本は全部読まなくてOK【無料公開】

【最近気がついて愕然としたこと】

少し前に、


ということに気がつきました。

これは本当にそうで、なぜなら映画好きで毎日観るという人が口を揃えて

「映画を観てもストーリー全然覚えてないし自分が何考えてたかも覚えてないし、何なら観たかどうかも覚えてなかったりする」

とかいう感じのことを言ってるからです。

言い方は人それぞれですが、日常的に観る本数が多い人ほど上記の内容を口にする傾向があります。つまり

『映画を楽しむコツ=ちゃんと観ない』

確かによく考えてみると、そもそも私が映画を観るハードルが高すぎたのかもしれません。

私は大学生になった頃から映画を観るようになったのですが、研究目的で見ていたという事もあり

映画を観るという事はつまり

・ストーリー、出来事の把握
・自分なりの発見、考察
・構造の理解、分析
・現代的なテーマへのフィードバック、見えてくるもの、それに対する自分の意見

を全部やるものだろう、と誰に言われた訳でもないのに勝手に思い込んでいました。

でも考えてみれば、実は映画ってそんなに頑張らなくても(受動的で何もしなくても)勝手にこちらの脳細胞に突っ込んできて興奮する神経をガタガタいわし、エンジョイできるよう大変親切に作られているところがある。

そんなの(多分)割と誰でも知ってるし

「コンビニエンスストアは24時間空いてるので、夜中も便利と気がついた」

というような今更すぎる話でなのですが…。

もっと言えば、映画館に行くだけで楽しいしそもそも暗い密室で大画面、大音量で観るだけで体験的な盛り上がりがあるって楽しい。

なぜなら映画はポップコーン片手に、コーラ瓶をもう片手にバカでかい画面で楽しむ『エンターテイメント』だから。


当たり前すぎる話ですが、上記のような「ハードルを上げ過ぎて楽しみづらくなっている現象」は割と誰でも馴染みのないメディアを体験するときには案外起こりがちなのではないかと思ったのです。

なぜそう思ったのかと言うと、身の回りの友人やSNSなどで

「本を読むのがすごく大変で、読みたいと思っているけどなかなか読み進めることができない」

という意見をしばしば聞く事があるからです。

日常的に本を読みまくっている自分からすると、本はいつでもどこでも開いたら読めるし、ただ書いてあることを読むだけのことなのでなぜそうなるのかいまひとつ分からない部分があったのですが、

冒頭の映画の例を自分の読書体験に置き換えて考えてみると確かに

「本を読んでも内容全然覚えてないし自分が何考えてたかも覚えてないし、何なら読んだかどうかも覚えてなかったりする」

という現象はしばしば起こります。

やはりここに『ハードルの違い』があるのではないか。

であれば、本が中々読めなくて困っているという人も「ハードル下げのコツ」さえわかれば気軽に本を読めるようになるはずです。別に本は読めなくても問題ないのですが、映画というメディアがおおよそ2時間で一つの世界を丸ごと楽しめるという結構なメリットがあるように、本も数百円でどこにいても練り上げられた内容を楽しめるというかなりのメリットがあります。

個人的には、この世の値段がついているものの中で「本は最も内容の価値に対して価格が爆安でお得すぎる」と思っているほどです。映画もそうですが複製芸術のコストパフォーマンスってすごいですよね。先日「もののけ姫」を劇場で観たのですが、これが複製芸術でなければ貴族しか触れる事ができない国宝級の作品なのに、複製可能である為にたった1000円、小学生のお小遣いでも体験できるということに改めてびっくりしてしまいました。

(複製芸術=複製してもそのもの自体の体験的価値が変わらない芸術)

ただ、本は映画と違って受動的な姿勢で楽しめるエンターテイメントとしては作られていないので慣れ親しんでいない場合はコツが分からなくてハードルの下げ方が分かりにくいかもしれません。そこで、本を読むハードルを簡単に下げるコツを以下に列挙してみましたのでよかったら参考にしてみてください。

のすごい気が楽になると想うので騙されたと思って読んでみてください。
(私は小説はあまり読まないので主に文芸以外の本の読み方について取り上げます)


【目次だけ読めばいい】


かなり極端な意見ですが、目次を読めば何とかなるというところがあります。

なぜなら、本の趣旨は、目次に全部書いてあるからです。(当たり前)


目次を読むと論旨と結論が分かります。(当たり前)


むしろ、本を読み始める前に目次をよく目を通しておく事が実はとても重要だったりします。


本を開いて目次はささっと読み飛ばし、一ページ目を開いてまず「はじめに」に取り掛かる。

というスタイルだと、途方もない終わりが見えない旅路の一歩を踏み出してしまったようなヤバイ心細さと気が重い感じで滅入ってしまうかもしれませんが、


そもそも最初のページから読まなくていい


勿論、最初から順を追って読むように作られているので特に問題がなければ最初から読めばいいと思うのですが、「必ずそうしなければならない」と考えているとむやみに読書のハードルが上がってしまい、読む前からダルくなってお手上げということにもなりかねません。(私は映画に対してよくそうなっていました)

なので、一度固定観念を捨てて好き勝手読む読み方をやってみると、その後の読書が飛躍的にハードルがさがって楽しんだり役立てやすくなるのではないかと思います。

「もののけ姫」でいうと、ジコボウという人が主人公アシタカの持ち物のお椀に粥をよそいながら

「雅な碗だな」

というシーンがあってそこが好きすぎてそこだけ急に見たりするのですが本でそれをやっても可◎です。むしろ、全部見てないけどそこだけ何回観てもOK。なぜならこれは複製芸術だから心血込めて観なくても誰も何も思わないからです。


本の場合、実は目次に全てが書いてあります。


目次をよく見ると、多くの場合「第二章」くらいのところに本のメインテーマとなる趣旨が書かれている事が多いと思います。その辺りが重要だなと思ったらかいつまんでそこだけ読めばOK。

もっと言えば、別に趣旨を知る為に読んでいるわけではないので目次をざっと観て関心がありそうなところ、自分にとって必要そうなところが書いてある部分だけ「つまみ読み」をしてみたりするといいです。

そうすると、関連づけて読みたくなったりそうはならなかったりするので満足したら終わりで大丈夫です。本は通読しなければならないような思い込みがあるかもしれませんが、かなり極端なことを言ってしまえば

持ってるだけでOK

何なら手に取った段階で読書は始まっているようなもの


とすら私は思っています。

極端な話、本は一行自分にとって良い文章があればそれだけで出会う価値があるし、ふと開いてすぐに閉じてもいいし、オカルティックに聞こえるかもしれませんが、置いてあるだけでそこに込められた情報を淡く発しているところがあるので、部屋に置いておくだけでもいいと思います。

例えば岡本太郎の名著

『自分の中に毒を持て』

なんかは、もうそのタイトルの本が物質として存在しているとこを確認するだけで明らかに意味があるし影響が発生しているので、その体験が発生した時点でもうある意味読書をしたと言っていいのかも知れません。(流石に過言だけど本気で思ってます)

私にとってもまだ読んでないけどタイトルだけでもう最高シリーズの本は結構あります。

例えば

『村に火をつけ白痴になれ――伊藤野枝伝』 栗原康

『命あれば』 瀬戸内寂聴

など。もうすでに最高!!!

読んでないけど読んだ感ある。
勿論、読んだらもっといいだろうけど、こういう本を書いた人がいて、編集した人がいて、出版した会社があるだけですごくいいなあと思うし、そういう豊かさをいいなあと思って買って持っておくだけでも、それはそれで素敵なことなんじゃないかなあと思うのです。

ここから先は

0字

¥ 400

よろこびます