見出し画像

歯石取ってもらっただけなのに


 間違えて、怪しい宗教の歯科に行ってしまった。


 急に歯茎が痛んだので、年末でもすぐに予約が入れられる歯医者を探した結果そうなった。ホームページは一般的な感じだったが、宗教的なロゴが配置されているし、大きな施設の隣に所在しているし、何よりも入った瞬間の空気が完全にそういう感じだった。語弊しかないが、一言で言えばカルトに首までどっぷり浸りきった空気が蔓延していた。なんでそれがわかるのかと言うと、私が育ったバブル後という時代に地元が完全に産業崩壊していたせいで、もう新興宗教にどっぷり浸りきることでしか生きられなくなってしまった人が割と普通に偏在していたからであった。そういう空気は「人ごと」ではない。今現在10〜20代の人はバブルなんて馬鹿馬鹿しい絵空事の時代が繰り広げた狂乱としか思えないであろうし、成長しないのが当たり前。「希望がない」という状態を、「回転寿司の皿が回っているレーンには特に何の装飾もなく鉄のコンベアがむき出しになっていてその上を生の刺身が回っているのが当たり前」と同じようなテンションで受け入れることができる。前向きに言えば虚無耐性がかなり高い。自分の感覚では80年代前半より前に生まれている人はそこまでの虚無耐性を持っていない。何の装飾もないベルトコンベアーの異常性。そういう不穏さに耐えられなくて、変な宗教に入る選択肢が身近なところに存在してしまう余地がある。SNS上の詐欺は何と言ったらいいのか、流石に知恵を使って騙す理屈や背景を練り上げて大きな経済のシステムに乗っかれる近道がありますよということを言っていたりするものが主流だけど、田舎の夢がないコンベアーの上を流れている殺伐としたカルトはもっと直接なぐりかかってくるようなスタイルで金を搾り取る。シンプルにこう、


・拝め 

・払え


ということを言っている。バブルという巨大な、というより無尽蔵それ自体を体現する夢の喪失はそれくらい単純で強烈で心をがんじがらめにする脅迫でないと購えないくらいには多くの心に巨大な穴を開けたんだなと思った。先日日本に覚醒剤を広めた自称麻薬王の言をまとめた本を読んだら

もともと覚醒剤というものは本当に生きる中でどこにも希望がなくなってしまった人、借金を抱えて性風俗産業に身を投じて激しい苦しみだけの日々を送る中で廃人同然になった人だとか、そういうどこにも人生のアテがなくなった人に最後の手段として生きながら天国を見せるためにあったもので、それを扱うヤクザの間には未来がある人に売ってはいけないという厳しい不文律があったが、次第にそれは崩壊していった。

というようなことが書いてあったが、田舎に蔓延している全く理屈が通らない理不尽で拝み屋みたいな宗教団体がやっている行為も同レベルの非道さがあるし、同じくらいの深刻さで、もう、そうする他に夢も希望も救いもない人がやっているから身内ですらどうやって声をかけたらいいのか分からなくなっている。怪しい宗教団体の理不尽さや理屈の通らなさよりも、こういった分からなさ、出口のなさの方が、助かり用がない悲痛な印象に拍車をかけているのでどうしようもない。なんと表現するのが適切か分からないが、「穢れ」「怨」「祟り」だけが命を支える源になって活動している生命体。怖いしそれは髪質にでる。オウム真理教の信者たちが全員特有の、ツヤはないが奇妙な艶かしさがあり、のたくるようにうねり、漆黒ではないが極めて彩度の低い黒髪をしていたのを覚えていらっしゃるだろうか。どこにも救いようがないまま洗脳されている人は、大体そういう髪質になっていく。髪質は徐々に空間を占拠する。長年使われていない巨大プールに溜まったどす黒い雨水に満たされているような空間がある。そういう空間を直で目撃してしまうと、通常のホラー映画なんかは全然怖くない。2003年ごろだったか、町内のどこかで独居老人が亡くなって、ほとんど廃屋のようになったトタン屋根の家の床下からダンボール何箱も無造作に詰め込まれた旧札の一万円札が出てきたという話を聞いて、心底ゾッとした。産業崩壊した地域で、恐ろしくなってしまった生命体を横目に、トタン屋根であまつゆをしのぎながら保持し続けた大量の無造作な金からは、やはり行き場を失った息苦しさしか感じられなかったからだった。騙されなくてよかったと言えるだろうか。それこそ、生き地獄を味わっている人に「覚醒剤やってないだけマシ」と言っているような感じだ。救われない。こういった救われなさが、地方の土着性と強固に結びついているのは、学習性無気力感というか、

自分が立脚している価値観からは生涯逃れようがない

ここから先は

1,846字

¥ 500

よろこびます