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036 あるのにないことにしているから苦しい/雑記

今朝も寒くて、出かけるときは冬用のアウターを羽織りました。まだまだストーブは手放せない北の春。
午後は晴れて、ぬくぬくとした光が心地いいです。(家の中にいるけどw)

散歩のときに桜の木の芽が膨らみ始めたのを見ました。近所にはタラノキがちょこちょこと生えていて、その先端から新芽がグングン伸びていく様子を見るのも楽しみです。

乾いた地面には、あっという間に成長していくフキノトウのあわい黄緑や、小さいのにハッとするほど鮮やかなオオイヌノフグリの青紫、名残雪のようなハコベの白。桜が咲く前の、ちいさな春の知らせがなんとも言えず懐かしく、気持ちがあかるくなりました。



沈んだあとには必ず浮上する。

子どもが保育園に行っている間のひとりの時間。昨日書いたみたいな、先週末のごちゃごちゃぎゅうっとした時間があったから、なんでもない月曜日の今日はすごく特別な感じがする。
うまいこと、キラキラとした水面まで浮かんできたみたいだ。顔を出すには、あとは淡々と動くしかない。



うれしいメッセージがふたつ届いて、「なんかもしかしてわたしやらかしちゃったのでは、、」とひそかに心配していた気分が吹っ飛んだ。わたしの心配って9割杞憂なんだな。

ふと気がついたのだけど、今現在プライベート(SNS含む)のつながりに、いじわるなひとがまったくいない。もちろん、すべての人とめっちゃ気が合う〜!とかではないけれど、基本的にみんなやさしく思いやりがあって、人との距離感をつかむのが苦手なわたしはそのことにとても救われている。

なんでみんなそんなにやさしいんですか?わたし全然やさしくないよ?と思うけど、なにかわたしにもいい成分(いい成分?w)があるからつながっているんだろう。

自分の性格のわるいところは自分がいちばんよく知っている(と思う)けれど、それも含め、いい成分も含め、全部まるっと「わたし」なのだ。
そうしてそのことが人生を、唯一無二の魅力的なものにしていくのだと思う。



人に褒められたい、認められたい、相手にされたいと強く強く思うとき、わたしは自分の持つ力から一生懸命顔を背けている。あるのに、ないものだと決めつけている。

褒められない、認められない、相手にされないことが苦しいのではほんとうはなくって、そうやって「自分の力をないものとして扱っている」ということが苦しいのだ。

ということを、今朝のモーニング・ページに書いてました。
外側ではなくて、内側ってことだね。


さて、今日の晩ごはんはなににしよう。