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行列の殺気

老舗の人気おにぎり屋さんに行列ができているのを見た。
ざっと見て、50人くらいは並んでいたのではないか。飲食店の行列としては最大規模というか、ディズニーランドのマイナー施設くらいのことになっている。

奇妙だった。

いったい、なにが。
そこには通常の飲食店の行列、たとえばラーメン屋に並んでいる人々に顕著な「殺気」のようなものがまるで現れていなかったのだ。

行列なんだから、できればもっと殺伐としてほしい。シックななまはげなんか誰も喜ばない。ナポリタンを食べるなら多少の胃もたれはしたい。
その点、ラーメン屋さんの行列は必ず殺伐としていて助かる。ラーメンの方向性にもよるが、よく見ると4~5人くらいしかいない行列主というか、行列クリエイターの人々が、各自の殺気の相乗効果によって20人くらいいるんじゃないかと思えるくらいのボリュームに感じることすらある。殺気の内容もすごい。

どうすごいのか。殺気というのはより厳密に考えた場合「殺す」「殺されもいい」の2種類の情緒が混乱しながら同時に含まれているものだと思う。この中で、ラーメン屋の場合の殺気は「自分が殺されにいくつもり」の割合が極めて高いように感じるのだ。自分の感覚から言うと全体のうち9割以上は「られにいっている」タイプの殺気なんじゃないだろうか。

これの真逆をやっているのが、表参道で並びのフェスをやっているアップル信者で、毎年秋口くらいになると風物詩のように現れる新商品発売の行列をクリエイトしている人たちは、全員「る気100%」という感じのオーラを放っている。これは、理性でものを考えている証拠だと私は思う。ファッショナブルな動機で軟弱に欲しがっているからそんなことになるのではないか。もっと肉体の中枢から欲望をしてほしい。
具体的には、人間存在のあり様を次の次元へと革命する装置としてのアップル製品を誰よりも早くゲットするために両目を血走らせ、バキバキになった脳みそで自力の幻覚に全身を包まれながら、宇宙と渾然一体となり、万物の霊性と対話しながらアリゾナ州の荒地を16時間連続運転するアメリカのアップル信者(※筆者の想像)みたいになってほしい。

このようにファッショナブルなアップル信者が、られにいっているギトギトラーメン店の行列クリエイターと全面抗争を繰り広げた場合、身も蓋もないほどボロクソの大敗北を喫するのは確実ではないか。

なぜならば、人間同士の戦闘、「殺し逢い」においては、殺すもの、殺されるものという主述によって記される前後関係をいち早く投げ捨てたものがその場における暴力の主催と化すから。「殺そう」という考えでは遅すぎる。「殺されにいく」までやらないとおそらく「達せ」ない。目も前にあるものを対象化している時点で、欲望としては乾いているし、冷静だし、かなり悠長というか。「止まっている」。動的ではない。
赤木しげる(『アカギ〜闇に降り立った天才』福本伸行)も「死ねば助かるのに」と言っていたけど、だいたいそういうことだと思う。

そういう原理があるから、行列のラーメン屋の店先を通りかかると、麺者めんじゃの発している狂気の鳴りにこちら側も「呼ばれにいく」フェーズに達することがしばしばある。そうなったときのヤバ味の先端にあるもの。
それは、並んでいる人がヴァーチャルな領域の快楽を希求しているのにも関わらず、それは物質的な快楽なんだという誤認をしているせいで生じる「死」へのためらいのなさである。不健康な偶然武士と言ったらいいのか。
ディズニーのアニメ映画『ピノキオ』に出てくる夢のランド(暴力・飲酒・喫煙・破壊等すべてやりたい放題の施設)の描かれ方が、質感としては幻想のマテリアルに覆われているのに、同時に身体へのフェードバックもやたらくっきりしているせいで、あたかも夢に触り放題になってしまったような、うすらおかしい取り返しのつかなさが背後にずっとある感じにも似ている。
こうなっている人々に、勝ち馬に乗る発想でテックな身体拡張性を志し、死をチャラにしようとしている中途半端なノマドワーカーが勝つのはどだい無理である。

一方で、おにぎり屋さんに並んでいる人々からは、一切の欲の出汁が感じられない。水族館の淡水魚コーナーであえてメダカを眺めることで侘びに行っている人くらい殺気がない。極端にヘルシーというか。禅寺よりもっと欲の気配を喪失している。私は地元の福祉センターの庭に、誰にも注目されていないミニサイズのヤシの木が植えられているのを見たときの過酷な虚無感を思い出した。
とてもではないが、これからお食事行為を繰り広げようとしている人間のやっていることとは思えない。服装も、ほとんどの人がこざっぱりとしたシャツを着て、あるいはトートバッグを下げて、岩波文庫を片手に広げていたりする。ヒドいものになると、高級感のある文化的丸メガネを装着している始末。

やっぱり東京って恐ろしいな、と根が田舎者の私は思った。
この人々は、もはや「食べに行ってない」のがオシャレというフェーズに突入している。

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