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水野いや伝 どこまでいっても、なんかやだ ⑶

水野いや伝「どこまでいっても、なんかやだ」は「いや」にフォーカスを当てたライト自伝です。不定期で続きを書いていきます。1〜5までのつもりでしたが、書きたい事が次々浮かび上がってくるのでもう少し書くことにしました。


 『ドラゴンクエスト』というゲームには「毒の沼地」という色違いのフィールドが存在する。マップが紫色になっていて、その上を歩くと体力が低下するのだ。レベルが低いうちにうっかり足を踏み入れると瀕死になってしまうし、回復魔法を唱え続けなければろくに探索ができない。ずっとこの世は、リアルのこの世は、毒の沼地しかないと思っていた。どこを歩いてもダメージを受ける。何をしても気が滅入り、疲れる。瀕死のまま、かといって死なない安全だけは不思議に担保されている。

 ある時母に、好きな服を一着買ってもいいと言われ、デパートに連れて行ってもらった。またとない機会なので、必死になって最上階から地下まで全ての店の商品を丹念に見尽くしたが、自分が心から欲しいと思えるものが一つもなかった。納得が、いかないのである。当時の地方にあるデパートは(今もそうかもしれない)、女性は女性ですから、やはりフェミニンな服が着たいでしょうということで、結婚式の二次会のような服しか売っていなかった。毒の沼地である。結婚式の二次会なんて参加したことがないが、どうせビンゴ大会をやってつまらない、たいして使い物にならない即日粗大ゴミ確定の安いロボット掃除機や、ハンドルの部分が木でできた狂おしいデザインのバッグや、電動マッサージ機(下ネタ)が当選するなどの自殺レベルの最悪の被害に合うのだろう。最後の一つは知人の実話である。そんないやすぎる場所に着ていくと大手を振って喜ばれそうな服なんて、一つも着たくない。嫌すぎて目に焼き付いている。まず飛び込んでくるのがバカみたいな豚色、うすら子宮色とでも申し上げたらいいのでしょうか、客足のないビジネスホテルの朝食で申し訳程度に善の上に配置された焼き明太子色のような、劇的に「女」以外の情報を塗りつぶし、無意思が即伝わってくるよう設計されたピンクのオンパレード。さらにデザインは大抵膝丈くらいのワンピースで寸胴の上にスカートがマーメイド型。よくて台形。イトーヨーカドーの2階で売っている急場凌ぎのカーテンみたいな終わりきっている生地感。胸元にワンポイントで椿のコサージュが縫い付けられている。こんなものを着るくらいだったら、バスタオルに穴を開けて被っている方がマシだろう。昔のビジネス精神でやってるアパレル業界の商品は、消費者が情報を持っていないのをいいことにこのようなふざけきった死霊の盆踊りのような様相を呈していた。こんなどうしようもないやくざ商売をやっているんだから、インターネットが普及すると共に大量に百貨店が潰れまくるのも当然の話である。

 このような、自分からするとほぼ死刑確定囚の囚人服のようなゴミ以下の商品を、大人という大人が本気で販売しようとして接客をしてくるものだから、私という私はこの世というこの世ののしょうもなさに心が憂いて本気で泣けた。デパートのエスカレーターで泣きながら虚空を直視していたので、そんな中学生ははたから見てずいぶん場違いで恐ろしかったろう。早い段階から本気で人生をやっているせいでこんなことになってしまった。場違いではない人々は、このようなチンケでくだらない、物理的には着られる産業廃棄物のようなしょうもない布をどうにかギリギリのところで人間らしく着こなすために髪を茶髪にしてストッキングを着用し、大枚をはたいてブランドバッグを購入するなどの努力をしていたが、何もかもが無駄な努力としか感じられなかった。私をデパートに連れてきてくれた母は、まさか中学生が時代のファッションセンスが受け入れられないせいで地獄のような苦しみに苛まれているとは夢にも思わないので、普通にイライラしていた。当然だろう。母は、何をやってあげても幸せそうにならない娘にほとほと手を焼いて疲れ切っているようだった。それも気の毒に感じたが、くだらない、ろくに文化も美意識も価値のあられもない物質に囲まれて「バブルは必ずもう一度来る。不死鳥ニッポン」とか考えている連中に話しを合わせてやりすごすくらいだったら、餓死の方がマシな可能性があると考え、それから私は世界を襲ったあらゆる時代の飢饉、飢餓についてありとあらゆる文献を紐解き徹底的に調べまくったが、結果、飢餓で死ぬより苦しく厳しく最悪なことはこの世にないことが判明した。飢餓と飢餓精神病はセットになっているので、体の肉が削り取られるとそれに伴って精神がこそげ落ちておよそ人間的な思考の一切が保てなくなり、食えるか食えないか以外の視点を全て失うのである。たとえ対象が、どんなものであっても。肉体の死よりも、このやせ衰えた精神の破滅的かつ不可逆的な死の方が恐ろしいと考えるようになったので、それ以来愚にもつかないプロダクトを本気で販売している店員を見るにつけ、飢餓状態の地域(ジャガイモ飢饉の様子など)を想像するようにしたら、苦しみが緩和されたのでよかった。緩和というか、そこまで心が動かなくなるというか。無常観。ちょうど学校の授業で鴨長明の『方丈記』を取り扱っていたので、長明にいたく共感した。「わかるよ、コイツら(クラスメイト)全員、よどみに浮かんでるうたかただよね〜」とかそういうことを本気で考えていたので、友達が全然いなかった。たまに面白がって仲良くしてくれる人もいたので「このうたかたは、ずいぶん優しいうたかただなあ〜」とか思っていた。無礼者である。自分のこともうたかただと思っていたから仕方がない。というか、実際にそうだろう。なんだか金持ちになりたいとか、毎晩贅沢に明け暮れて美女におべっかを散々言われたがったりし、土地もっと欲しいとか騒いでワーギャアやったところで、この世に本当に心を揺さぶる美しいもの、マシなもの、くだらなくない精神性を持ったものなんてほとんどありはしないんだから、多く多く物質を所有したところで何もかもが無駄である。そのほとんどはガラクタなんだから、捨ててしまった方がよっぽどいい。今すぐ窓から放りなげろよ。にも関わらず、教職員らは将来金持ちになる為勉強をしましょうとか、本気で本格的に申している。あいた口が塞がらないほどどうしようもない。議論の余地が皆無なので完全に無視するしかないか、と気持ちを切り替え学校の、定時に席に着く以外全てのシステムを完全無視して図書館の本を入り口に近い棚に刺さっているものから順番に全部読むことにしたらある程度は快適性が上昇した。それでも、毒は毒だった。もっと、人間的でありたい。根本的に。全てが噛み合わない。いずれは私も刑務所生活だろうかと考えて刑務所ルポ系のノンフィクションを熱心に読んだりもした。

 方丈記には、こうあった。

世にしたがへば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり。

方丈記・鴨長明・1212年

 世の中に従うと苦しくやっていられないし、従わなければキチガイだと思われてしまうと言っている。本当に、その通りなんだよ。つまり、この世は少なくともこの方面に関しては800年くらいは特に進歩をしていないっていうことで、今後私が生きているうちに、この点が大きく改善する余地はないということだろう。

耐えられない。

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