我が対人コミュ コンプレックスの墓標

友人の結婚式に参列してきた。
自分の人間関係の結び方の下手さからして、一生誰の結婚式にも出られないんじゃないかと思っていたが、まさか招待してもらえるとは。
これを逃したら結婚式に参加することは本当になくなるかもしれないと思い、参加してきた。しかし、そこはネガティブ陰キャなので、帰るなり脳内事故反省会である。自分の思考整理のために書いた文だから、構成もクソもないけど、すぐ読めるようにアップしておく。

参列していた友人に「俺の結婚式には絶対呼ぶ」と言ってもらえたことは嬉しかった。今回、新郎が招待してくれたことも。
でも、自分が逆の立場だったら呼べていただろうか。
いつだって、自分は誰かを友人と認めることを恐れている気がする。
誰を結婚式に呼んだらいいか分からない。誰を呼びたいか、自分で分からない。
それはきっと、自分がいないかのように振る舞うからだ。もしくは圧倒的中立。
誰にでも同じように。大衆に紛れるように。その場にいないかのように。宙に少しだけ浮いているかのように振る舞ってしまう。どこか、他人を見下しているのだ。何様なのか。
帰り際、新郎新婦と対峙した時も、自分が衆目を浴びることを避けて、一歩引いてしまった。
もっと気の利いた言葉をかけるべきだったのに。そうできる人間だったらよかったのに。
あそこは自分の守りに入る場面ではなく、相手を想う言葉をかけるべきだろうに。
結局、怯えて殻にこもっている臆病者、卑怯者なのだ。
誰かの好意を受け取るだけで、自分では与えられない。
そして、そんな地に足のつかない、真面目に生きている人間を馬鹿にするような態度でいるから、一生、自分の人生を生きられないのだ。そんな人間は他人の人生を生きて、他人の意思で死ぬしかない。
劣等感、コンプレックスの塊の人間はめんどうくさい。
そんな人間に構う周りはかわいそうだ。
暗い言葉を吐けば場の空気も悪くなるし、暗さが伝染する。
第三者の立場であれば、そんな人間とは距離を取るべきだと言うだろうが、あいにく自分が自分のことを見捨ててしまったら、誰も救ってはくれない。
せめて自分に関わってくれる人間には幸せになってほしい。そのために、自分は頑張って変わらなければならない。
頑張ろう。

結婚式に素直に感動できない自分にも若干失望した。
でも、似たような件もあったから、驚きはしない。早く心を取り戻したいという焦りこそあれど。
一瞬一瞬を大切に生きたい。その場にいることを全身で感じたい。それ以外のことは何も考えないでいたい。
繊細な人間になんかなりたくない。マンガ肉でも喰らって、ガッハッハと笑うような人間になりたい。
世間体や周りの目なんてクソ食らえだ。

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