見出し画像

女性が好きな女が男性と付き合ってみて


血迷ったのかと言われるのだろうか。それともあぁやっぱりねと言われるのだろうか。それでも私は間違ってなどいないと断言したい。肩身が狭い気もするがそれでもいまが幸せと感じるのだから。


男性と付き合い二ヶ月が経とうとしている。まだ二ヶ月、されど二ヶ月。少し振り返ろうかと思う。

彼は私が女性が好きであること、そして二丁目に入り浸っていたことを細く話した上でそれでも良いと言ってくれたので付き合うことになった。
正直なところ、男性と付き合うにあたって私の選択は正しいのだろうかと悩んでいた。しかし、どんな状態の私でも受け止めてくれ、尚且つ私をとても大事に想ってくれるその姿勢を蔑ろにしたくないと強く思い付き合うことを選んだ。
もちろん、人として好きになったからというのは大前提ではあるものの、ほんの少し前まで女性とばかり付き合っていた女性好きが男性と付き合うということに若干の引け目を感じていたのは事実である。だが、同性も異性も関係なく広い視野で見たときにこの人なら、と大袈裟ではあるが私の人生に賭けてみた。
未だ、それが正しいのかは分からずにいる。それでも一緒にいて落ち着く存在であり、一緒にいたいと心の底からそう思うのだから少なからず間違いではないと思っている。

そして、同棲を始めてやがて二ヶ月でもある。付き合うと決めてからほぼ同棲生活みたいなものを送り、きちんと同棲しようと決めたのは七月に入ってから。共同生活、同棲というものが初めてなものだが、意外とすんなりと溶け込めてしまった。
朝早く起きて彼のお弁当を作り、彼を仕事へ送り出す。そんな生活を送るのが今となっては当たり前のようにもなっている。しかし、それをまだ当たり前と感じ切れずにいるのは何故だろうか。

私は根っからのレズでは無いが、女性と付き合ってることの方のが楽しかったし同性だからというのも相俟ってか感覚が似ている分、気が楽だった。常に可愛くいよう綺麗でいようという気持ちにさせてくれていたし、何よりも女性に好きと言われることやその表現方法が好きだった。
これは女性への依存なのかもしれない。アイデンティティなのかもしれない。しかし、それでも私は彼女たちを本気で好きになり本気で向き合ってきた。それを自ら失くしてしまうことを選んだのは何故なのかも分からない。
だが、私は女性が好きであることは彼と付き合っていても変わりはない。これは何度でも言おう。
それでも私は彼との生活を自ら望んだ。なんてわがままなのだろうか。

正直なところ、彼氏が出来たという話をするのは自分が女性が好きであることをカミングアウトするときよりも妙に胸がざわつく感覚がある。これは二丁目に入り浸っていて、ノンケ界隈とは無縁の生活を送っていたからかもしれない。しかし、彼自身がとても素敵で魅力的なひとだから隠さずにいたいと思った。パートナーと呼ぶのではなく、彼氏と呼ぶのが相応しいとそう思った。

彼女がいたときは「彼女」と呼んでいたのだから。


Soutenez moi s'il vous plaît 🦖⸒⸒ On va boire un verre ensemble🥂‪⋆͛