見出し画像

~「純粋」な部屋で実は窒息?~『ViVi』の話題について

『ViVi』が自民党コラボ企画に対して問われた際、「政治的意図はありません」と答えたのが話題になっている。(というか問題になっている)モデルの人たちの意見そのものが自民党への問題定義じゃないか、という意見と、実はモデルたちは被害者じゃないか、という意見に私は関心を持ったが、ここで注目したいのは、「政治的」という言葉の使い方である。

私は前の前のnoteで「僕たちは希望という名の列車に乗った」の感想を書き、パンフレットに書かれている「ハンガリー革命の犠牲者追悼という、東独の学生たちが起こした純粋な行動が、東独当局から政治的な行動(反社会主義的行動)だと受け取られてしまい……」というような書き方を批判した。

東独または当時のハンガリーという抑圧的な国に対する抗議をすれば、それは政治的意図を持った行動と言える。そして政治的意図のある行動を取ったとしても、それもまた自由を求める純粋な思いの発露であり、非政治的行動=純粋とみなす、現実に関係ない無菌室に逃げれそうな書き方はよくないと私は考えたのだ。

(その記事についてはこちらからhttps://note.mu/317hide/n/n6229ed88592f)

今回の『ViVi』については私も批判的だが、「政治的意図無し」との回答は、どこか議論から逃げている印象を持ってしまう。問われると逃げるようなことしか言えないほど考えが空っぽの企画だったのではないか、との印象も持たれてしまうんじゃないか。純粋な無菌室は空っぽ故に無菌室なのか?(私もたまに気を付けねばと反省するが)議論が始まればお互いの全実存をかけて否定しあったり、どちらかがそもそも上手く会話できてなかったり、両方会話できてなかったり、全く知識が不足してたり、「どちらも土俵に立って議論して落としどころを探る」という議論が、日常でもSNSでも、なかなかお目にかかれなかったりする。

みんな疲れているのは分かる。私も疲れている。ならば無理に他人の息を吸おうとしたり、その反動で息自体止めるのは逆効果だからやめた方がいい。え? 俺は冷静だ。勝手に疲れてるのはお前だけだ? その無意識からにじみ出てる歪んだ表情が「他人の息に左右されてる」証拠なんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?