「かたづけ」というものが根本的に分からない人に向けたゼロからの解説



【はじめに】

そもそも「かたづけ」とは何を意味しているのか


特殊な生育環境を除いた多くの人が、
物心ついた時には

「片付けなさい」

と指示された経験があることと思います。

支持された「それ」をやらなければいけない。
やらなければ人間としてまともになれない。


「それ」はできて当然である。当たり前のことが当たり前にできる人間になろう。


時として背後に脅迫的なメッセージすら伴う人間義務としての「かたづけ」

しかし、一体「かたづけ」とは何をどうすれば「かたづけた」ことになるのか、具体的な目的と達成条件については誰も教えてくれません。


まずはそこだろ。頼むから教えてくれ…誰か


とあなたは思ったことがあるか分かりませんが、私はいつもそんな風に感じておりました。

だって何をどうすれば「片付いた」ことになるのか、
結論が見えてこない。一回も説明されてない。

それをやれ!と言われてもかなり難しくないですか?


ちょっと大袈裟な表現かもしれませんが、一体人類は揃いも揃って執拗に「何」をしたがっているのか。未だ「何か」としか言いようのない「何か」に人類が向ける熱意や義務感はどのタイミングで(あるいは生来的に)獲得したものか。

根本的なレベルで分かっていませんでした。


私は以前、特殊な部屋の住人としてよくお部屋取材をされていました。


つまり、部屋の様相が一般的な水準からみて異様であるということ。著しく偏った状態であることなのですが、どうしてこうなるのか、これは一般的な部屋とどう違うのか当時の自分はそれすらよく分かっていませんでした。

友達が家に遊びに来てくれた時に、見るに見かねて部屋を片付けてくれたことがあったのですが、私の部屋を懸命に片付ける友人を見て私が抱いた感想が以下です。


「何でそんなにがんばって物の位置を移動させているんだろう。まあ、でも自分には意味が理解できないけど本人がやりたくてやっているみたいだから、まあいいか。成り行きを見よう」


もはや「お片付けサイコパス」です。こんな世が世なら犯罪者という人物の片付けをしてくれた友達はめちゃくちゃやさしいのでそういう友達がいるのはかなりハッピーだけど。


結果、部屋は一般に「片付いた」と言い得る状態になりました。

なったのですが…

ハッピーな友人の好意へのうれしさとは裏腹に、私の視点からは物質の位置が丹念に執拗に変更された空間に過ぎず、丹念な移動がどういった意図で進行しているのか実際の行為を観察しても読み取ることはできませんでした。友人は移動の偏執狂ではないのかと思って感心してしまいました。


この始末では「かたづけ」ができるわけがありません。

まあ私は「お片付けサイコパス」なのでしょうがないのですが
でも、私ほど極端でなくても「かたづけ」って何すればいいのかイマイチ分かってない。でもなんかしないと人としてヤバイって感じがするからそれなりに「かたづけ」っぽいことをやってる

ってくらいの「ニュアンスお片付け」の人は結構多いような気がしています。

自分からするとニュアンスお片付けができている時点で言語化されていない雰囲気がつかめているのはスゴイと思うし、かなり上級者の印象です。

ただ自分の場合はあまりにも分からないの度が過ぎるので根本的なゼロ地点から「片付け」って何かと必死に考えてみました。(そうしないと出来ないからです)

そうしたら全てが「分かり」ました!ヤッター

片付けが全くわからない、雰囲気しかわからなくてお困りの方がものすごく大勢いらっしゃると思うので誰でも分かるように言語化したものが以降の文章です。

ご安心ください。これで片付けが分かるはずです。

分かった結果、それが出来なかったとしても「自分は何が出来ないのか」という内容は把握できるはずなので、少なくとも何か得体の知れない人間能力が足りず社会的に否定されている哀しみはなくなるはずです。


ヤッター


目次

【はじめに】

・そもそも「かたづけ」とは何を意味しているのか

・実は誰も「わかってない」

・何のために「かたづけ」をするのか

コラム
なぜミニマリストは…

【実践編】

①「目的」の設定
〜定食に例えて考える〜

②目的ごとの配置を設定する
・ワンスペース、ワン目的の徹底
・最優先事項・至上命題としての『導線の絶対死守』
・物質は「目的」と「空間」が両立して初めて意味をなす

③余力がない時のために優先順位を設定する
・「最悪の事態」込みの運用計画

【まとめ】

・結局「かたづけ」とは何を意味するのか
求められている内容の高度さ
相反して軽んじられる流動性


誰も分かってない


具体的な説明に入る前に、そもそも「片付け」はどのように扱われている概念なのか考えてみます。(※実践的なことだけ知りたい人は【実践編】まで読み飛ばし可能です)


人間は当然のようにあらかじめ片付けを理解しているような風潮。幼児向けアニメですら「片付け」というものの意味自体を説明する描写を見たことがありません。

一体「かたづけ」というものをあたかも自然に体得しているように見える人はどのようにして「かたづけ」の意味する内実を学習したのでしょうか。義務教育で習ったのか。


一応小学校には掃除の時間が設定されていますが、これはどちらかというと


『適性などとは無関係に定量的に割り振られた職務を(それがたとえ不条理な内容であっても)強く疑問を抱かずにそういうものだと割り切ってリーチンでこなす為の訓練』

であり、個々人が社会的に要求される「かたづけ」というものの内実やスキルとは何ら関係がありません。


自分が知りたいのはもっと具体的な解説です。


料理や裁縫についてはご飯を炊く、雑巾やエプロンをぬうなど初歩的な教育が義務教育の中に織り込まれているにも関わらず、「かたづけ」の基礎的方針を教えてもらうチャンスはどこにもありません。

民間の「かたづけ」に関する本や情報媒体を紐解いてみても

・細かい埃をとるために有用な使用済みストッキングの活用法
・100円で購入できるプラスチック製の棚で細かく分類するメソッド

などの完全に土台を理解した上級者向けの枝葉末節のコツばかりが異様に丹念に描かれ、そもそも「かたづけ」において何が要求され、その為にどう行動を目的化すればいいのかといった根本的な知識はどこにも売っていません。


実は誰も「わかってない」


片付けについて調べていく過程で、「片付け」と大体セットで使われる言葉があることに気がつきました。

それは

「生活感のない空間」のような
生活感のない◯◯という表現です。

つまり

「片付け=モデルルームのような生活感のない空間がゴール、到達点」

という目的意識が前提になっているのです。

それはつまり、片付けの動機として設定された

・恥ずかしい部分を隠す

・人としてちゃんとしているように見せる

という目的が肥大化し過ぎた結果、ズレて逸脱したものが誰も訂正をしないままに「片付け」の共通認識になっているのではないか。

恥をかくす、人間らしく見せかけるという動機は、

実際は「片付け」の数ある要素の中の一つでしかない

むしろ、よく考えるとそれ自体は片付けそのものではない。強いて言えばオプションの要素。そんなに頑張らなくてもいいはずのパートです。盛り上げのフレーバーに過ぎないに関わらず、拡大解釈され過ぎている。その為に、かえって誰もが片付けのことが分からなくなる集団混乱状態に陥っているのではないかと思いました。

つまり、

「片付ける」=モデルルームのような生活感のない空間を目指す、生活の痕跡を隠蔽することで恥ずかしくない状態に着地する

という認識が疑問の余地がないほど一般に蔓延した結果

生活感という恥の隠蔽を目的として追求した結果、空間の用途を無視してあらぬデッドスペースに筆記用具が100円ショップの棚をマスキングテープでコーティングした謎のセパレート空間に収納されるという複雑な苦しみが発生しているのではないか。

本当にそんなことが必要なのか。


もっとシンプルに考える必要がある


何のために「かたづけ」をするのか


ひとまず、出来るだけシンプルに考えてみることにします。

住居の目的は何か、それは

・安全で快適な休息の為
・くつろぎと娯楽の為
・身体を清潔に保ち身嗜みを整える為
・より経済的または充足的に生活する為の調理、飲食スペースの為
・より効率よく仕事をする為

などの目的を各自の要望に合わせてカスタマイズし達成する空間です。

上記に限らず、様々な目的があると思いますが、


『限られたスペースに住む人がそれぞれの目的を設定し、達成する為に運用する空間』

それがつまり「部屋」ということになります。


したがって、片付けの目的は原則的に

「各自が設定した目的をよりスムーズに運用する」

と考えてください。

ここで重要なポイントは
「片付け」と「掃除」をひとまとめにしてごちゃごちゃにしてしまうとよくわからなくなってしまうので、あくまで「片付け」と「掃除」は別のタスクとして認識しておくという点です。

⑴片付け=空間のよりスムーズな運用のためのレイアウト、無駄の排除、効率化、快適化

⑵掃除=既にレイアウトされた空間の整理整頓・汚れの排除

です。似ているように見えるかもしれませんが、本質的には全く異なる目的の軸を持った行為であることがお分かり頂けると思います。

一般的には「片付けをしてください」という一言で「片付け、掃除の両方を同時進行的にこなしてください」というかなり複雑な指示をされていたりすることも多いのですが、これはかなり難しい指示なので無視して構いません。

両方やる必要があるときは、まずは

⑴片付け

それが全て終わってから

⑵掃除

をやるようにしてください。

かなりの上級者の人は別として同時進行すると効率が悪くどちらも終わらない羽目になります。というか普通に両方やるのはすごく大変なので、2日(部屋がかなり終わっているという人はもっと日数をかけて小分けにしてください)に分けてやりましょう。


改めて目的を考えてみると、とてもシンプルです。しかし、それを一体どうやって「やる」のか。

ご安心ください、より詳しく手順を追って「やること」を説明します。

理屈さえわかれば、とても簡単です。


【コラム】 『なぜミニマリストは…』


テレビや雑誌に出てくる「ミニマリスト」とされる人を見て、

なんでそんなことをするのだろう、これが「ゴール」だと言うのなら一体片付けなんて究極的には自己滅殺に向かう馬鹿馬鹿しい行為ではないの?

と不思議に思ったことはありませんでしょうか。

実は上記のような質問をInstagramの質問コーナーでお答えしたことがあります。

そもそも、特にバラエティ色が強いテレビ番組に出てくるような、極端に物を減らす虚無的な「ミニマリスト」の人は実際はミニマリストでもなんでもありません(これを「捨てマニア」と名付けます)。それらの人々は「ミニアル」と真逆のことをしている、もっと言うとゴミ屋敷に住んでいる人とやっていることは変わらないのです。

ゴミ屋敷の住人がなぜゴミを溜めてしまうのかと言うと、それは「物質を所有する」ことでドーパミンが分泌され、また私たちの脳はそういったことでドーパミンが放出される回路を強化する訓練を社会的に受けているからです。

私たちの脳はちょっとした習慣や生活スタイルのくせからつい依存症に陥りやすいように報酬回路が強化されているのです。その為にゴミ屋敷の住人はついつい物を所有するという快楽に依存してしまっているのですが、極端な捨てマニアの人もこれと同じです。

「捨てる」と言うのは、物質を獲得する行為の真逆に見えるかもしれませんが、実際には「捨てる」ことで空間や所有している物質に占有される脳のメモリーを解放することで「獲得」していると言う一面もあるのです。

その為に極端な「捨てマニア」の人は極度の捨て依存症に陥っているのですが、生活感のない部屋というのは一般的に賞賛の対象となりますから本人自身も依存症に落ちい追っていることに気がつかずに「捨て」の道に邁進してしまうということになります。

(実際に探偵ナイトスクープで捨てマニアになった元ゴミ屋敷住人を拝見しました。彼は自分の部屋にはもう「捨て」るモノがないということで、他のゴミ屋敷住人のモノを「捨て」まくっていました。これは、過食症が拒食症に転じたようなもので本質的に抱えている問題は変わっていないと感じます)

ですから、片付けをマスターしても虚無人間空間にはならないのでご安心ください。

むしろあなたが生きる上で達成したい目的をより達成しやすくなるので上記とは逆のことが起こります。本来のミニマリストもそれが目的のはずです。


【実践編】

①明確な「目的」の設定
〜定食に例えて考える〜

ここから先は

3,427字

¥ 800

よろこびます