ノンアダルトの法則


みなさんは

『ノンアダルトの法則』

という言葉を耳にしたことがありますでしょうか?

ないと思います。なぜなら私がさっき作った言葉だからです。

さっきというのは嘘で、本当は数年前に作りました。

これはつまり

絶対にそんな訳がない状況で、絶対にあり得ないピーアールが、絶対的な反語表現としての絶対無理な喧伝が執拗に絶対繰り返されているというシチュエーションの法則性を指し示した言葉です。


数年前新宿駅を歩いていた時のことです。

夕方5時頃でしょうか。コートを着る寸前の時期の夕方は急に寒くなるので、最前列の信号待ちをする背中にかなりの圧を感じます。

歩行者信号が青になった途端、吐き出すように人並みが動き出し、やや窮屈なスニーカーと買いすぎた本と冷え込みと急いたバラバラの歩調と踏まれすぎたガムと既に渾然一体となった不快。この最悪のようかんを切り分ける気力が既にないので情緒を無かったことにするコンクリートの脳内情景に、何か反響する耳障りな音源をミュートして前傾姿勢で前に進むのです。

周りの人間も同様に脳模様だけがソ連、隣接する風景はバニラ高収入であって、これは資本主義と共産主義のデメリットが擬似的にダブルで発生してしまっている無念な状況だから一刻も早く帰りたい。きっと周囲の人間も全く同じ心境でしょう。私はそう信じましたが横断歩道の最中背後に気配を感じ、チラリと横目で見ると、サイズが全然合ってないネルシャツを着た髪の毛の生え方が偏っているというかそういうヘアスタイルとは思えないので不思議と毛が全体的に歪な男性が強引に距離を詰めてきたのです。

人間がかなりの密度で隣接していたとしても、やはり不自然な挙動で近接する人間の圧はすぐに分かってしまうものです。むしろ、総体としての緩慢な動作に密集する無秩序の中に、ある一つの目的を持った秩序が発生すると異様なまでに目立つ。

私の真後ろまでたどり着くとネルシャツは

「モデルやらない?」

と申してきました。やるはずがありません。

そもそも、現段階でやるかどうかという交渉の段取りが発生していませんし、こちらの脳模様は現状旧ソ連体制となっているので突然歌舞伎町の理屈を持ち込まれても困りますしもっと言うとそういった資本取引関係の理解ができる脳になっていない。今私がかろうじて思考しているのはいかにエネルギーの消費を1でも抑えるかというまさにコルホーズ的なそれオンリーとなっております。

「対応」と「逃げ」のエネルギー消費を天秤にかけ、やや歩みを速め切り抜けようとしましたが、ネルシャツの新宿駅前に慣れ親しんだ感じがすごい。液状体であるかのように、モーフングアニメーションのように人ごみをものともせずすりぬけ隣接をしてきます。結局ほとんど間を空けることができず、奴はしめたと矢継ぎ早に、ここぞとばかりに声をかけてくる


「モデルモデル!やらない?やらない?条件いい。条件いい」


はっきり言って、私はかなり言われたことを間に受ける性格ですが、この場合嘘がすぎる。


「条件いい」とかこんな雑な言い方をするくらいだったら言わない方がよっぽどマシです。そんな訳がないんだから。あまりのあり得なさに面白くなってしまいましたが、あまり危険性は感じないので無視をしていたことろ、ネルはまだ諦めずに背後から

「ノンアダルト!!!!ノンアダルト!!!」

と言いながら結局改札付近まで付いてきたのです。ノンアダルトを連呼しながら。

私は確信しました。

絶対にアダルトコンテンツの撮影だ


と。

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