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習慣を取り入れる際は、ジョブズより断然☆セルフ独房システム☆<理論編>☆

・ジョブズ < 独房

 一体この事実が世間一般にとってどの程度常識であるのか判然としませんが、私は20代の半ばごろにようやく

人間の一生というのは、習慣の積み重ね以外の何物でもあり得ないんだな


という事実に気が付きました。遅すぎたのかもしれませんが、それでも気が付いただけ御の字といえます。

 つまり、人間が生まれてから死ぬまでの一生を思い浮かべようとすると、つい映画『フォレスト・ガンプ』のようにドラマティックな出来事が次々と降りかかる様相をイメージをしてしまうのですが、全くそうでもないというか。人間の生活というのは恒常性の賜物であって、自分でそう選んでやると決めてリソースを注ぎ込んだ事だけが生活の中に現出し、日々の積み重ねの中で厚みや深みを増し、それらの総体が最終的に「人生」と言えるだけの一連のまとまりとして参照可能になるという、それだけの事だったのです。人生とは。当たり前の話ですね。自分でそう決めてやったことしか、やったことにはならないのですから。

 しかし、どうしてこんなにも単純な話が感覚的には分からないのか。

 私はこの点を不思議に感じました。「どうもそんなわけがない」ような気がしてしまう。当たり前の事実を当たり前に受け入れるほうが困難であるとは変な話です。気がついてからも、その事実が実感を伴って腑に落ちてくるまでに私にとっては半年以上の時間が必要でした。

 つまり、毎日やっている事の結果の総体がそのまま人生として現れるという呆れかえるくらいに単純な事実が、どうも当時の私が直感的に捉えている「人生」のイメージとは乖離しているように感じられてならなかったのです。この人生の舵取りを気づかない間にどこかに委ね切ってしまうような不気味な錯覚は、果たしてどこからやってくるものなのか。
 中島みゆきが「その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるな」って歌っていますけど、こちらだって好き好んで知らない人にオールを渡したつもりは元よりありません。気がついたらそれは自分の手には無かった。ないことに気がつくところから始めなければいけなかった。もしも私が中島みゆきだったら、このように歌うことでしょう

その船を漕いでいい あなたは実は漕いでいい
あなたを無視して進んでる船は (実は)あなたのオールを奪ってる

(もしも水野しずが中島みゆきだったら)

私は中島みゆきではないので歌いませんが。

 おかしな話です。自分でやってみようと考えもした事がないものがある日突然人生になって現れるなんて、食べてない食べ物が肉体の一部になっているくらいあり得ない話なのに。どこかで何か致命的な取り違えが起きているのではないか。


・「お客様」だと思い込んでしまう構造がある


 結論から申し上げると、先述したような錯覚に陥ってしまうのは、現代において私たちが(少なくとも建前上は)無数の選択肢と責任を問われない自由に取り囲まれているからです。

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