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引き寄せるより、取りに行った方が早いのではないか問題

・「夢見」する人々

中学生のとき、私は2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の「その日暮らし板」や「アウトロー板」あたりをしばしば観覧していた。中学に入ったあたりからジワジワ自分は将来的にホームレス(もしくは一生入院している人)になるかもしれない、という気がしてきたので先手を打って事前情報を集めていたのだ。(※)
住居、仕事、社会との繋がりの三要素を喪失した本格その日暮らし民はインターネットを観覧する余裕がないので、そんな場所にはいないと言われている。だから、2ちゃんねるのその日暮らし板の住民とは、要するにおおむね「生活保護の受給に成功した人」の集合を指している。

その中で、私はその日暮らしのイメージから縁遠いワードを見た。それが「夢見(ゆめみ)」である。まず、なんのことを言っているのかわからない。その日暮らし板のスレッドタイトルは性質上「風呂に入ったらageるスレ」「五体不満足になれば1日1食で済む」など、ハードウェア面の話をしているものがほとんどだ。この状況で見る“夢”(ソフトウェア)となると、まあ違法薬物の円滑表現かなと解釈した。しかし、真相は全く違った。

なんと、板住民は万引きのことを「夢見(ゆめみ)」と表現していたのだ。

「夢を見る」という言い回しには言外に「見るに留める」というニュアンスが含まれる。しかし、スレ内では「夢見する」「夢見した」など「やってない」ニュアンスを温存したまま「やった」事実が表現されていた。軽犯罪の質感としてなんだかやたら生々しい。マジで言っている感じがある。いつでも夢心地の世界に突入できるポータブルサイズの夢見心地ゲートを各自が持ち運んでいて、犯行目前にゲートから夢見心地の世界に侵入し、目的を果たしたら速やかにゲートを折りたたんで上着の内ポケットに収納しているみたいだ。

当時は「ぜんぜん夢で済んでないだろ!」と感じたが、今考えてみれば「夢見」というのは犯罪に手を染めている人間の心象の描写として真に迫る表現じゃないか。次第にそう思えてきた。なぜなら犯罪をやっている人の胸中が「現実心地」と「夢見心地」のどちらに所在しているのかということを考えると、おそらくは後者である可能性の方が高いから。

よっぽどの強い目的意識がない限り、多くの人は「現実心地」の中にいながら犯罪など一線を越えるのは難しい。逆に考えると、さほど強い目的意識がなくても夢心地にさえ突入してしまえば一線を越えるハードルは低下する、ということになる。

・ドリーム強者

完全に私が気にしすぎなんだけど、人の食べ物を見て

「それすごく美味しそう!」

と(貰いたそうに)言っている人を見ると、若干ビビってしまう。なんでビビるのかというと、「この人はドリーム強者だ」という感じがするからだと思う。ドリーム強者とは、内心に抱いた夢見心地を積極的に外界に露呈させることで、その場に漂っている「現実心地」の色彩を変容させる技術や精神的態度に優れている人物のことを勝手にそう呼んでいる。

ただ素直な感想を言っているだけだったら気にならないけど「もらえたら得だな」というドリームの内実がわかる程匂い立つものがあるともう、ダメである。内心の動揺を隠せなくなってしまう。勝手に血の気が引いて高所に立ったような心境になってしまう。

考えてみれば、自分は子供の頃からこういう性質が強かったので親から欲望があんまりない人間だと思われていた。そうではない。欲望はそれなりにあるんだけど、ドリーム考えを発露するのが怖かったのだ。子供のころは「まさかわざわざ自分の願望を叶えたい発想の人間がこの世に存在している訳がない」と思い込んでいたので理解ができなかったが、血縁者に限らず大人は子供の願望を無差別に叶えたい欲を抱えているケースがしばしばある。だから「ドリーム待ち」というか、発露された子供のドリームをどんどん実現する方向にスタンバイしている大人も時折いて、その感じもなんだか怖いな、ドリームがバレたら不確定に実現しちゃう恐れがあるな、とか思っていた。

・「引き寄せ」るより、取りに行った方が早いのではないか問題

引き寄せの法則があるので夢は積極的に口に出した方がいい、という趣旨のことがよく言われている。確かにそれはそうで、なにも言わないよりはそりゃあ、なにかしらを言った方がものごとが実現する方向に向かいやすいとは思う。ただ自分としては、思念で頑張って引き寄せるよりも直接取りに行った方が早いんじゃないかとも思う。

最大のネックは、引き寄せとか言われても、いつまでに引き寄せ終わるのか期限が不明な点である。また、ドリームを発露した際のデメリットについてもあまり意識されていない。

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