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批判は魂の実名投稿

・批判ほど魂がバレる行為もそうない

 インターネットをROMって(書き込みをせず、もっぱら鑑賞専門の立場でいること)いてよく思うのですが、批判ほどその人の内面にあるものがバレる行為も他にありません。なぜならば、批判ほど行為の前提として必要な

・動機
・目的
・なぜそうなってしまったかの根本

が高度な水準で推測できる行いは他にあんまりないからです。私は「生きるということはバレるということだ」と常々考えているのですが、バレるといってもバレながらある程度の余白を残しているのが人間の行為の通常です。


 例えば、コンビニのレジ前を思い浮かべてください。深夜のファミマです。店員は一人、あなたは三番目に並んでいます。ふと、前に並ぶ人を見ると、おでんケースに目を泳がせています。その人物はおでん用トングを手に取り、逡巡するように二、三カチカチした後、ソーセージとしらたきを取りました。ダイナミックに心が現れたチョイスと言えます。思うに、まずソーセージというある程度満足感が保証された具材を手中に収めることで一定の精神のゆとりを得て、その後に悠々自適のセカンドチョイスとしてしらたきというおでんらしいセレクトを行なったのではないでしょうか。ソーセージで終わらせることも可能性としてあったはずですが、念のためしらたきを追加しておく姿勢に入念な性格が垣間見えるような気がします。もしかしたら、両親に「マイホーム購入時は頭金を出すよ」と言われているけど、念のため自分でも頭金用の貯金を積み立てておくといったような慎重さを持った人物なのかもしれません。

 ほとんど全ての人間は、コンビニのレジ前ではある程度無防備な心を晒す羽目になりがちです。とはいえこの場合の推測はあくまで推測の域を出ない戯れの解釈に過ぎません。行為の動機を断定するだけの根拠はないのです。

・ところが、批判ってやつは……

 一方で批判というのはそれ自体が推論を断定させうる根拠として機能してしまうという致命的な弱点を兼ね備えているのです。匿名の批判者は常にこの点に対して鈍感であると私は思います。

 実際に私が言われたことのある批判を(そのままだと申し訳ないので若干改定して)実例にあげますが、例えば以下のようなものがあります。

⑴「水野しずって、昔から幼い部分があるので母性で見てしまう」
⑵「文化的な感じで取りざたされているけど、所詮雰囲気だけで都合良く取り上げられてるだけなんだよな」
⑶「水野しずってババアになってブスのくせに、まだ同じことやってんだな。ネットで媚び売ってたんじゃなかったのかよ」


どうでしょうか。なにか解説をするまでもなく、もう文言を見た時点で冷静に見ると内面に抱えているものがわりかしバレている感じがあります。とどめを刺すようで大変申し訳ないのですが、インターネット経験が比較的浅い方のために念のために批判者の内心を解説すると以下のようなことが言えると思います。

⑴「水野しずって、昔から幼い部分があるので母性で見てしまう」

 それがなにかは判然としないが、ひどく悔しい感情を抱いている。自分より存在感を発揮すべきでない人物がそうなる現実の不条理(と主観的に感じられる状況)に違和があるが、それを客観的に説明づける合理的な理由は思いつかない。そのためウルトラC的発想で現実認識に裂け目を入れようと苦慮している。また女性は基本的にこの文脈で「母性」という言葉を使わない(この文脈自体に女性というカテゴリ全体を見下す意図が込められている)のでネカマ(ネット上で女性のふりをしている男性)の可能性が高い。総合的に女性に対する侮蔑や恐怖からくる嘲笑の感情があり、加えて母に関してなにかしらのトラウマを抱えていることも推察される。

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⑵「文化的な感じで取りざたされているけど、所詮雰囲気だけで都合良く取り上げられてるだけなんだよな」

 自分の方が実力や才能の面では上回っている、もしくは今後上回る潜在的可能性を秘めているにも関わらず、正当な評価が下されていないという憤りやコンプレックスを抱えている。加えてこの納得のいかない評価が一時的なものであってほしいという強い気持ち・強い愛(憎)もまた抱いている。あとこの世に努力、頑張りというものが存在して欲しくないといった切実な願いも込められている。

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⑶「水野しずってババアになってブスのくせに、まだ同じことやってんだな。ネットで媚び売ってたんじゃなかったのかよ」

 女性全般に対して強い欠乏感やコンプレックスを抱えているため、なんとかして見下したり嘲笑するチャンスがないか常日頃から考えて実行している。また自分が勃起する可能性の程度を示すことで女性が心を痛めてくれるのではないか、という現実性に乏しい願いの渦中にいる。加えて女性の言動は全て自らの勃起の可能性を少しでも高めるために行われていればいいのに、という願望も抱えているが、これはさすがに事実とは異なるだろうといった微妙な客観性もある。総合的に言えば、ババアになったので少しは可能性があるかもしれないといった気持ちとそんな願望が成就するわけはないのでせめて罵倒してスッキリしておくことで少しでも復讐欲を満たした方が得だという考えを実直に実行している。この中では比較的自分の欲望に素直。


 実はこんなにも魂胆が推測できてしまう状態になっていて魂が丸出しなんですね。なんでこうも読める(あくまでこれは一つの読みにすぎません)のかというと、それは私自身が中学生や高校生の時に2ちゃんねるを観覧して人間の暗黒面を見すぎているからです。その意味では筆者も恥ずかしい状況にあると言えますが、これについては批判者もお互い様ということで勘弁していただく他ないでしょう。

・串打ち三年、焼き五年、暗黒歴史は十余年。

 しかし、たとえ暗黒歴史がなくても、少し冷静になって眺めるだけで、ある程度の部分まではその精神状態や目的をたやすく読み取ることができるものと思われます。なぜならば、批判というのはかなり面倒な行為であり、わざわざそんなことをするためには具体的な意図や目的、魂胆や動機がないと成立しようがないからです。その意味で、実力の程度の差はあれ批判という行為を行なっている時点である程度の実力者(自分の中にある動機を根拠に行為する力のこと)と言えるのかもしれません。

 また、読者の方にはこれを踏まえた上で考えてほしいのですが、ネット上で知らない匿名の人から向けられたあらゆる謂われのない誹謗中傷に対して心を痛める必要は一切ありません。なぜならば、それが謂われのない批判である以上、その内容の出所はあなたの行為や発言ではなく、発言者の脳裏に浮かんでいる「願望」、「希望」、「強い願い」、「執着」に他ならないからです。たいていの場合、それは心中に抱えた悔しさ、コンプレックス、ままならない現実に対する憤りのやり場のなさなどを手ごろな対象にぶつけた結果として生じたものです。

インターネットで「バカ」と言われた場合、バカな人物がその場に現れるのではなく、他人に「バカ」と発言した(なにかしら気持ちのある)人物がその場に現出するだけである


 これが冷静に捉えた場の状況です。人類の行動規範には「群れの中でうまくやっていかなければならない」という強いコードが書き込まれているので、批判をされるとその瞬間においては強い危機意識や不安に苛まされて強いパニックに陥るのが当然ですが、それは「批判をされている状況」によって生じたものであって、「批判されている内容」から生じたものでは決してありません。安易な罵倒で他人の心境を脅かそうとする人々は、このよく起こりがちなパニックの原因の取り違えを悪用して「言ってやった感」を醸す行為に全力を捧げていたりしますが、これについては全然気にしなくて大丈夫です。好きなアイドルや応援しているクリエイターの人が批判されている場合も同様です。落ち着いて、発言している人物の弱点を観察しましょう。それは常にむき出しなのであります。

・生きていてもっとも恥ずかしい状態とは

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