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水をあげて光を当てる

世界が甘やかに感じられる瞬間があると、いいものを創れるような気がする。眠った子を後ろに乗せ、運転しながらふと思った。
後続車の絶妙な車間距離に感じるそのひとの持つであろう無意識的な優しさとか。
子どもが残したナッツだけが載ったお皿とか。
道行く人の黄色いダウンが鮮やかで素敵だったこととか。

本が届く。
明日がくる。
締切がくる。
観たい映画がある。
描きあげたい絵がある。
やってみたい表現がある。

美術館に行った。
ちいさくまとまってんなよ、と言われた気がした。誰に?絵に。それを観たわたし自身に。

絵を描き続けることがひとつの目標なのは変わらない。
けれど、いつの間にか「こんなもんだろう」という枠を作ってしまったような気がする。
憧れたのなら、その種は自分の中にあるってことだ。今日美術館でその種を見つけた。というか、植わっていたことを思い出した。
水をあげて光を当てる。
たんたんとそうしていく。