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個性の大学Q and A コーナー (後編)


「シリーズ:個性の大学」にまつわる質問をQ &A形式で回答しています。前編はこちら。


【質問】 「好きだけど苦手なこと」と「嫌いだけど得意なこと」。どちらを仕事にしたらいいですか。


【答え】

 日々の生活の中で歯磨きが特に苦手な人はあまりいないだろうし、特に得意な人もあまりいないんじゃないかと思われます。ほぼ全人類が毎日やれているので、歯磨きはおそらく人類全般が比較的得意な行為です。私は文章を書くのが得意なので、書く行為自体が苦になるということはありません。むしろ普段人としゃべっている時も文章を書くときと全く同じことを脳内でやっているので、それをキーボードに打っただけで仕事になるなんて、得をしている気がします。

 このように考えると、そもそも前提の「好きかつ苦手」「嫌いかつ得意」という分類にどこか無理があるような気がしてきます。無理というか、少し認識にバイアスがかかっている印象です。より身も蓋もない表現すればこのようになるのではないでしょうか。

・「憧れるけど面倒なこと」
・「憧れないけど面倒じゃないこと」

 「憧れは理解から最も遠い感情だよ」というオシャレなセリフが『BLEACH』(集英社/久保帯人)という漫画の中に出てくるのですが、まさにそんな感じです。憧れるけど面倒なこととは、例えば「漫画家になりたいけど漫画を描くのがめんどくさい」という感じです。一見おかしなことを言っているようですが、「漫画家になりたい」とは、「”漫画家をやっている人”になってみたい憧れがある」という意味なので特に矛盾はありません。つまり、前者の「好きだけど苦手なこと」については、「憧れているからこそ実務内容に取り組む自分がイメージできていない」とも言い換えられるので、そもそもその実務内容についてはやりたいことではない可能性もあります。

 実際に漫画家の人はとても大変そうです。ほぼ外出もせず、睡眠時間を極限まで削って漫画だけをひたすら描き続けています。これだけでもかなり大変そうですが、いざ漫画を連載する前には出版社の人に漫画を何度も見てもらって企画が通るまで何度も漫画を描かなければいけませんし、商品として成立するように読んでくれる人にサービスが出来なければいけません。一部の人を除いて、読者が気持ちよくなるサービス精神で漫画を描き続けないと職業としては成立しづらいのが現状です。これは考えようによっては米国大統領より大変な職業かもしれません。こんなに大変な職業は本当に漫画を描きたくてもう既に描きまくっている人以外は目指さない方が幸せです。

 では「嫌いだけど得意なこと」これを目指した場合どうなるでしょうか。「憧れないけど面倒じゃないこと」これは例えば「仕事として成り立つくらい、リサイクルショップで目についたものをメルカリに出品して適切な価格で売りさばき利ざやを得るのが得意」といった技能をイメージしたら具体的かもしれません。

 これになぜ憧れがないかといえば、前者のパターンとは真逆で、実務内容を非常に具体的にイメージできているからです。こう考えると「嫌い」という表現は、業務内容ではなく「それをやっている自分が嫌い」という意味合いが強そうです。相手が人でも職業でもそうですが、自分から距離が遠ければ遠いほどいいところばかりが見えて素晴らしく感じられますし、近ければ近いほど、嫌なところが強調されてつまらなく見えてくるものです。

 実際にアイドルグループ嵐のメンバーをやっていた方よりもアイドルになりたいと思って事務所に応募をしている人の方がアイドルという職業自体に大きな夢を抱いているのは言うまでもないことです。難儀なものです。夢はその後叶う叶わないに関わらず、現状でかなっていないからこそ夢としてあり得ているのです。じゃあどうすれば職業において「憧れられる素敵な夢いっぱいの自分」と、「具体的に得意で、常に集中して取り組める実務内容」の両立を測ることができるのでしょうか。結論を言うと、パターンは二つあります。


⑴他人の夢のために生きる
 
 現実的には、業務内容や雇用形態を問わずこの考え方でプロとしてやっている人が多いです。考えてみれば、世の中は他人の夢を叶えれば叶えるほどお金がもらえる仕組みになっているから当然です。とはいえ、本気で他人の夢を叶える為に集中力を発揮し続けることによって、結果的には自分の中に投影された大きな夢を一緒に見ることができるというのが人間の営みの最も素晴らしい点の一つだと私は考えています。

例えばこれは想像上の話ですが、嵐のメンバーをやっている方が、自分というアイドルをやっている人物は実はただの人間で、内面もつまらないし、全ては周りのスタッフが作り出してくれたイメージとファンの人が作り出したイメージを投射して成立させているだけのモニターのようなものなんだけど、それがわかっているからこそ途方もなく大きな夢をファンの人と一緒に見ることができる、というようなことです。

なぜこんなことが起こるのか、といえばそれは人間の脳が他の生き物にない特別な能力を持っているからです。それは、「フィクションだとわかっているものをフィクションだと理解しながら現実と同じ強度で受け止めて他者と共有することができる」という能力です。映画を観て心から感動することがあるのもこの能力の為だし、例えば宗教的な信仰を持っている人が、ある時、聖書に記載されている事実が科学的に検証された事実と異なることを突きつけられたとしても信仰の強度を失わずにいられるのもこの能力の為です。そもそも人類は宗教というフィクションを共有することによってより大きな社会化を達成することで繁栄をした過程があります。全員これが得意なのです。虚構には虚構の強度があります。したがって、あなたの中に夢がなくなって空っぽになってしまっても、熱意を持って仕事をすることで他者(それがどんなにささやかなものであっても)が抱いた憧れや夢という虚構を真に受けることで、内心で夢を抱いている時よりもさらに大きな強度で夢を抱くことができるのです。夢は二者間で共有されることによって、より強度を増し、あるいは生活の中に現れる現実的な実感を凌駕します。

こちらはどちらかといえば職人的な考え方といえます。


⑵途方もない夢を抱き続ける

 上記のパターンとは真逆で、途方もない領域まで自力で夢を抱き続けるという考え方もあります。これは生きている限り夢の強度を膨張させ続けなければいけませんから、破滅と表裏一体になったリスキーな考え方ともいえます。マイケル・ジャクソンやウォルト・ディズニーの生涯を思い浮かべると話が早いでしょうか。このパターンを志すと膨張と破滅を繰り返すか、あるいは膨張の最中で亡くなってしまうこともある比較的デンジャラスな方法です。ただし、⑵をやりつつ⑴の要素も兼ね備えることでリスクを低減させていくことができます。「個性の大学」で何度も例に挙げている前澤友作さんも元々⑴と⑵を両立させる志向の方ですが、近年は「お金配りおじさん」という形で⑴の性質をより強めようとしているように見えます。また、大きな社会制度の改革や人類を大きく発展させる為の技術(発想)革新、価値観を大きく変貌させる表現なども、こちらの考え方をしている人がいないと中々現れてこないので、自分の才能に自信があり途方もないことを成し遂げたい方には是非採用してほしいプランでもあります。SNSの徹底した普及により⑵の態度を貫く難易度はインターネット以前と比較してかなり上がっているように感じます。だからこそそんな人を見てみたい、という気持ちもまた人情です。

こちらはどちらかといえば芸術家的な考え方といえます。


【まとめ】

ここまで考えを発展させていくと、現時点でのとある職業に対する内心の憧れの大きさは、少し俯瞰してロングスパンで考えると実は大したことではないのかも、と考えられるようになるかもしれません。そうなったらしめたものです。いかに自分にとって具体的に取り組めることで現実離れしたどデカイ夢をぶち上げてやるか、あなたのプランニング手腕が試されることろです。出身に関わらずなにもしてもOK、かつ無料で発信できるインフラが全世界に整備されている時代に生まれてきたあなたは既に最高の条件を手にしています。全世界が度肝を抜いて腰を抜かすほど莫大な夢を描いてOKなのです。これはなんとも最高! ラッキーですね。


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【質問】 話がつまらないと言われます。どうやったら面白く話ができるようになりますか?


【答え】

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