〜歴史上の人物に対する真剣30代言いがかり〜

〜歴史上の人物に対する真剣30代言いがかり〜


(※全ては一切の根拠のない言いがかりです)


真剣に人類史上MAXやりに行っている人物が誰なのかということを考えてみると、私としてはやはりイエス・キリストなのではないかと思うのです。あんなにやりにいっている人物はいないのでは無いだろうか。真剣に考えれば考えるほどそうなる。

例えるならば改造され過ぎたミニ四駆がその本体、車の形状の空洞になりその空洞を覆うオプションの塊だけが熱水噴射口のように得体の知れないエナジーを噴出し続けている、そういったなんだかもう意味が分からない垂涎の感じを放っている。

「やりにいってる」とはいわゆる「やらせ」あるいは謙遜といった態度の対立概念で、端的に言えば

『誰に頼まれたわけでも無いのに自らやりにいっている』

という意味合いです。

これは例えば何かしら矢面に立つ場合において自然賛美的な風潮というか、無自覚で凡庸な人物が未だかつて貴方だけが見出している格別の未知なる魅力を醸し出しておりますという侘び寂び方面の情景に対立して

どう考えても明白かつ綿密に練り込まれた計画を元にやりたさを惜しげなく丸出しにして来ている

といった様相で、客観的なプロデュース視点が確固として存在しているにも関わらずなぜか本人におけるプロデュース視点のサイドが主従の従であって主役はあくまでも一人称であるという事が一つの要であります。

これを最大限にやっている歴史上の人物の一人がイエスキリストと思われてならないのです。次点はガンジーです。マハトマ・ガンジーもかなりやりにいっているというか。全てを計算し尽くして丸出しにされた計画が、なぜか実行される段になるとライブ感・臨場感・ハプニング感・事件感・世紀末黙示録感・ええじゃないか感などを一様に引き連れてドーパミンの受容体がゴールデンウイークの海老名パーキングエリア周辺と化す、この感じ。何。一体


それを超えているのがキリストよ。まず名前の時点で「イエス」って。やばいだろ、どうなっちゃうの。

シチュエーション的に考えればモーゼが海を割っている様子などはかなりのやりの骨頂になるはずなのですが、不思議なことに海老名パーキングエリア的な世紀末黙示録感とまではいかないというか。なんでだろう。ある程度の「やらされる」雰囲気を心得ているバランス感覚の良さを感じる。本社と合同の大規模な飲み会で安心して知らない重役の横に配置できる人材というか。カリスマよりもある意味貴重な逸材というムード。だから抜擢されたのかなとか想像しちゃう。やっぱり他人の力借りて海とか割るとなると、その後調子に乗らなそうな人間性が重視されてくるというか。割れのマックスに到達した段階で、意外とお昼何食べるか考えてそうなビークールゲットトゥギャザー的なコミットしやすさ、部活で言えば何かギター・マンドリン部のような快活さを感じる。これがギター部だったら重役の隣には配置できないんですけれども、ギター・マンドリンというところが絶妙な話しかけやすさというか作られたものではない空気の良さを演出しているというか。杖とかも「あーこれ課長が持ってけって煩くて」とか言いつつちゃんと持って来てくれたんだみたいな。頑なに謙遜する訳でもなく、かといって言われなかったら持ってこなかったんだろうなってくらいの圧が強過ぎない感じ。組織で重宝されるはずだわ。間違いないね。普通に仕事も出来るんだろうしね。極めて所ジョージ的。難点は全てにおいて卒な過ぎて人生がアッサリしがちなところかな。晩年は仕事より趣味って感じなんだろうね。あのモーゼってことも知る人ぞ知るくらいの感じで。

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