見出し画像

シリーズ:他人の大学 「中立」という幻想

【要するに】
・ある組織構造の中では自分の立場が「中立」であるという幻想を信じている人が多い
・このような「中立」の幻想には強い正常性バイアスが働いているので、なるべく客観的な視点を持って語ろうとする態度を示せば示すほど理不尽な構造に巻き込まれてしまう
・組織構造の中で事なかれ主義的に権威を保つ為に、「中立」(幻想)が頻繁に用いられる
・それらはより権力が少ない人間に問題のしわ寄せを押し付けることで、表面的には問題が起きていないように見せかけて物事を(一見)丸く収める為に用いられる、不公平な(あるいはより強固な集団化により適者生存を図る)テクニックである
・客観性を失うことで権力に加担し、また自らの立場を中立的であると錯覚することができる
・これは権力構造に適応する為の技術なので、特に「悪い」と言えるものではない
・かといって「良い」ものでもない。人間組織の合理的な(かつ理不尽で差別的側面を持った)習性
・ともかく事実としてそういう習性があるので、感覚的に長いものに巻かれるのが苦手なタイプの人はしっかり対応のコツを身につけておかないと辛い目に合う

※全然要せていませんでした。本文はスラスラ読めるように書いているのでどうか読んでください。


・「中立」という幻想

 バイト先で、部活で、あるいは会社で家庭で。あなたが明らかな理不尽な立場を押し付けられているにも関わらず、周りの人が全くまともに取り合ってくれないという経験をしたことがある人は多いんじゃないでしょうか。

「どっちもどっち」

「喧嘩両成敗」

「お互いにそれぞれ立場がある」(←なにも言ってない)

といったような、一見物分かりのよい大人風に見えて、その実無関心。事なかれ主義的で自分の立場さえ守れたら良いやという投げやりな態度にやる気を根こそぎ削がれていく不条理さ。渦中にいる人にとってはこの上なく苦しく辛い状況ですが、周りの人に話してみても今ひとつ苦しみの内情が伝わらない。それどころか、下手をすれば

「相手にも相手の事情があるんじゃない?」

と、うまく窮状が伝わらずより強い忍耐を強いられる始末。これでは、まともに活動や仕事に取り組もうという気持ちにもなれません。確かにそれはそうなんです。相手にも相手の事情はあるし、一方の話を聞いただけでは判断を下すのは難しい。とはいえ、既に問題が発生してしまっているにも関わらず、ことを荒立てたくない、日和見的に解決したいという強い願望が当事者の困難の程度を過度に低く見積もらせてしまっているのもまた確かに起こってしまっている現実です。せめて、話を聞いてもらいたい。問題をまともに取り合ってもらった上で納得できる解決策を模索したいという当然の願いすら、時として通用しない。

 このような、一対一の関係で人と接している時には起こりえない話の通じなさが、集団になると頻繁に発生してしまうのはなぜなのか。また理由がわかったところで、どう対策をするべきなのか。


 これは私が昔アルバイトをしていた喫茶店での話です。

_____________________

 もう潰れましたが、かつて新宿にあったその喫茶店は、外食チェーンを複数運営する大手企業が運営していた為コスト管理に厳しく、アルバイトに自費で食材をメニューの提供価格で(企業側の言い値)買い取らせて新レシピの練習を半ば強要するなど、どこからどうみても漆黒のブラック経営を大手を振って行なっていました。今だったら即時労基に通報しますが、当時はアルバイト経験がなかったので、お金を稼ぐ為にお金を支払わなければならないなんて、労働って最悪だな~とか呑気に考えていました。

 そのせいでバイトは入って即日やめるのが当たり前。続けているバイトや契約社員は脳も精神も漆黒に堕ちた堕天使ばかりという有様で、まともな理屈は基本的に通用しません。その喫茶店には、私が働いていた店舗の付近にも数点の系列店があったので、系列店にケーキの在庫を取りに行くなどの業務がありました。取りに行く際は基本的に労働者を最も効率よく使役する為にケーキの箱以外は何も持たない状態で行くので、雨が降ったら俄然濡れます。私はバイトなのに雨に濡れるのは嫌だなと考えて、雨が降ってきたらケーキの箱を傘にしていたので、それがバレてしこたま怒られました。「お客様に提供するケーキが入っている大切な箱を濡らすのだったら、自分の体で庇いなさい」とか言われたが、そんなことするわけがありません。こちとら、アルバイトです。日本兵じゃないんだから。

 根本的な問題は、雨なのに傘を持たせない企業側の頭のおかしさにあります。それを指摘しても、「反省がない」「物事の道理を理解していない」「人格に問題がある」などの徹底批判をされる始末。ここで徹底的にこらしめて洗脳しようという腹づもりなのかもしれませんが、ここまで頭がおかしいことを言われて、はいそうですかとなるわけがありません。私はアルバイト人員が少なく労働者に困窮している(完全に自業自得だが)のを良いことに、ますます一掃のやりたい放題をしました。やりたい放題といっても、理不尽な要請を完全に無視していただけですが。お客様へのおもてなしやコーヒーの抽出には熱心なので一応首にはなりませんでした。なっても一向に構わないと思っていましたが。だからこそ人権を完全喪失せずに済んだのでしょう。当時の私は増えるワカメにハマって増えるワカメをキッチンで増やしていたので(昼食)末期的には、新宿店の水野は頭がおかしいという噂が渋谷まで広まるほどの様相を呈しました。あとお客様に新メニューのケーキの味を聞かれた時に「そちらはハズレです」と正直に感想をお伝えするなどもしていました。確かに今思うとおかしかったのはある程度その通りではあります。これについても、私は、全てこち亀の中の出来事だと考えることで難を逃れました(逃れてはない)。

・雨に濡れろ

・自腹を切れ(違法)

・命よりアルバイトを優先しろ(そんなわけないだろ)


 このような狂った価値観を当然のように繰り出しておきながら、繰り出している側は常識的な大人げのある態度を取っているという手ひどい勘違い。これらは全て、組織的合理性によって刷り込まれた正常性バイアスからくる誤った「中立」の幻想に立脚するものです。ここまで分かりやすく歪んだ考えを持ちながらも、自分は道理にかなった正しくバランスのとれた対応をしていると勘違いできてしまうところが、ある意味では生物としての人間の強みと言えるのかもしれません。


(※他にこち亀でしのいだエピソードはこちら)

・なぜ幻想に陥るのか


 そもそも我々は、社会生活を送る中上で自分達のやっていることは普通のことだという幻想に浸っています。身の回りのことだと感覚的に分かりにくいですが、例えば中国では全国人民代表会議に選出されていない一般市民には基本的に選挙権がありません。が、市民感覚としてはある部分で「政治はアマチュアが何かものを言うよりもプロに任せておいた方がいい」という考え方が根付いていたりもします。こちらとしては義務教育で民主主義の重要さを教育されている手前、えっ?! という感じになりますが、日本も日本で議員が世襲制をやっていたりするので、見ようによっては江戸時代の延長をやってる国みたいに見えるかもしれません。

 アメリカでは去年(2021年)、「進化論を受け入れている」という人がようやく過半数に登ったそうです。

ここから先は

4,094字

¥ 700

よろこびます