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「大人は全然褒めてもらえない問題」への考察と発案

 私は最近急に「大人っていうのは、生きてる中で全然褒めてもらえないんだな」ということに気がつきました。

この、事実。

 わざわざ改めて気がつくまでもなく、人によっては当たり前の前提として「そり立つ壁」のようにそり立っているのかもしれません。なんで私が最近やっとこの事実に気がついたのかというと、他人から見返りなしに褒めてもらいたいという欲求が特になかったからです。

 ない、というか、私はたまたまですが子供の頃からあんまり見返りなしに褒めてもらう機会や習慣がなかった(気の毒系)ので「他人から見返りなしに褒めてもらいたい」という感覚自体にピンときていませんでした。それは「他人から見返りなしにお金をもらいたい」という発想がゼロわざわざ生じないのと同様、考えるチャンスがまずなかったのです。

 だったらわざわざ考えなくてもいいじゃないかと思われるかもしれません。しかし、ある面で私はひとつの困惑を抱えていました。それは、世の中には「理由もなく褒められたい」という欲求が当たり前とされている場面がしばしばあるということです。

 例えば、私が中学生の頃に使っていたお絵かきBBSでは、絵の内容に関わらず大げさに褒めあう文化が定着していました。風習だから仕方がないと言えばそうなのですが、私はどうもこれに馴染めずに困っていました。実際に絵の内容が相手の心を揺り動かしたわけでもないのに大げさ褒められてしまっては、適切なフィードバックができなくなってよくないからです。しかも、内容や事実を無視して褒めるという目的のために熱心に褒めてくれる人は(こんなことを言ったら大変申し訳ないのですが)事実や内容に対して的外れな発言をしているケースが多いので、それに対して話の辻褄が破綻しないように返信を考えるのもそれなりの重労働です。加えて自分自身が褒められ慣れていないのもあり、とにかく疲れるという印象でした。そこで私は一匹狼の凄腕アサシンのような人格を演出することで、自分にとって不要なやりとりを回避することに成功しました。もちろん、この凄腕アサシンのような人格が黒歴史となって時折私に得体の知れない葛藤をもたらすことは言うまでもありませんが。

 このようなやりとりは、日常生活とはやや距離があるものだったので問題はありませんでした。しかし、大人になるとこの「褒め」に対する欲求と渇望の原理が、実は中学生がお絵かき BBSにログインしている時以上に強まることがあると気がついたのです。

 実際、大人の方が問題は深刻です。中学生は義務教育の範囲なので、理由なく褒められるのも容易です。それが大人になるとどうでしょうか。一転、広大な砂漠の中にありもしないオアシスを幻視しながらさまようような様相を呈していると思われるほどです。

・大人は褒めてもらえない

 大人は全然褒められません。お財布を拾って交番に届けても丁重に受理されるだけですし、年配の人に席を譲っても感謝はされるかもしれませんが、それで「偉い」とか「すごい」とかの話にはなりません。仕事の成績がよかったとしたら評価はされますが、褒められるってことはそう起こりません。絵がものすごく上手だったり、外見がモデルや芸能人をやっている人みたいだったら褒められるかもしれません。しかしそれだけの希少性を発揮してもなお、同じだけの珍しい才能があるならより若い人が褒められるというのが世の常です。

 それでも褒められたいという気持ちがある大人がどうしているのかというと、熱心に他人を褒めているんじゃないかと思うのです。

 私は以前から不思議だったことがあります。それはSNS、TwitterやYouTubeやInstagramなんかで作品や写真を熱心に褒めている人ほどなんだか言っていることが表面的で大げさに見える傾向です。むしろ多弁でない人の方がより内容をよく味わっているような印象すらあります。商品のレビューコメントやブログに書かれた長文ではこの傾向は低く、返信やコメントのやりとりが発生する可能性が高いプラットフォームではより顕著に見えます。

 なんでこのようなことが起こるのかというと、それは大人って全然褒めてもらえないからなんじゃないかと思ったのです。心理学で返報性の原理とされているものですが、褒めたらその分自分のことも褒めてもらえるんじゃないかと期待して褒めているのではないでしょうか。だからそこで行われる賞賛行為の主役は自分であって、褒めている対象はある部分では自分がなにかを褒めている状態を作り出すためのコンテンツにすぎません。したがって、残念ながらその方法では見返りを得ることが難しいんじゃないかと思います。なぜならば自分のためにやっていることが相手にも露見してしまっているせいで贈与のつもりの行為が相手からは贈与とみなされないからです。

 こういった現象はSNSに限らず、なんだかわからないけど褒めないと話が先に進まない大人はしばしばいます。しかしなんでこうも褒められたい願望を持っている人が多いのに願望を満たすものは一向に供されず、八方ふさがりのようなこう着状態が続いているのでしょうか。

・「褒め」の欠乏

 なんで大人が褒めてもらえないかの根本を言うと、早い話それはお金があるからです。褒められるとは、他人から価値の賞賛を受けることですが、大人の場合は賞賛の代わりに支払われるものがお金です。価値が生じた場合連動してマネーが生じる。それが大人のルールなので褒めが入り込む余地がありません。お金を受け取る側だって、「今回はお金を払う代わりに褒めますよ」と言われたらすごく嫌に違いありません。

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