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068 グレーゾーンを磨く

家の外壁にこびりついた蜘蛛の巣の残骸をきれいにして、スッキリした今日です。(やってくれたのは夫!)
部屋中に散らばっていたこまごましたおもちゃもジップロックに分けて片付け、かなーーーり気持ちよくなりました。

昨日は夫が草刈りをしてくれて、雑草ボーボーの庭もだいぶスッキリしました。
芝生やりたいよね〜、と毎年言ってるけど、費用や労力を考えるといま一歩踏み出せない。
それでも、家のことを「ああしたいよね、こうしたいよね」と夫と相談してる時間がすごく好きです。いますぐやらなくていいんだけど(緊急ではないけれど)、もしこうなったら家や庭がもっと素敵になるだろうなぁ、というビジョンを共有する時間。
ただ言葉にするということにもきっと力はあって、他愛のないおしゃべりのようなやりとりだとしても、いつかそれはかたちになるんだろうなって思っています。


やることが多くて余裕がなくて、生活のこまごましたことに手を付けられない、、そんな時間がとても多かったここ数年。
それもようやく流れが変わってきた気がしています。
例えば台所にたまりがちな空の缶やペットボトルをすぐに片付けるとか、食器棚やダイニングテーブルの上だけは最低限の物しか置かないようにするとか、そういうちいさな「ととのえる」を日々繰り返していくことで、救われる部分があるなとわかってきました。

毎日部屋を整理してととのえるには気力体力がいるけれど、ほんの少し、ここだけは、というところを守る。それだけで、ちょっと気持ちが明るくなる。
わたしだけがわかっていればいい「暮らしのととのえ方」には、自分だけの幸福の種がひっそりと隠れている。

SNSにあふれるモデルハウスなような家に(素敵!とは思うけど)なりたい!と思うことはもうなくって、それよりも家族全員が「あ、いいな」と思える空間を、その時々にできる範囲で無理なく作り上げていけたらいちばんだなと思います。

子どものおもちゃも、本当はもっと片付けて捨てて厳選したいけど、そのあたりはいまはまだ頑張らなくてもいいかなと。
今日、外していた棚板をあらためてつけ直してそこにおもちゃを収納したら、子どもがすごく喜んでくれました。(棚板を外して取り付けるための部品をなくしたのは君なんだけどね、、)

外壁を掃除したときも、夫と「すごくきれいになったね」「やっぱり全然違うね」と喜びを共有できたのは嬉しかったです。

無理して毎日隅から隅まで掃除する必要はなくって、だからといって限界まで汚してからまとめて掃除するのも好きじゃなくって、その間のちょうどいい塩梅。わたしにしかわからないグレーゾーンを大事にしていく。

日々をこまやかな目で観察できれば、そのグレーゾーンがもっと鮮明になって、わたしにとっての心地よさがより広がっていくんじゃないかなぁと思います。

昨日共有された「すぐやる部」の動画や、もうバイブルみたいになってるアーティスト・ウェイを読んで、そう感じました。

グラフみたいなクッキリとした曲線の変化も、誰かが決めたざっくりしたカテゴリー分けも、本当に本当にどうでもいいなって。

(前にも書いたけど)マーブル模様のように混沌としつつひとつとして同じではない色のように。
ただ自分で在る、生きるということは、世の中では取るに足らない程度と思われがちな曖昧なグレーゾーンをいかに自分らしく観察し、愛し、磨いていくか、ってことなのかな。


なんだか、あまりにもつらつらと書きすぎちゃいましたが。笑
なんとなく伝わったら嬉しいです。