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シリーズ個性の大学 Ⅲ 「うまさ」と「個性」

 普段私たちは、うまい絵、うまい文章、うまい漫画、うまい落語、など様々な表現に対して定義を確認することもなく「うまい」という言い回しを使っています。どこかで話し合った具体的な共通認識があるわけでもないし、詳しくない表現の分野に対しても自然に使えてしまう「うまい」という言葉、これは一体何を言い表しているのでしょうか。答えはとてもシンプルです。

「うまい」=客観性がある

 何かの分野を極めた達人のような人、あるいはよく研究している詳しい分野に対して「うまいね」と言う場合は、豊富な経験や知識に裏打ちされた複雑な意味合いや見解が込められているのでしょう。一方で私たちが日頃幅広い対象に使っている「うまい、上手だね、よくできてる」といった、特に深い意味のないうまさへの称賛は、実のところ「作者の客観性によって表現物がうまく成立している」ことを指す場合が大半なのです。
 
 例えば「歌が上手い」ということは、単純に考えれば

・音程が合っている
・リズムが合っている
・抑揚のつけ方が場面に合っている

ということになります。合っている、とは出力された音が定められた基準に合致もしくは近似しているということです。合致させるためには本人が基準を理解して合わせる必要があります。あるいは、絵を描くためのパースなどの技術は人間が知覚した三次元空間に近いと感じられる状態を平面上に構成する為のものです。したがって、うまければうまいほど客観性の伴った画面になります。ところが反面、歌でも絵でも漫談でもそうだと思いますが、余りに客観性ばかりを強調しすぎてもそれはそれですごくつまらない、どうコメントをしたらいいのか分からない、ただそれがそうであるという事実だけが切り取られた表現になってしまうのです。綺麗にピントが合っていて画角や余白などのレイアウトも適切な動物(アフリカゾウ)の写真を思い浮かべてください。うまいが、それ以前に何もコメントすることがないはずです。動物園の紹介文の隣に配置する写真としては、この上なく最高に適切ですが。このように、作ったものを発表する場においてどの程度客観的であることが求められるか、という制約が実は全ての表現には並走しています。たとえ趣味でSNSに載せるだけの風景の写真でも必ずそういった葛藤は伴います。「見せ方」というとSNS上では些細なものを大げさに吹聴してさも価値のあるように見せかける誇大広告的な文脈が先行してしまいがちですが、実際のところ「見せ方」というのは作品の一部とも言えるのです。

当然、技術力が高ければ高いほどできることの幅は広がりますが、だからと言って技術力のみが伝わる作品は概ね駄作です。それは往々にして作者にベストなバランスや伝えたいことの限界について追求をする葛藤がなく、技術力を見せることだけが目的化している不親切な表現だからです。かといって、客観性がない表現というのはそもそも見てもらえません。筆者が中高生のころはスマートフォンが普及していなかったので家族や友達くらいは拙く、主観的な表現を見て優しい感想をくれましたが、現在では親族すら余りに多くの情報に取り囲まれているので全く客観性がない表現を見てもくれないでしょう。時間的に余裕がない、というよりは物理的に目に入ってこない、少なくとも意図的に伝える情報を編集する感覚が伴っていなければ、そもそも目に入らない。ある程度は体裁が整えられた無数の情報が前提になっているので脳に届く前にうわすべりしてしまう。現代は情報発信の手段は増えているものの、そもそも見てもらう、以前に他人に作ったものを認識してもらうハードルは飛躍的に上昇していると言えます。

 少なくとも、全ての作品について言えることは、「葛藤がなければよくはならない」ということです。葛藤、とは。つまり作者が伝えたい固有性が強い独自の解釈や実感を、どの程度客観的な枠組みに収めていくかと言う強烈かつ根本的な葛藤のことです。これは空気清浄機の設定のように、単純に強・弱が存在しているのではなく、実は人間が他者と関わる全ての行為の中に複雑に絡み合い現れている問題です。どのように雑談を繰り広げるのか、どのようなファッションで場に参加するのか、どう振る舞うか。全てに葛藤がつきまとい続けるし、正解はどこにもありません。私はファッションの上級者というのは、センスがいい人ではなく「他者と関わる上での葛藤に飽きず、長年にわたり葛藤自体を愉しみながら継続している人」のことだと考えています。もちろん、葛藤のエネルギーを減らすことにファッションの効能を用いるのもとても有効的です。現代は特に他者との関わりの上で生じる葛藤の総量が無尽蔵に増え続けているのでそれもファッションの重要な役割になっていると感じます。


・「個性」があったらなんとかなるのか

 ここで「個性」の話に接続しますが、「個性」の勘違いとしてよくあるものが「個性は強ければ強いほど素晴らしい」というものです。

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