ラーメン、こわい


長年、ラーメンが怖かった。


丼いっぱいに大量に盛り付けられた麺という麺の塊。胃に沈み込むグルテンが内蔵を圧迫しもう死ぬんじゃないかと冷や汗をかき、食べれば食べるほど増大する丼の暴君に慄き、殺伐とした店内の様相に文字通り麺食らい、這々の体で、何とか生存の崖に粘りついている肉体を引き摺り倒し喫茶店に転がり込む。身体の隅々まで油脂が染み込んで、鈍重な音を立ててコールタールのようになった血液が毛細血管を暴れまわるのを何とか凌いでどぶ水のようになってしまったコーヒーをすする。「めしBAD」である。めしBADとは、友人が教えてくれたオリジナル概念で、めしを頑張りすぎた直後に唐突に襲いかかる回避不可能なうつ状態をのことを指す。確かにこれは、めしBADとしか言いようがない。こうなってしまうともう後はBADが普通になるまでひたすら懺悔と煩悶を繰り返し、BADが普通を経過してGOODになったころにはそんなことすっかり忘れ去っている。怖い。ラーメン屋は怖い。BADを忘れ去った頃には何だか怖い感情記憶の輪郭だけが焼き付く。そうやって、美味しいものが大好きなのにラーメン屋を長らく避けていた。

ところが先日「ラーメン発見伝」というラーメンファンのバイブルになっている漫画を全巻まとめて読んだら、自分がラーメンのことを本当に何も知らなかったということが判明した。

それまでの私自身のラーメンに対する知識とも言えない程度の認識では、何だか様々な味のスープに何だか様々な太さの麺と何だか様々な種類の具が浮かんでいるというくらいのものだったが、実情は凄まじい。そもそもラーメンの汁とは、スープとタレが別個に存在し、最終的な調理過程で混合されているらしい。スープは巨大な寸胴で大量の骨や魚介類や乾物や、それ以外にも考えられうる限りありとあらゆるエキスがで得るものが煮込まれる。ラーメンに纏わる人々は今すぐに飢えて死ぬような状況でもないのに、地上の出汁がでうる可能性が見られるものを片っ端から煮込んでいる。出汁に取り憑かれた狂人しか適応できない煮込みのデスロード、振り返ったところに道はない。郷愁なんてものはまやかしであって、ただひたすらに志向する進化の先にすらあるものは究極的は人間のパルスを異常に発奮させるヴァーチャルというまやかしであり、そんなことは全て織り込んだ上で幻に取り憑かれた人々が、幻想の湯気を噴出する寸胴鍋を本日もかき回す。毎食食べたらその内死ぬ濃度の汁を無言で提供し、旨味成分への過剰な知覚と否応なく放出する脳内物質が殺風景の店内風景を消しとばし、偽りのネオン輝く24時間営業の異様にカラフルなエンターテイメントランドに導かれる。濃厚で、量が多いラーメンを出す店ほど店内が殺風景な理由が分かった。どうせ今、ここにはありもしない光景を脳裏に見るのだから、そもそもの空間など指してこだわる必要がないのだ。

その情景は、革命に失敗し悲嘆にくれながら脳内に救いと革命を求めて大麻やLSDを摂取しながらコンピューター開発に勤しむ西海岸のヒッピーを彷彿とさせた。スクリーンセーバーのなんだか訳がわからない光の玉などが躍動する光景は、どこか過剰なラーメンを摂取した直後のあの世界に似ている。逆にアッサリした澄ましの極致を狙うようなラーメン店の内装はそれとなく洗練されている傾向にある。

ここから先は

673字

¥ 300

よろこびます