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“無能”とは、性質ではなく状態 「ハッスル」してる人という定義~水野式無能脱出論~

【この世あるある】
役に立とうとして張り切っている時に頑張った事は、なんの役にも立たない

・「ハッスル」している人

 気合の入った仕事でも友達同士の旅行でも特別なお買い物でも普段やらない人の育児でもメディア出演でもなんでもいいのですが、その人が日常と定義しているベースラインから離れた状況にあり、変な方向性のやる気で浮き足立った結果、レッドブルが言うところの「翼を授かっている」ことになっている人を見たときに、私は

「なんだか、この人は、随分と”ハッスル”をしているなあ」

という心情になることがあります。

「ハッスル」とは、まあ、なんというか、今この瞬間に抱いている本懐(と本人が思い込んでいる欲動の噴出みたいなもの)を叶えんがために発奮、発散の限りを表現しようとしている人間の態度の現れのことです。

 「ハッスル」自体は本人にとってはある側面の幸福だと思うので、そういう意味ではどんどんしたらいいのですが、私は自身の感想がここに至ったとき、口にも顔にも出しませんが心中は


   、、、、\(^o^)/



といった様相になっています(もしかしたら顔には一部出てしまっているかもしれません)。なぜならハッスルをしている人がいると、今はよくても時間の経過とともに信じがたい問題が次々に噴出し、押し寄せ、映画『ファンタジア』で魔法使いの弟子ミッキーが運んだ水みたいな顛末を迎えることが多いからです。

ハッスルしている人(右) (出展:『ファンタジア』)

・無能な働きもの

 俗説として世に広まっている「ゼクートによる軍人の四分類」(これ自体は出典が曖昧な都市伝説です)というものがあります。これは仕事をしている人間の能力や状態を四つに分類したものです。

・有能な怠けもの
・有能な働きもの
・無能な怠けもの
・無能な働きもの

「この中でも組織に壊滅的な被害をもたらすのは四つ目の“無能な働きもの”だから見つけ次第殺っちゃった方がいいよ!!」

というようなことをゼクートは言ったとされています。実際にゼクートがそう言ったかはわかりませんが、無能な働きもの(やたらハッスルしている人)がいると物事が信じがたい方向に悪化して人々が頭をかかえる、というのは見る光景です。

 なんなら自分もハッスルしてしまうときはどうしようもなくハッスルをしてしまうものであり、そうなっているときの自分を制止するのは困難で、同様に他人がそうなっているときも、渦中のハッスルにストップをかけるのは並大抵のことではありません。ハッスルしてしまっている人はもう止まらない。なぜなら本人的にはいいこと、素晴らしいことをしていると信じ込んでその高揚感の真っ只中に包まれているから。

 この分類では「無能な怠けもの」と「無能な働きもの」が別のジャンルになっていますが、どうしようもない「無能状態」におちいっている人は、HUNTER×HUNTERのヒソカのバンジーガムのように、怠けものの性質と働きものの性質を最悪の意味で兼ね備えています。なんでそうなるのかというと、そこで発散される「がんばり」の目的とは、要するにそういうタイプのアーティスティックな自己表現でしかないからです。

・無能=ハッスルしている状態にある人

 ある人間が「無能」とされるとき、それはその人が生まれ持った性質のように語られることが多いのですが、私はぜんぜんそうは思いません。

 なぜなら、性質というのは状況に応じてよかったりよくなかったりするし、評価も人や場面によって全く違うので、一口に「無」とか「有」とかの話にはできないからです。そうではなく、融通のきく性質を持った人間でも、ある状態におちいった場合は全く使いものにならない状態(バッドステータス)としての「ハッスル(無能)」になるということが、ある。ポケモンの「まひ」とか「やけど」みたいに、状態異常としての「ハッスル」がある。これこそが無能の核心だと私は思う。この世の薬局に「ハッスルなおし」は売っていないのにも関わらず。

 この場合の「状態」とはその場面の状況や環境のことではありません。「どんな人でも人それぞれ輝ける場所がある!」といった嘘でも本当でもない話はしないので安心してください。じゃあ一体、どこに無能が生成される余地があるというのか。

 人間がある場面で能力を発揮するときには

①性質(その人にとっては何が苦にならないのか)
②状態(ものごとに取り組む態度や魂胆、場に対するスタンス、ハッスルしているかどうか)
③場の状況(仕事の内容、周りの人の性質、職場の環境)

の三つがかけ合わさって結果が出力されてくると考えることができます。

 この中で「性質」と「場の状況」については振り返って反省したり事前に推測して計画を立てることができるのですが、状態というか、態度というか、その場に現れる魂胆については話題になりませんし意識もされません。でも、それはあるのです。ここに対する意識の希薄さがハッスルを生じさせる原因になります。

・ハッスルとはなんなのか

 シンプルに言えば、

「がんばっている、この私の姿を見て褒めて欲しい」

という欲の塊(盲目的な自己保存を希求するぜん動運動)が本人の中で検証や研磨されることなくそのまま出力されると、態度として「ハッスル」の感じが高じてしまい、使いようのない無能になってしまうと言えます。

 ハッスルしている人が置かれている世界がどんなものなのかというと、中心に強い求心力を持った自我があり、その周りに自分を肯定、評価、注目すべきものがあるといった感じだと思います。
 そのせいで他人を「構ってくれるか否か」以外の基準では認識できなくなってしまうので「熱意があるのはわかったけど、意味がないし迷惑だからやめて欲しい」という話が通じません。「熱意があるのはわかった」のであれば、それは自分を評価、賞賛すべき合理的かつ十分な理由を抱えているはずで、それなのに評価すべきである自分を評価しないのは、性格に問題がある話のわからないばか者ということになってしまうからです。

 このように、文章にして客観的な説明を試みると、ハッスルをしている人はなんて愚かで周りが見えていないんだろう、こんなふうになる人がいるなんて信じられないと思えてきますが、ハッスル状態は誰でもわりとなります。つまり、ハッスルをしている人が個人の問題としてバカというよりは、人間は一定の条件を満たすとバカになってしまう機構を備えているのであらかじめその点を理解して対策をしておいた方がいいのです。

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