでうっすら周りの人間に迷惑をかけている自覚はあるのに、ちょっと他人の罪悪感を刺激すればそのままでいられると思っている途方もない図々しさ、ふてぶてしさ、傲慢さ。その類の傲慢さは確かに、才能の程度によっては許される類のものではあるから、傲慢さの埋め合わせに才能を過剰演出してしまったのだろうと私は思う。そういう手口、私はすごくよく知っている。友達の彼氏は最悪。質の低いヒーリングミュージックみたい。これに何か不満を感じる方が心が狭いのかな、可哀想だし、と巧みにこちらに罪悪感を得させる技術だけが抜群に抜きん出て優れている人物と友達が付き合ってしまった。なんでかわからないけど友達が最悪の彼氏と付き合うたびに私がひどく傷心してる。なんでか分からない。損しかないのに。



せめてまだセクシーであれと願ったがそれすらもない根本的な



 性行為に気が狂っている者同士の付き合いは見ていてわりと清々しい。学校に毎回違うスヌーピーのTシャツ(本人は「ピーナツ」と呼ぶ)を着てくることで、クラス全員がなんとなくスヌーピーを避ける原因になっている人物も、まだセクシーではある点に十二分の救いがある。セクシーという観点で見れば、「ピーナツ」がプラスに働くこともある。お互いが、得をしているんだから。アブラゼミがジイジイ羽を擦り合わせている。大学生特有の著しい発奮は、聖火ランナーのがんばりのみたいなものだと思い込めば、優しい笑み方ができる。それに比べると質の低いヒーリングミュージックのような人物と付き合っている私の友達は「可哀想だから」付き合っている。なんというか、客観性がありすぎる人っていうのは、人生大体において損。質の低いヒーリングミュージックは「癒してきそう」な雰囲気があるだけで、ちゃんと聞けば全く癒しとかではない。どちらかというと人を小馬鹿にしたメロディーである。なんだか柔和な雰囲気があるだけで絶対に面倒な小仕事をやらない友達の彼氏は、雑なヒーリングミュージックに酷似している。ヒーリングミュージックは、ちゃんと聞いてはいけないような、向こうがヒーリングって言ってるんだからこっちもヒーリングとして受け取ってあげなきゃいけない感じの雰囲気作りだけで成立している。人間の恩赦の心に巣食う魔物である。

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