母とわたしと宗教のこと②

わたしは、父、母、兄、妹の5人家族で
3人兄妹の2番目として育ちました。
家では、兄や妹の様に強く自己主張する事ができず、母からしてみるとある意味で都合よく扱いやすい子供だったと思います。それと同時に、自分の意思をはっきり主張できない気弱な子であり、社会に出て自立してやっいけるのだろうか、という気持ちを抱かせていたのではと思います。

母は、自立心が強く女性も手に職を持ち社会にでて働くべき、という考えの持ち主でした。
また、男性に負けたくない、対等な立場でいたいという気持ちも持ち合わせている人でした。
今でこそ、女性が社会で活躍するという事が当たり前となっていますが、母世代では女性は家庭に入り家事や子育てに専念するという風潮が強かったと思います。
そんな中、資格を取り経済的にも社会的にも自立した立場を自力で獲得した母ですが、結婚、妊娠を機に仕事を辞め、家庭に入る事となりました。
慣れない環境での子育てや人間関係。生活環境の変化が影響したのか詳しくは聞いていませんが、精神的に不安定となり宗教に救いを見出した様です。
いつ頃からかなのかは正確には覚えていませんが、宗教活動に熱心に取り組む様になっていました。

宗教活動をする母を思い浮かべた時に、真っ先に思い出すのは、毎日かかさず熱心にお祈りをしている姿です。
私は家で一緒にお祈りする事はなかったのですが、毎日聞いているうちに知らず知らずにおぼえてしまうほどでした。
そして、次に思い出すのは布教活動をしている姿です。
私も母や兄妹と一緒に布教活動をした事がありましたが、正直、ものすごく恥ずかしかったし、怖かった。
人見知りで羞恥心が強かった私にはかなり難易度の高い事でした。
『怒られたらどうしよう』
『おかしな子だと思われるかも』
そんな妄想じみた気持ちを持ちながらやっていた記憶があります。

そして、何よりも、母の視線や表情が怖かった。
 
 期待した通りにできているよね。
 私の娘なんだからできるよね

そんな無言の圧力を感じていました。
おどおどしながら、行うわたしをみて、母は何を思っていたのかはわかりません。
ただ、怒っている様な、不満げなあの何とも言えない表情をみて、『私は母を喜ばせる事ができないダメな子なんだな』
と落ち込む事が多かったです。それと同時に、なんだか私らしくない、何でこんな事をしなければいけないのか、という違和感とも不満とも思える気持ちも持ち合わせていました。