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『ペトリコール』第三話

■3

 金曜日の雨。ふたりで雨に濡れて家に帰った。
「濡れちゃったね、タオル持ってくるから」
 ベランダからは灰色の空が覗いている。花菜はそれをじっと見つめている。タオルで花菜の髪を拭きながら、このところ顔を見ていない大輔を思った。
 ――大輔、どうしてるんだろ。
 大輔と最後に会ったのは、二週間も前だ。
 灰空の小さな雲の隙間から光の筋が差している。それが大輔の派手な金髪の色と重なり、切なさで胸が締め付けられた。
 花菜との慣れないふたり暮らし。溜まったストレスを大輔で発散したかった。それにはすこしだけ、会って話をするだけでいい。あの顔と声が恋しかった。
 いつだって大輔のことばかりを考えていた。
 コン、コン
 玄関のドアを叩く音が大輔を掻き消す。気づけば雲の隙間はふさがり、光の筋もなくなっていた。
「はぁい」
 ――もしかして大輔かな
 通じ合う思いに期待し、可愛らしい声音でドアを開けた。
 思いも虚しく、立っていたのは大輔ではなかった。帽子を被った見知らぬ老人だ。
 見たことのないロゴの帽子と、胸に付けた大量のバッジが不釣り合いに輝いている。
「ああ、渡辺さん。千円」
「え、千円?」
 突然、千円とだけ言って老人は手をだしてきた。どうすればいいかわからず戸惑っていると、さらにもう一度「千円」と念を押した。
「え……あの」
「え、やなくて千円や、千円」
「あの、千円を払うってことですか? 共益費とかでしょうか……」
「そうや。それそれ。千円くれ」
 老人は自分から訪ねてきておきながら、不機嫌そうな顔で支払いを迫った。
 この男もまた他の住民同様、梨恵たちをよく思っていないことがわかる。
「ご苦労様です――きゃっ」
 言い終わらない内に、老人は千円札をひったくると乱暴にドアを閉めた。騒々しい音は不快感だけを残し、閉まったドアを呆然と見つめる。
「なによ、あれ……」
 短いやり取りの中に、老人の強い軽蔑を感じた。
 まるで壁に這う百足や蜘蛛……疫虫を見るような、嫌悪感に満ちた目。
 これまで生きてきて、ここまでひどい眼差しを向けられたことはない。
 くしゅんっ
 後ろで花菜のくしゃみが聞こえ、我に返った。慌てて花菜に駆け寄る。
「身体冷えちゃった? お風呂入れるね」
 花菜の髪を一通り拭き終えバスルームへ向かう。湯の温度を四〇度に設定し、カランを捻った。
 勢いよく湯が口から噴きだす様を何気なく見つめる。これからもこの暮らしが続くのだと考えただけで憂鬱になった。
「……あれ?」
 バスタブに溜まっていく湯の流れを見つめボーっとしていると、ふと違和感を覚えた。
 ……湯気がない。
 おもむろに噴きだす湯に手を差し伸べ触れる。
「冷たっ!」
 反射的に手を引っ込める。水だった。
「間違えちゃった!」
 すぐに温度管理のパネルを確認する。だが、パネルにはしっかりと《40℃》と表示されていた。
 首を傾げ、もう一度触ってみるがやはり水だ。試行錯誤してみたものの、水は水のまま、問題は解決しなかった。
「うそでしょ……やだなぁ、雨なのにお風呂どころかお湯もでないなんて……」
 ため息が漏れる。喩えようのない暮らしのズレが、すこしずつ澱のように積み重なっていく。
 ひとつひとつは些細な事だが、それらは胸の内側――肋骨にコケがこびり付いてゆくようなストレスを課した。このカビが肋骨を覆い、臓器にも浸食し、いつか死に至る。
 理由もなくそんなイメージが沸き、頭を振った。
 ――疲れてるんだ、私
 しかしこれではシャワーすら浴びられない。途方に暮れ、ふらつく足取りでキッチンの椅子に腰を落とした。
「りえちゃん、あの煙突ってお風呂屋さん?」
「煙突?」
 暖を取るようにしてぬいぐるみを抱きながら、花菜は窓の外を指差した。
 指し示す方向に目をやると、住宅の中から指を立てるように煙突が突きだしている。
「お風呂屋さんだ! そうしよう、花菜ちゃん冴えてる!」
 思わず声が弾み、花菜の肩を叩く。バスルームに転がり込むようにして銭湯の準備をした。
 不安な暮らしの中で小さな喜びを見出したのだ。いい気分転換になるかもしれない。

 歩くたびに騒ぐ洗面器を抱いて、雨空に傘を開いた。
 ツン、と鼻を刺す火薬の臭い。楽しい気分に水を差す臭いに顔が歪んだ。一体この臭いの正体はなんなのだろう。
「雨で余計臭いが立ち昇ってきてる」
 一日中暗い空。いつから晴れ間を見ていないだろうか。
 はしゃいで外にでたはずなのに、すぐに気分が滅入ってくる。
 この町はどこか存在が希薄だ。駅までは確かに晴れていたはずなのに、さみだれに帰ってくるといつのまにか空は灰色、雨が降っていることもめずらしくない。そんな日が多い……というより、いつもそうだった。
 なんだか外界から切り離されたような、ここだけが違う異世界なような気がする。そんなわけはないが、思いは簡単に拭いきれなかった。
 煙突をめがけ歩いていると灰空ばかりが視界を占めて、つい余計なことばかりを考えてしまう。それに比べて花菜はいつもよりも機嫌がいいようだ。長靴を履いているのが嬉しいらしい。水溜まりをわざと踏んだりしてはしゃいでいる。
 ――喜んでるんなら、まあいっか。
 バシャバシャと雨を楽しんでいる花菜に服を汚さないよう注意しつつ、子供らしい一面に顔がほころんだ。
「花菜ちゃんって、お風呂屋さんに行ったことあるの?」
「あるよ。前の前に住んでたおうちの近くにあったんだ。ママと二回、行った」
「好きなんだ?」
「うん」
 笑いながら花菜は傘を片手に、いつもよりも大きな歩幅で歩く。
 工務店の看板と建物の隙間から見える煙突が近づいてきた。ふたりは顔を見合わせもうすぐだね、と笑った。
 目的の銭湯は、もう目と鼻の先だった。
 はもう待てないとでも言わんばかりに、「先に行って見てくる!」と花菜小走りで駆けていった。
「これからお風呂入るからって、転んで汚さないでよ!」
「わかったー!」
 こんなにはしゃぐ花菜を見るのは、舞が家にきた時以来だ。
 自分は花菜を笑顔にできない、と自暴自棄だっただけにはしゃぐその姿を見て安堵した。いつもこうだったらと考えてしまう。
 銭湯の前までやってくると、そこで花菜が呆然と立ち尽くしていた。
「……花菜?」
 返事がない。異変を感じ、小走りで近寄った。
「りえちゃん」
 花菜はつぶやくように言うと、銭湯の玄関を指差す。
「あ……」
 玄関は朽ちてボロボロだった。さらに侵入防止のフェンスが強引に針金で括りつけてある。看板は剥げ落ち、至る所にカビなのか藻なのか、緑色のシミのようなものがこびりついている。どこからどう見ても廃墟だ。とても営業しているようには思えない。
 その有り様から、最近廃業したのではないとわかる。役割を終えてから随分長い間、放置されていたらしい。
 目の前に突き付けられた現実に唖然とした。どこか説得力のない光景だった。なにかに化かされているような、騙されているような感覚だ。
 周りにはふたりを囲むようにして、錆びた鉄の筒が辺りに散らばっている。
 フェンスに立てかけられた板には、赤いスプレーで『立小便するな』とでかでかと書かれてある。
「やってないの?」
「うん……そうみたい」
 短いやりとりをしただけで、その場を動けずにいた。
「あ~、自分らなにしてんの! こんな雨の日に子供連れて歩いたらあかんって!」
 突然、怒鳴り声が響いた。
 振り向くとハンドルに傘を固定した自転車にまたがった老女が立っている。かごには泥水が入ったペットボトルが何本も入っている。
「あの……なんで雨の日に子供を連れて歩いちゃだめなんですか?」
「はあ? なんやの、自分らこの辺の子やないんか?」
 ――まただ……。だったらなんだっていうのよ
 内心うんざりしながら訊ねた。
「そうです。この町はどこもトイレを使わせてくれないし、学校ではひとりでトイレに入るなとか、理由を誰も教えてくれないんです」
「ひとりでトイレって……あんたなに言うてんの!」
 野良猫の死体でも見るかのような、好奇と不快を混ぜ合わせたような貌だった。
「『子供をひとりにしたらあかん』のは、トイレだけちゃう。風呂場、池、川……水場は全部や」
「水場?」
「りえちゃん。プールも?」
 花菜の質問にうなずいたのとほぼ同時に、老女が突然短い悲鳴を上げた。
「な、なんですか?」
「自分ら、大阪の人間ちゃうんかいな!」
「また……? みんな、私たちが大阪出身じゃないって聞くと態度が変わりますけど一体なんなんですか!」
「知らん! なんも知らん! 知らん知らん!」
 そう言って老女は路面を蹴りながら急いで去って行った。
 追いすがろうとするも、相手は自転車で雨も降っている。簡単に追いつけるはずもなく、すぐに諦めた。老女はみるみるうちに小さくなってゆく。
「なんで誰も教えてくれないのよ……」
 不満と不安が湿気と共にべったりと顔に貼り付く。
 雨足の強くなる中、花菜は長靴で水溜まりを踏んでいた。

 結局風呂にありつけぬまま、さみだれ住宅に戻ってきた。
 立ち並んださみだれ住宅の棟は、雨の中膝を抱えてしゃがみ込む灰色の巨人のようだ。
 ひっそりと鎮座する巨人の体内に、その内臓にこれから還っていくのだと思うと、気が重くなった。
 巨人たちはみな病に冒されている。いつ死が訪れても不思議ではないくらいだ。さみだれ住宅は、5部屋にひとつは空き部屋だ。さらに住人は年寄りばかり。これを病と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
 雨に濡れる巨人たちは今にも息絶えそうな、瀕死の状態なのだ。そしてその病の巨人の中に自分たちも、いる。
 家のそばまでやってくると、ベランダ側の隣人である老女が傘を差し、道端で花壇の手入れをしている。様々な種類の植物や花が畳二畳分ほどのスペースで育っていた。
 この場所は自由に使ってはいけないはずだ。だが許可を取っているようには思えない。
 それを物語るように、手作りの金網の柵には柱の代わりに錆びた鉄筒が刺してあった。
 住人のモラルの低さを目の当たりにするたび、頭痛がする。
「こんにちは」
 故意によそよそしくされていると自覚していても、目の前にいられては無視する訳にもいかない。渋々作り笑いを作り、挨拶をした。
 老女はのっぺりとした動きで肩ごと後ろを振り返り、胸元に抱えた洗面器を見た。
「銭湯?」
「ええ。家のお風呂のお湯がでなくなっちゃって。どうしようかなって思ってたらベランダから煙突が見えたから、行ってみたんですけど……。もうずいぶん昔に廃業してたんですね」
 できるだけ明るい口調で答えた。老女は声をだして笑った。
「そらそうやわ。丁度ええし、教えといたる。雨の日は諦めえ。どこの家かて風呂の調子悪なるねん。そんでもどないしてでも風呂入りたいって思うんやったら、この町やなくてちゃうところ行き。子供連れてても町さえでたら問題ないし新世界にあるスパワールドでも行ったらええわ」
「スパワールドって、それもいいですけど……」
 また新しい情報だ。今度は雨の日は風呂の調子が悪いらしい。どうせ聞いたところで教えてくれないのは目に見えているが、それでも黙っていられなかった。
「あの……私たちが大阪の人間じゃないとなにがだめなんですか? ひとりでトイレに行くなとか、雨の日は調子が悪いとか、いい加減教えてください! なんで雨の日はお湯がでないんですか! しかもこの町だけなんて……」
 つい感情的になってしまう。
 梨恵の思わぬ剣幕に、老女は動揺を見せた。
「それはうちら『口にだしたらあかん』ってずぅっと前から言われてんねん。よそもんが街にくるとあれがでやすうなるから、昔からあんまりかかわらんようにしてるんよ。戦艦作るお金もな、バカにならんやろうし。たぶん、この辺の人らはみんなそうやと思うで。せやからな、悪いこと言わんし、はよ引っ越し」
 言っている内容の割に、老女はどこかヘラヘラしているように見えた。親身になって居るようで、実はからかっているような。
 その態度は不気味さよりも、怒りに近い感情を沸き立たせた。
「〝あれ〟? あれってなんですか。口にだせないって……」
「もうええからはよ帰り。晴れてる日やったらあれやけど、今日は雨やで。雨の日に子供を外に長い時間だしてたらあかん」
「ちょっと! 待ってください!」
「待たへん待たへん。あんた、その子大事やないんかいな。危ないもんは危ないねん。はよ帰り」
 老女は頑なだった。本当に『口にしてはいけない』というルールがあるのだろうか。
 仮にもしそうなら、老女の言う『雨の日は子供にとって危険』というニュアンスはひとまず信用すべきだろうか。自分自身でもわからなくなっていた。
「嬢ちゃんをひとりで水場に行かせたらあかんで。まだ会うてないみたいやし、徹底しいや!」
 その声を無視して花の手を引くと家へ戻る足を速めた。

 やはり風呂の湯はでなかった。
 じめついた溜め息を吐き、窓を濡らす雨を眺める。泥のような空の色を見つめながら、この町に降る雨は他と違う気がすると思った。
 油分を含んでいるようなぬめり気のある不快な雨質。濡れた肌が乾くと海水に浸かった後のようにべとつく感じがする。
 シャワーを浴びられない、風呂に入れないことは過大なストレスになった。
 我慢すれば詰めたい水のシャワーなら浴びれるが、雨で冷えた体がそれを拒絶する。
「チャンネル、どこがどこだかわかんない」
 テレビを観ていた花菜が呟いた。大阪のチャンネル編成に戸惑っているようだ。
「8は関テレ、10は読売、6がABCで4がMBS。NHKは1よ。あ、Eテレは2ね」
 簡単に説明してやるが花菜は、不思議そうな顔をして固まったままだ。
「……あ、そっか。局も違うんだっけ、えっと東京の局で言ってもわかるのかな」
 花菜が知っている局に置き換えて説明したいが、福島のことはわからない。結局、唸っただけでなにもでてこなかった。
「ごめんなさい」
 懊悩を察したのか、それとも面倒だったのか、花菜はいつものように一方的に謝るとテレビを消した。さっきのはしゃぎぶりとの温度差に息苦しくなる。
 すぐに謝って終わらせる花菜の癖が苦手だ。本来、ごめんなさいという言葉は、こんなに多用する言葉ではない。
 使いどころの雑さも問題だ。ちぐはぐなタイミングで謝るのでさらに居心地が悪くなる。しかしそれは同時に、一緒に暮らすことに息苦しく感じているのは花菜も同じだということなのかもしれない。
 心にまた、澱が積もっていく。
 この複雑な気持ちを飲み下してしまおうと、テーブルのグラスに手を伸ばしたところでなにかが震えた。テーブルに置いたスマホだ。
《渡辺真麻》
「あ、花菜ちゃん。ママから電話だよ」
「うん」
 花菜は真っ黒なテレビ画面を見つめたまま、じっとしている。
「……あとで代わるね」
 花菜は首を横に振った。構わず「もしもし」と電話にでた。
『あ、お姉ちゃん? どう、花菜との生活は。お姉ちゃんも家族欲しくなったんじゃない?』
「冗談。まだ所帯じみる気はないの。あんたと一緒に……」
 梨恵は『あんたと一緒にしないで』と言いかけたのを、慌てて濁した。それをわかっていて真麻は、いたずらっぽく笑い声を上げる。
「ちょっと、なに笑ってんのよ。大変なんだから、こっちは色々」
『色々? なによ色々って。大変なのはみんな一緒だって~』
 久しぶりの妹との会話は梨恵にとっていい気晴らしになった。気兼ねなく誰かと話すのはストレス発散になる。
『花菜は元気? 学校で打ち解けてる?』
「花菜ちゃん? うん、元気だよ。学校でもうまくやってるみたい」
 スマホを耳に当てながら花菜の肩を叩き、スマホを指差す。
(代わろうか?)
 口をパクパクさせて、花菜に伝える。だが花菜は首を横に振った。
「……?」
『花菜はそこにいるの?』
「あー……花菜ちゃんは今、上の階の人のところに回覧板を回しに行ってる。ほら、団地だからさぁ~、あっという間に看板娘になっちゃって……」
 代わりたくないという花菜に気遣って梨恵は咄嗟にごまかした。
『ええっ、あの花菜が? お姉ちゃん、やるじゃ~ん。いいお母さんになれるよ。早く子供作っちゃえば?』
 梨恵は「バカ言わないで」と返事をしつつ、わずかもこちらの会話に関心を向けない花菜の横顔を見た。
『ところでさ、大阪(ルビ/そっち)の住み心地はどんな感じ? 写メでしか見てないから、どんな部屋なのかわかんないんだよね。いつか私もそっちに行くかもしれないんだし』
「あ、じゃあビデオ通話に切り替えて見せたげる」
 その言葉が聞こえた花菜は、カメラに映らないよう隠れた。呆れつつ、花菜が隠れるのを待って、ビデオに切り替える。
「こ~んな感じでっす。正直そんなに広くはないけど、ふたりで住む分には部屋も多いし、いいんじゃないでしょうか」
 隠れている花菜を気にしながら、スマホをぐるりと一周して部屋の様子を見せた。
「どう?」
『へぇ~。確かにふたりで暮らすんだったらいい感じだね。このぶんじゃ私が住まなくてもいいんじゃない?』
「冗談言わないでよ。真麻はよくても花菜がかわいそうでしょ。いいから早く大阪(ルビ/こっち)来てあげな」
 電話越しに真麻は「あはは」と笑いとばし、ひと呼吸すると声のトーンを落とした。
『花菜、そこにいるんでしょ?』
「えっ……」
 しまった、見つかっていたのかと家の中を見回す。どこに隠れたかのか、花菜の姿はない。少なくともスマホのカメラに映り込むような場所にはいないはずだった。
『いいの。わかってるから。あの子、ちょっと色々あって塞ぎ込みがちでしょ? 今は離れてるぶん、私ともあまり喋りたくないのかもしれないし。私も……まだ花菜と一緒に暮らせないし。ごめんね、お姉ちゃん』
「……無理しないでいいから。強引に電話代わるべきだったかな」
 親子には親子の事情がある。
 家族ふたりきりになってしまったからといって、必ずしも母娘の関係が良いとは限らない。だから真麻には強く言えなかった。
『それにしてもあの子、隠れるの下手よね。小学3年生だったら、もっと上手く隠れてなさいよ。テレビの裏なんて、見つけてくれって言ってるようなもんじゃん。いくら座布団で頭隠しても』
 真麻は笑いながら言った。
 ――テレビの裏?
「座布団って?」
『とぼけなくていいよ。古臭い感じの青い座布団だよー。どうしたのあんなババくさいの、お姉ちゃんらしくないね』
 適当に相槌を打ち、テレビの方を見る。言いようのない違和感に胸が騒いだ。
 ――テレビの裏……?
 真麻の指摘は、どうも腑に落ちなかった。花菜がテレビの裏に隠れているとは思えなかったからだ。
 仮に隠れたとしても、花菜が簡単に入り込めるような隙間はない。動かそうにも物音がしてその時点で真麻は気づくだろう。もしかすると自分が気付かなかっただけで、真麻はそれに気づいていたとか? そうだとしても納得がいかない。
 スマホを耳にあてながら、テレビのそばまで近づいてみる。
 ――……いない。
 やはりテレビの裏に隠れていれば気付かないわけがない。
 ――見間違い? それとも隠れていたけどすぐに出て行った……とか?
 そう思い覗き込むがテレビと壁の間には隙間はない。子供はおろか、猫一匹すら入れなさそうだ。
『とにかく、ふたりとも元気そうで良かった。まだしばらくお任せしちゃうと思うけど、ちゃんと生活費は入れるからさ。悪いけどお姉ちゃんお願い』
「うん。こっちは大丈夫」
 上の空でつい、そんな返事をしてしまった。
 本当はこの町の変な習慣のことや、おかしな住人達について話したかったはずなのに。
「あ、そうだ真……」
 話そうとした時にはもう遅かった。スマホの画面には無情にも《通話終了》と表示されている。
 嘆息し、スマホを置く。直後、かちゃりと廊下からドアの開く音がした。
 振り向くとトイレのドアの隙間からこちらを窺う花菜の姿があった。
「なにしてるの」
「トイレに隠れてた」
「…………テレビの裏じゃなくて?」
「ずっとここにいたよ」
 ずるり、と胸の内側をざらざらとしたなにかが這い回る。そんな、気色悪い気分だった。
 ――だったら、真麻がテレビの裏で見たっていうのは……
 トイレからでてきた花菜はなにごともなかったように居間へ行った。
『みなさん見てくださーい! 大阪城公園は雲ひとつない快晴でぇーす!』
 突然テレビから鳴る女の声。
 振り返ると女子アナウンサーが大阪城をバックに食レポを行っている映像が映し出されていた。
「あれ……テレビ、点いてたっけ?」
 花菜はテレビのそばにはおらず、にゃにゃちゃんと遊んでいる。
 こちらの問いには反応せず、花菜はご機嫌に鼻歌を歌っていた。
「タンタン、トンカラリンシャン、テテテのテ♪」
 聴き馴染みのないメロディだった。

#創作大賞2024
#ホラー小説部門

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